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カタールのボイコット

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06 May 2020 10:05:39 GMT9
06 May 2020 10:05:39 GMT9

モハメッド・アル=スラミ

  • ドーハが過激派への支援を放棄することを拒否した後、近隣の湾岸諸国はすべての関係を断絶

概要:

2017年6月5日、サウジアラビア、エジプト、UAE、バーレーンはカタールとの外交関係を断絶し、国境と空路を閉鎖し、現在も実施中の経済封鎖を開始した。

アラブニュースで報じられたように、サウジアラビアは当時、この決定は「カタールが、ムスリム同胞団、アルカイダ、ダーイシュ、およびイランが支援するグループを含め、地域を不安定にすることを目的としたさまざまなテロリストや宗派のグループを擁護していること」に基づくものだと述べていた。

これらの4か国および間もなくボイコットに加わった他の国々は、ドーハがテログループを支援し、GCC同盟国を含む地域の他の諸国の内政に干渉するのをやめるよう説得しようと数年にわたり努力を重ねてきた。

カタールのイランとの同盟関係は、地域に不安定化と脅威を及ぼすものであり、湾岸におけるテヘランの野心を警戒する国々にとって特別な関心事であった。

アラブニュースの記者である私は、2017年5月に第17回ドーハ・フォーラムの際にカタールの外相との独占インタビューの要請が迅速に認められたことに驚いた。

シェイク・ムハンマド・ビン・アブドルラフマン・アル=サーニは、1週間後に開催予定で、他の湾岸諸国やアラブ諸国の指導者が参加し、またドナルド・トランプ米大統領の最初の外国訪問となるリヤド・サミットに先立ち、メッセージを伝えたかったようである。

私がアル=サーニと同席した後、最初に話題としたテーマは、カタールが、一部の湾岸諸国や他のアラブ諸国がテロ組織と見なしているムスリム同胞団を支援しているという厄介な問題であった。

私はアル=サーニの回答に驚いた。これは5月17日のアラブニュースの1面の見出しに次のように要約されている:「私たちは、ムスリム同胞団を支援していないし、支援する予定もないし、支援したこともない。」

私たちの会話は、カタールを他の湾岸協力会議(GCC)加盟国から遠ざけている他の大きな問題へと移った。すなわち、カタールとイランの緊密な関係である。アル=サーニは、ドーハはGCC抜きにイランと直接対話を行ったことはないと語った。しかし、同氏は、カタールは「イランの対話の呼びかけに前向きに対応した」と付け加えた。

その年のドーハ・フォーラムのテーマは「開発、安定、および難民危機」であった。ドーハのシェラトンホテルで話しをしているときは、私も、また私が知る限りではアル=サーニも、わずか3週間後にカタールが自らが招いた危機に陥ることになるとは知らなかった。

サウジアラビア、エジプト、UAE、バーレーンがカタールとの外交関係を断絶し、同国に対しボイコットを始めたというニュースは、2017年6月5日に流れたが、この決定の起こりは20年前まで遡ることができる。

モハメッド・アル=スラミ

1995年6月27日、シェイク・ハマド・ビン・ハリーファ・アル=サーニーは無血クーデターで権力を掌握し、治療のために国を去った父、シェイク・ハリーファを追放した。シェイク・ハマドの下、カタールは他のGCC諸国との連携から外れるようになり、各国の内政に干渉したり、テログループを支援したり、シェイク・ハマドが権力の座に就いた翌年、国によって設立されたアルジャジーラのテレビチャンネルでアルカイダのリーダー、オサマ・ビン・ラディンの演説を放送したりすることさえあった。

ドーハがGCCの共通の価値観からどれだけ離れていたかは、アルカイダと提携し、カタールのパスポートを保持した数名のテロリストが、カタールを通じてサウジアラビアに侵入することを許可されたときから明らかになり始めた。2002年にサウジアラビアのアルカイダを率い、一連の攻撃を行った後、2004年にサウジアラビア治安部隊により殺害されたアブドゥル・アズィーズ・アール=ムクリンもその中にいた。

 

主要な日付

  • 1

    ハマド・ビン・ハリーファが父親を追放し、カタールの支配権を掌握。

    Timeline Image 1995年6月27日
  • 2

    テロリストのアブドゥル・アズィーズ・アール=ムクリンがカタールのパスポートを持ち、カタール経由でサウジアラビアに入る。

    Timeline Image 2002年6月12日
  • 3

    カタールが最初のリヤド協定に署名。

    Timeline Image 2013年11月16日
  • 4

    サウジアラビア、UAE、バーレーンは、ドーハが他国の内政に干渉しているとして非難し、カタールから外交団を撤退させる。

  • 5

    サウジアラビアがムスリム同胞団をテロ組織に指定。 11月15日、UAEがそれに続く。

    Timeline Image 2014年3月7日
  • 6

    サウジアラビア、UAE、バーレーンの大使がドーハに戻り、カタールは補足協定に署名する。

  • 7

    アラブニュースがカタールの外相との独占インタビューを公表。同氏はドーハがムスリム同胞団を支援することを否定する。

  • 8

    UAE、サウジアラビア、エジプトがアルジャジーラのウェブサイトへのアクセスをブロックする。

  • 9

    サウジアラビア、エジプト、UAE、バーレーンがカタールとの外交関係を断絶。

  • 10

    サウジ主導のブロックは、制裁を解除し、関係を正常化するためにカタールが遵守しなければならない13の要求リストを公表。

2014年に漏洩したリビアのムアンマル・カダフィ大統領、シェイク・ハマド・ビン・ハリーファ、そしてカタールのハマド・ビン・ジャーシム元首相の間の会話の録音は、2003年まで遡り、カタールがサウジアラビアを不安定化し分裂しようと企んでいたことを明らかにした。2017年10月25日、ハマド・ビン・ジャーシムは初めてこの録音の信憑性を認めた。

長年にわたり、他の湾岸諸国、特にサウジアラビアは、カタールをその破壊的な道から方向転換するよう説得に努めてきた。この試みは、2013年6月25日にシェイク・ハマドが辞任して息子のシェイク・タミームに権力を譲った後も続いたが、成功しなかった。

2013年11月、ドーハは、クウェートの首長シェイク・サバーハ・アル=アハマドがカタールとサウジアラビアの間を仲介し、湾岸諸国間の関係を改善することを目的としたリヤド協定に署名した。

2017年6月6日のニュースを表示するアラブニュースアーカイブからのページ

当時、協定の詳細は秘密だった。しかし、後にその文書が漏洩すると、カタールは他の湾岸諸国の内政に干渉しないこと、ムスリム同胞団を支援しないこと、テロ組織を支援または資金提供しないこと、そして「敵対的なメディア」(アルジャジーラへの言及である思われる)を支援しないことに同意したことが明らかとなった。

カタールの首長はまた、カタールが協定の規定を遵守しなかった場合、他のGCC諸国に自国の安全と安定を保護するために適切と思われるあらゆる措置を講じる権利を与えるいう条件に署名した。

カタールがリヤド協定の条件を順守していないことがすぐに明らかとなり、2014年3月、サウジアラビア、バーレーン、およびUAEは「ドーハが以前に合意された決定を遵守していないこと」を理由に大使を引き揚げた。2014年11月、カタール政府が一部の規定にコミットすることを宣言した後、使節団の復帰が発表され2度目の協定に署名が行われたが、まだすべてが順調になったわけではなかった。

「サウジアラビア、バーレーン、エジプト、UAEおよび他の諸国がカタールから外交職員を撤退させることを発表した後、カタールの国民は『パニック買い』に走り、いくつかのスーパーマーケットの棚は空になった。」

2017年6月6日、アラブニュース1面のアイシャ・ファリードとルルワ・シャルーブの記事より

2017年6月5日、カタール通信社はカタール首長が「反イラン感情」と呼ぶものを批判する声明を放送した。カタールの当局者は、同通信社のウェブサイトがハッキングされたと主張し、声明をすぐに否定したが、これはラクダの背を折った藁(我慢の限界)だった。

同じ日、サウジアラビア、バーレーン、UAE、エジプトはカタールとの外交関係を断ち、すべての港と国境を封鎖し、通常の関係を回復するための13の要件を挙げた。

最も重要な要求は、ドーハがアラブ諸国におけるテロリズムと武装勢力への支援を止めること、ボイコット国の内政への干渉を中止すること、過激派とテロリストをカタールにかくまうのを止めること、そして今後武装勢力に4か国を攻撃するメディアプラットフォームを与えないことであった。

カタールの反応は? 2017年8月24日、ドーハはイランとの外交関係を完全に回復し、「あらゆる分野でイラン・イスラム共和国との二国間関係を強化する」つもりであると発表した。

1000日以上経った今も、この危機は未解決のままである。

  • モハメッド・アル=スラミは、アラブニュースのサウジアラビアの地域ディレクターで、サウジアラビアがドーハとの外交関係を断つ前、2017年にカタールの外相との独占インタビューを行った。
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