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美学の対話:日本と中東の視覚認識の比較

京都府北部に佇む大徳寺の庭園では、自然と人の手によって造られた物の調和が見られる。(Supplied)
京都府北部に佇む大徳寺の庭園では、自然と人の手によって造られた物の調和が見られる。(Supplied)
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26 Feb 2021 01:02:26 GMT9
26 Feb 2021 01:02:26 GMT9

ネイダー・サムムーリ

大阪:日本は、高い水準の美意識を持ち、揺るぎない感性で、完璧な表現を見抜くだけの造詣を持つ多くの外国人訪問者の心の中に、とても強い残像を残す。それは何故なのか、日本に住み、芸術分野で活躍する中東出身者へのインタビューから、日本文化の特徴である「日本の美学」の独自性を検証する。

工夫を凝らした包装から、料理の芸術的な盛り付け、禅庭での花や石の配置まで、日本では見映えが重要視される傾向があり、ほとんどの場合、それは商品、製品、サービス、あるいは自己の描写となっている。

京都の龍安寺で、有名な枯山水の石庭で石のアレンジメントを鑑賞するカップル。 (Supplied)

日本に5年間住んでいるサウジアラビア人のマンガプロデューサー、アティール・アル・ソハイヤーは、日本の美学を母国の美学と比較する。

「私たちは美を華やかで贅沢なものと見がちで、私の国の多くの人にとって、それ以外の要素は美の一面としては、見落とされがちです。この点、日本と出会った時、私は美の違う視点を知ることになりました」

アティールは、日本に来ても、サウジアラビアの人々は、物事を全体として捉える傾向があると認識し、一方で、日本の人々は、細かいところにまで気を配り、思いを込めることに圧倒されたと説明する。

「確かにサウジアラビアの伝統工芸にも、取り上げて話すことがたくさんあります。 私の出身地であるアルアハサでは、ハサウィ・ビシュト(البشت الحساوي او الأحسائي)と呼ばれる優雅なローブがあり、その縫い目には様々なデザインが施されています。それでも、日本での経験は、これまで見えなかった細部に、全く違う深みがあることを教えてくれました。日本人は出来映えを良くする方法を研究することに多くの時間を費やしており、私たちが気にしていないような細かい部分にも気を遣います。例えば、日本の伝統的なお菓子である和菓子は、季節によって様々変わり、季節ごとに咲く花をモチーフにしたものが多くあります。 同様に、日本の着物に描かれている絵柄にも季節感があり、特定の柄は着るときの季節に合わせることになっています」とアティールは語る。

京都嵐山で秋の季節に合わせた着物を着たカップル。 (Supplied)

アティールは、京都の清水寺で開催された陶器まつりに行った際、露店の人たちと会話をしていると、職人が手にした作品の細部にまで彩飾が施されているのに驚いたことを語った。

「職人の手が優しく陶器に触れる様子から、陶器を大切にしていることが伝わってきました。彼らは、自らがその作品を造るのに費やした時間に思いを馳せ、一つ一つの作品を本当に大切にしています」とアティールは述べた。

確かに、細部へのこだわりは、多くの人々の注目を集める。この分野での日本の成功の多くは、 資源に恵まれていない中でも、類いまれなその細部へのこだわりがもたらしたものと言えるのかも知れない。これは国内でも重要なテーマではあるが、もちろん全ての日本人が、仏像を手作りしたり、寺院の庭にある滝下の岩の上で瞑想したりする、細部まで行き届いた美意識を持っているわけではない。

約4年間日本に住んでいたエジプト人建築家のモハメド・デルザウィは、日本の美意識に関する認識を説明するのに、「日本では静寂が建築に取り込まれています。音楽が本質的にそうであるように、間や音程がなければ、創造も作曲もできません。これまで世界中で見てきた騒々しい音とは対照的な、静けさと空間の虚しさを感じることができ、心が洗われるような喜びを味わいました。落ち着きの無い心の内を、スッキリさせてくれました」と述べている。

日本は、希少性と最小限の必需品の中に美しさを見出し、独自のミニマルな事業を展開している。これは、消費主義に慣れている現代社会に斬新な概念を提起している。このメンタリティの背後には多くの理由が存在するが、その内に、地理的な孤立と日本の資源の不足もある。こうしたことが、過ちによる損失の許容範囲を最小限に抑えることに貢献し、個々人に利用可能なものを大切にし、投資するように駆り立てた可能性がある。

「しかし、同時に私は東京のような成長している都市がモダニズムのために空虚の概念と戦っているのを見ました。そこに建てられているのはアーキテクチャ(建築)ではなく、ビルディング(建物)なのだと思う」とデルザウィは付け加えて述べた。

エジプト出身の計算デザイナー、ホッサム・エル・ブラシ は、世界的に著名な建築家、隈研吾のオフィスで2年近く働いたが、日本の美学は、通常、ある意味ミニマルなデザインのアプローチであると認識されていることに気付いた。しかし、こうした単純化は、その複雑さを表現するには十分成熟しておらず、これまで何世紀にもわたって蓄積されてきた多くの興味深い資質を無視している。古代と現代の美学的アプローチの見事なバランスは保たれており、その結果、比類のないデザインアプローチが、日本人の日常の本能的な生活にも深く根ざすこととなった。

京都の南禅寺近くの岩に彫られた漢字。 (Supplied)

「こうした美的な資質は数え切れないほどあり、厳密に説明するのは難しいのですが、大まかに言えば、純粋な自然の美しさとシンプルさ、不完全さ、時間のダイナミックな美しさ、変調された動き、エレガンス、空っぽでネガティブな空間の受け入れ、繊細さ、倫理的な美しさ、神秘性、そして最近では可愛らしさの活用と言えます。この日本のデザイン及び生活全般に対するアプローチには、物質的な特徴と精神的な特徴の両方がしっかりと存在し、バランスが取れています」とホッサムは述べた。

ホッサムはまた、地球の裏側では、アラビアの美学もまた、何世紀にもわたって蓄積された資質の結果であると付け加えた。ただ、日本の美学のように古代と現代のアラビアの美学的資質が強固な全体の中に融合しているわけではないと考えられている。それでも、最近は、このギャップを埋めるための真剣な努力がなされつつあるが、実りあるものになるには時間が必要とされる。

「アラビアの美的資質は、非常に豊かな詳細、精神性、気候指向、自然との接続と概説することができます。アラビアの美学は、昔から今までの宗教との強いつながりのために、精神的な特徴をより強調しています」とホッサムは述べた。

京都府北部に佇む大徳寺の庭園では、自然と人の手によって造られた物の調和が見られる。(Supplied)

日本の美学は、柱の集合体で構成されている。日本の美学の最も重要な柱と概念は、「侘び、寂び」であり、「侘び」は素朴で自然な美しさであり、「寂び」は時間の経過に伴う時代の一時的な美しさであり、「幽玄」は優雅さと繊細さを意味する。これらは、日本の美学を支える理想であり、特に日本の文化の中心地である京都の中心部にみられる。それは意図的に光を欠き、かぐわしい香りを放つ老木で飾られた暗い寺院が醸し出す世界である。

「美学の柱を日本から中東・北アフリカ(MENA)地域に輸入するとしたら、私は時間的な美しさ、つまり日本語では『寂び』と呼ばれるものを選びます。私はこの器質の概念が最も魅力的だと思います。それは、時間の経過とともに現れる美しさを示しており、それと共にその裏にある物語も伝えます」とホッサムは述べている。

京都・無鄰菴の伝統的な茶室で陰影を楽しむ。(Supplied)

ホッサムによると、主にイスラム建築に織り込まれて存在する作品のパターンや幾何学に慣れているアーティストは、空虚さを魅力的に感じる傾向があり、またそうした空虚さに慣れている人は、より精巧な空間に引き込まれる可能性がある。例えば、ホッサムが言うには、多くの日本人はヨーロッパ建築の建築表現を好む傾向を持つ。特に神戸は、イギリス、ドイツ、フランスの建築のように、より華やかな西洋のディテールを借用した都市のイメージを反映させようとした都市として日本でもよく知られている。アラビア建築といえば、多くの日本人はモロッコ様式を連想する。

「『美』は完全に主観的なものです。背景や歴史、文化の異なる美学を評価するのは簡単ではありません。誰かに訴えかけるものは、他の誰かを誘発することもありますが、その人の資質や文化や生活との結びつき方を比較するのは、間違いなく興味深いことです」とホッサムは述べている。

アティールは、最後に、デザインと文化が手を取り合って歩むように、文化を受け入れることはアイデンティティの一部であると述べた。唐草模様とミニマリズムは、どちらも独自の文化の成り立ちの上に美しく、どちらも別々の意味合いを持つ。要はその間のバランスを取ることが重要性を持つ。

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