ヤサル・ヤキス
トルコ・アラブ間の関係は、エルドアンの党の新オスマン主義アプローチによって損なわれた。
要約
2001年8月14日、前イスタンブール市長レジェップ・タイイップ・エルドアンは、非合法化されたいくつかのイスラム主義政党の指導者たちとともに、公正発展党(AKP)を結成した。それ以来AKPは、トルコの政治を動かしてきた。
2002年11月3日の総選挙においてAKPは地すべり的な勝利をおさめた。これは、1923年のトルコ共和国建国以来初めての、イスラム主義をルーツとする政党による勝利であったが、トルコの歴史における転換点となった。
この勝利がトルコの世俗主義政体への脅威となることを、多くの人々が恐れたが、エルドアンは、「常識が通用するトルコを築く」と誓い、「我々の政府のもとで、トルコは世界と良好な関係を保つ」と約束した。
エルドアンは2003年から首相を務め、2014年にトルコの第12代大統領となった。世俗民主主義の価値観を維持するという約束の不履行や汚職に対する非難にもかかわらず、また、2016年には軍によるクーデタ未遂があったものの、AKPは過去17年間にわたり権力を握ってきた。
しかし、トルコの民主主義体制を損なった、大統領権限の拡大を問う2017年の国民投票では、僅差で勝利した。
アンカラ:私は、前大統領アブドゥッラー・ギュルに誘われて、トルコ公正発展党(AKP)に参加した。私がリヤドに駐在する大使で、彼がイスラム開発銀行の経済専門家だったときに、私たちは出会った。私たちは以来ずっととてもよい関係を保っている。
前イスタンブール市長レジェップ・タイイップ・エルドアンが保守派の公正発展党(AKP)を結成する。
トルコ総選挙でAKPが地すべり的勝利をおさめる。 2007年7月22日:AKPは総選挙で過半数を維持する。2011年の選挙でも引き続き過半数を維持する。
51パーセント以上の得票率で、エルドアンが大統領に選出される。
AKPは総選挙で過半数を維持できず、議会は絶対多数の政党がない状態となる。
エルドアンは解散総選挙を指示し、その結果AKPが過半数を再び獲得する。
「民主的・世俗的な法の支配が現在の政府によってむしばまれている」ことを懸念する軍の一部によるクーデタ未遂が起こり、その後、戒厳令がしかれ、公務員の大規模な逮捕、追放が続く。
AKPは、首相職を廃止して大統領権限を大きく拡大し、トルコの政治制度を議会制から大統領制に移行させる国民投票に、僅差で勝利する。
AKPは極右の民族主義者行動党と選挙連合を組み、総選挙で過半数を獲得する。エルドアンは大統領に再選される。
創立メンバーの中で国際関係に熟知していたのは私だけだったので、党の同僚たちは、党の綱領の「対外関係」の章の草案は私が作成すべきだと考えた。以下は、トルコと中東との関係について、当時私が書いたものである。「トルコは、中東の全ての国々と、強力な歴史的・文化的関係を維持する。AKPはこの基礎を踏まえ、この貴重な財産を維持するため、全ての分野において彼らと協力する。AKPは、不和をなくし全分野における関係を強化するために、努力を惜しまない」
私たちが選挙に勝利し、私が外務大臣になったとき、これらの公約を実現することにすぐにとりかかった。AKPが政権をとってから数ヵ月後には、AKPが全議席の3分の2を占めていたトルコ議会は、イラク北部で第二戦線を開くという米国の提案を拒絶した。米国の侵入はアラブ国家イラクにとって災難をもたらすことに他ならないと考えたからである。