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英国の著名なビデオゲーム作曲家デイビッド・ワイズ、ファンに今後のプロジェクトに注目するよう呼びかけ

デビッド・ワイズが長年携わってきた音楽ゲーム制作の経験を語る。
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03 Apr 2025 02:04:35 GMT9
03 Apr 2025 02:04:35 GMT9

アミン・アッバス

英国の著名なビデオゲーム作曲家でありミュージシャンでもあるデイビッド・ワイズは、ドンキーコングカントリー、バトルトードなどのシリーズ作品で知られている。

57歳の彼は現在、『ニコデリコ 魔法の世界』や『ギミック-2』など、さまざまなプロジェクトに取り組んでいる。そして、自身の音楽のファンたちに、これらのゲームに注目するよう勧めている。

ワイズはアラブニュース・ジャパンに対し、ビデオゲームの作曲家になるつもりはなかったと語った。「80年代にレコード会社にデモを送るようになった。フィル・コリンズのようなロックスターになりたかったが、結果は違った。唯一共通しているのはヘアスタイルだけだ」と冗談を言った。

「代わりに、英国レスターの楽器店でキーボードのデモをしている時に、アルティメット・プレイ・ザ・ゲームという会社が私を見つけたんです。私は彼らの新会社、レアで働くことになった」と付け加えた。

ワイズのお気に入りのビデオゲームは、マリオカートシリーズ、ディディーコングレーシング、マリオ、ゼルダ、スパイロ・ザ・ドラゴンなど多数あるという。

ビデオゲーム作曲家としてのキャリアの始まりについて、ワイズは次のように語っている。「15歳の時に作曲を始め、19歳の時にレア社で初めて作曲の仕事をした。コンセプトは今も当時とほとんど変わっていない」

「初めて手がけたゲームは、1987年にファミリーコンピュータ向けにリリースされた『スラローム』というダウンヒル・スキーのゲームで、このゲームがきっかけでスキーに夢中になった」と彼は付け加えた。

デビッド・ワイズは、スーパーファミコンのビデオゲームシリーズ『ドンキーコング・カントリー』の音楽で知られている。「ドンキーコング・カントリー』の仕事について初めて聞いたのは、フランスのビーチに座っていたときだった。スタジオに戻る前に、1~2週間、いろいろ考える時間があった。レア社のクリエイティブ・ディレクターであるティム・スタンパーからデモ曲の作曲を依頼され、3曲の短いデモを作曲した。ティムは、これら3曲を1曲にまとめてほしいと頼んできた。これがジャングル・チューンとなり、任天堂が気に入ってくれて、サウンドトラックを完成させることができたという。

このプロジェクトに取り組んでいた頃を振り返り、彼は次のように語っている。「ドンキーコング・カントリーで仕事をした中で一番の思い出は、スーパーファミコンのハードウェアでウェーブ・シーケンスのエミュレーションが機能したときです。日本のシンセメーカーであるコルグには、Wavestationというシンセサイザーがあり、非常に小さな波形を多数備えており、それらを任意の順序で再配列することができた。波形は非常に小さな単一サイクルであることが多かったため、メモリをほとんど使用せずにサウンドを作り出す非常に効率的な方法であり、単一サンプルを使用するよりもはるかに複雑で興味深いサウンドを作り出すことができた」

「最初にこれを使ってみたのは『ウォーター・ミュージック』の『アクアティック・アンビエンス』だった。最初のウェーブ・シーケンスが機能し、ベースラインを形成したとき、それは文字通り、私のすべてを変えた。私の仕事のやり方、音楽の作曲の仕方が変わったんです。その音楽はリリースされてから30年以上経ちますが、今でも人々に聴かれていることからも、それが明らかです」と彼は付け加えた。

プロジェクトで直面した課題について、ワイズは次のように語っている。「プロジェクトにはそれぞれ独自の課題があります。それを乗り越えるのが私の仕事です。しかし、プロジェクトが終了すると、すぐにその経験から学んだことを次のプロジェクトのサウンドトラック制作に活かせます」

「N64用の『ディディーコングレーシング』(1997年)は、純粋に楽しく取り組めた仕事だった。素晴らしいチームでした。とにかく楽しくて、楽しくて、楽しくて! みんなが楽しんで取り組んでいたこの狂気じみたレースゲームの開発を続けるためだけに、毎日スタジオに急いで向かうのが待ち遠しかった」と彼は付け加えた。

ワイズは、『ディディーコングレーシング』の仕事を終えた1997年に初めて来日した。「任天堂ワールドゲームショーに行き、何千人もの人々が任天堂のゲームに目を輝かせていた。またいつか日本に行けることを楽しみにしている。また、来年の冬には日本の北の方でスキーをしたいと思っている」

「私が慣れ親しんだ日本の文化といえば、やはり食べ物です。ラーメンは私がよく作る料理です。あっさりしていて栄養があり、簡単に作れる。昼食に食べても、その後仕事を続けられるからね」と彼は付け加えた。

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