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クルド人歌手のノウリ、「一番になりたい」

彼女のストーリーは、90年代前半に両親がクルジスタンから逃げた後、シリア難民キャンプで生まれたという事実を考えるとなおさら注目に値する。(提供)
彼女のストーリーは、90年代前半に両親がクルジスタンから逃げた後、シリア難民キャンプで生まれたという事実を考えるとなおさら注目に値する。(提供)
16 Nov 2019 12:11:46 GMT9

コナー・パーセル、ダブリン

ヴィヴィアン・ノウリは使命を背負った女性だ。より一般的にはNOURIとして知られているクルド人歌手の彼女は、ここ数ヶ月で旋風を巻き起こした。彼女のデビューシングル『Where Do We Go From Here』は、今年3月にニュージーランドで1位の座を獲得し(現在YouTubeで110万回以上再生されている)、その後サウジアラビア、クウェート、イラク、パレスチナのチャートすべてでトップを飾った。

彼女のストーリーは、90年代前半に両親がクルジスタンから逃げた後、シリア難民キャンプで生まれたという事実を考えるとなおさら注目に値する。彼らはノウリが3歳のときにニュージーランドへ移住した。

彼女は、クリスティーナ・アギレラ、ブリトニー・スピアーズ、マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストンを、小さいころから彼女を音楽好きにした歌手として挙げている。「7歳には、彼らがテレビで歌っているのをよく真似していたのですが、ちゃんとできていたかどうかはわかりませんでした」

しかし、彼女の真似は見事だった。ノウリは、9歳のとき、最初のタレントショーで、1998年のアニメ『プリンス・オブ・エジプト』のホイットニー・ヒューストンとマライア・キャリーによるデュエット曲『When You Believe』を歌った。彼女はスタンディングオベーションを受け、その感覚を忘れることはなかった。

「歌を歌うスリル、自分が歌を歌うことでみんなが感動してくれる気持ち、スタンディングオベーションを受けるショック。私は歌うことができ、他の人たちが気に入ってくれた。それ以来ずっと、その感覚を追い続けてきたのです」と彼女は語る。

[caption id="attachment_3931" align="alignnone" width="492"] ノウリのストーリーは、90年代前半に両親がクルジスタンから逃げた後、シリア難民キャンプで生まれたという事実を考えるとなおさら注目に値する。(提供)[/caption]

「いつ終わるか分からないので、一番いい方法は、誰かにそれを引き渡すことです。準備ができたら、教えてくれるのです」と彼女は続ける。「そして、グラミー賞を受賞したプロデューサーたちや、一生懸命働いている新しいプロデューサーたちの両方と仕事をすることができるということは、ロサンゼルスにいることの一番の利点です。いろいろなパターンとスタイルに触れることができ、それによっていろいろな制作スタイルを感じることができるのです」

ノウリは今年初めにLAに移り、そこに住んでいるときに時々出てくる落とし穴を避けることができると確信している。「ロサンゼルスでは毎日新しいことを体験して学びます。新しい音楽、新しい概念について学んでいて、新しい人々と出会い、新しい文化や影響にさらされています」と彼女は語る。

ノウリはハリウッドの魅力をすでに経験していた。彼女は、2017年のウィル・フェレル主演のコメディ映画『『パパVS新しいパパ2(Daddy’s Home 2)』のサウンドトラックで『The Only Gift I Need』を歌ったのだ。そしてLAに移ってから、彼女はいくつかのNBAの試合でのアメリカ国歌斉唱を依頼された。しかし、彼女はさらなる成功を切望している。

『Where Do We Go From Here』は完璧なスローバーンポップの1曲であり、音楽とビデオの両方はラナ・デル・レイを彷彿とさせる。ノウリのサウンドは魅力的でありとてもモダンで、彼女のクリエイティブなプロセスに反映されている。

[caption id="attachment_3930" align="alignnone" width="510"] 彼女のデビューシングル『Where Do We Go From Here』は、2019年年3月にニュージーランドで1位の座を獲得した。(提供)[/caption]

「レコーディングスタジオかライティング・セッションに入る前に、何を歌いたいかが頭にあります」と彼女は言う。「それは時々変わるので、柔軟性が必要です。 私はスタジオにいて新しいビートを聞いたりして、それが音楽を変えます。そして最終的にはコラボレーションになります。なので、私たちは歌詞とメロディーのどちらかから始めて、一緒にコンセプトで作り始めてそこから進めるのです」

彼女のやり方の大部分は彼女の育ち方から来ている。「私の母は私たち全員にしつけを教え込みました。 歌手になるということを母に納得させるのは難しかったのですが、私がその夢に向かって一生懸命努力していることを見て、母は安心しました」と彼女は語る。

ノウリは以前、シリア難民キャンプでの彼女の最初の記憶がどのようなものだったかについて語ったことがある。彼女はとても小さなテントに住み、彼女の母親は横になるときには足を外に出さなければならなかった。こういった思い出は、彼女の過酷な労働倫理において重要な役割を果たしたことは間違いない。

「毎朝同じ時間に起きて、ジムに行きます」と彼女は語る。「スケジュールが決まっていて、まるで学校にいるみたいです。同じことをしている他の何百万もの人がいるので、集中し規律を守る必要があります。そして、自分が望む場所に到達するためにしなければならないことは何なのか分かっているので、どんな誘惑にも負けないのです」

[caption id="attachment_3929" align="alignnone" width="536"] ノウリの家族は彼女が3歳のときにニュージーランドへ移住した。(提供)[/caption]

そして彼女が目指しているのはまさにその頂点だ。ノウリを見ていて気持ちいいことの1つは、目標に対する完全な誠実さだ。一日一日をそのまま受け入れるというような慎重なつぶやきは一切ない。

「私はいつか一番になりたいのです」と彼女は言う。「人の心に残る何かを残したいのです。 とても競争の激しい業界ですが、勝ちたいと思っています。 私は自分自身と競争しているのであって、他の誰とも競争していないのです。私は自分自身と同胞のために勝ちたいし、私の話を聞いてほしいのです。私の話は他の10億人の話であり、それを聞いてほしいのです。もちろん、グラミー賞を受賞してからオスカー賞を受賞し、Netflixのドキュメンタリーを獲得するといった、具体的な目標もあります」

その野望は彼女の労働倫理と密接に関連している。動機のない野望は意味がない。「私はいつも一生懸命働くことは才能に勝ると言います。なので、両方を持っているなら、それは必然的なもので、それだけでは決して十分ではないといつも感じます」と彼女は語る。「私はグラミー賞を獲得し、その瞬間をゆっくり味わいます。でも、それから次のステップに集中します。アカデミー賞を獲得するにはどうすればいいのかと考えます。ここにいる私は常に真剣で、与えられたチャンスを確実に活かしています」

ノウリは、自分の音楽が感情レベルで達成させたいことについても同様にはっきりとわかっている。

「私の音楽を聴いて、同時に踊ったり泣いたりしてほしいのです。私は話すときに自分の気持ちをうまく表現できないのですが、その代わり私の音楽はオープンです。自分の音楽を通して(自分自身)を表現しています」と彼女は語る。「歌詞を通して、私はみんなが怖くて言えないことを言うのです」

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