日本人の脚本家・監督である細田守は、夢のような世界へと深く飛躍する素晴らしい作品をいくつも作ってきた。
細田守監督の『未来のミライ』(2018年)は、生まれたばかりの妹を恨んでいる4歳の少年の話だ。しかし裏庭の庭で、彼は10代の妹に出会う。これは国内でのタイムトラベルのほんの始まりに過ぎず、少年は人生の別の時点から他の親戚に出会う。新たな理解が始まる。
細田守監督の最新作『スカーレット』では、そのうらやましいほどの到達点が彼の把握力を超えている。中世の王女が主人公で、叔父に父王を殺され、自らも死ぬのを見た後、広大な煉獄で目覚める。あらゆる時代の死者が住むこの奇妙な死後の世界で、彼女は父の復讐を果たそうとする。
『ハムレット』を超現実的な冥界に移植した日本のアニメが、普通のアニメ映画よりも野心的であることは誰もが認めるところだろう。大多数のアニメや実写映画と違って、『スカーレット』の問題は想像力の欠如ではない。多すぎるのだ。
『おおかみこどもの雨と雪』や『サマーウォーズ』などを手がけた元スタジオジブリのアニメーターである細田監督は、実存的なアイデアを子供のように真摯に追求しながら、複雑なビジュアルのアニメ世界を作り上げることに並外れた才能を持っている。しかし、バロック的なデザインの過剰さ、感情の過剰さ、範囲の広さが、細田監督の『スカーレット』を沈没させている。このような失敗なら許せる。無理をして失敗するのであれば、「ハムレット」を荒唐無稽に野心的に描いた方がいい。
16世紀のデンマークを舞台にしたスリリングなプロローグで、スカーレット(芦田愛菜)は叔父のクローディアス(役所広司)が父を反逆者に仕立て上げ、処刑するのを見守る。激怒したスカーレットは、父の亡霊の訪れもなく、クローディアスを殺しに行く。スカーレットは、父の亡霊の訪れもなく、クローディアスを殺しに行く。
そこは一種の無限の荒れ地で、さまよう魂と略奪者であふれている。人々はそこに一時的に留まり、やがて無の世界へと消えていく。天国への階段がどこかにあると噂されている。クローディアスを探すスカーレットは、見知らぬ男、聖(岡田将生)と出会う。現代から来た救急隊員である彼は、異界でスカーレットの敵を含む他人の傷を癒すことにほとんどの時間を費やしている。
「スカーレット』は蛇足で退屈な作品だ。ローゼンクランツとギルデンスターンだって出てくる。異界がスカーレットの悩める良心のように描かれているとすれば、復讐と赦しの間で続く戦いは鈍く単純化されているように感じられる。
すべてが悩みの海なのだ。細田監督は、聖のバックストーリーを通して、シェイクスピアの苦悩を現代に置き換えることで、物語に内面性を持たせようとしている。
細田監督は『美女と野獣』を『ベル』に移植し、時にぎこちなく、時に示唆に富む効果をもたらした。しかし『スカーレット』では、『ハムレット』を現代につなげようと奮闘している。細田ほどの才能ある映画監督なら、このような大作に挑戦すべきなのだろうが、うまくはいかない。それでも、見ていてまぶしくなることはしばしばだし、熱くならないことはない。細田監督は依然として、震えるようなオペラのような高みに到達できる監督である。たとえば『スカーレット』では、クローディアスが壮絶な死のシーンを迎えるが、彼がすでに死んでいることを考えれば、これは驚くべき快挙である。
ソニー・ピクチャーズ・クラシックス配給の『スカーレット』は、金曜日に限定公開され、2月6日より劇場公開される。PG-13(暴力/血まみれの映像)。日本語字幕版と英語吹替版の両方で上映。
AP