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日本とサウジアラビアをつなぐOsool and Bakheet投資会社

Bakheetの日本様式の住宅を訪れた際、彼は文化、ビジネス、経済、そして人生に対する姿勢を明らかにしてくれた。(提供済み)
Bakheetの日本様式の住宅を訪れた際、彼は文化、ビジネス、経済、そして人生に対する姿勢を明らかにしてくれた。(提供済み)
インタビュー中のAlexander Woodman (右)とBakheet (左)。(提供済み)
インタビュー中のAlexander Woodman (右)とBakheet (左)。(提供済み)
Bakheetの日本様式の住宅を訪れた際、彼は文化、ビジネス、経済、そして人生に対する姿勢を明らかにしてくれた。(提供済み)
Bakheetの日本様式の住宅を訪れた際、彼は文化、ビジネス、経済、そして人生に対する姿勢を明らかにしてくれた。(提供済み)
Bakheetの日本様式の住宅を訪れた際、彼は文化、ビジネス、経済、そして人生に対する姿勢を明らかにしてくれた。(提供済み)
Bakheetの日本様式の住宅を訪れた際、彼は文化、ビジネス、経済、そして人生に対する姿勢を明らかにしてくれた。(提供済み)
Bakheetの日本様式の住宅を訪れた際、彼は文化、ビジネス、経済、そして人生に対する姿勢を明らかにしてくれた。(提供済み)
Bakheetの日本様式の住宅を訪れた際、彼は文化、ビジネス、経済、そして人生に対する姿勢を明らかにしてくれた。(提供済み)
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01 Mar 2021 09:03:38 GMT9
01 Mar 2021 09:03:38 GMT9

Alexander Woodman

リヤド: Osool and Bakheet投資会社の創設者Beshr Bakheetは、ビジョンを持つサウジアラビアのビジネスマンで、日本で富を築き、それをサウジアラビアに投資し、2国間の橋渡しとなった。

彼の経済・投資分野における旅は、東京の慶應大学でMBA・工学管理の学位を取得したことから始まった。1988年、Bakheetは日本の年金基金のファンド・マネジャーとなった。この分野で過去35年間にわたり活躍したBakheetは、Tadawul証券取引所とAlahli Takafulの取締役を務めた。Hoare Govett, UBS, Credit Suisse Groupなど、世界の投資機関で複数の上級職も歴任した。

日本での勉強と仕事を顧みて、Bakheetは日本での仕事は人生におけるユニークな経験の一つであるとしばしば語ってきた。彼は日本の教授や同僚たちによって、新たな視野を開くことができたこと、また異なる視点を共有できたことに感謝している。Bakheetが慶應大学の奨学金基金に寄付したのは素晴らしいことである。

バクシートの日本様式の住宅を訪れた際、彼は文化、ビジネス、経済、そして人生に対する姿勢を明らかにしてくれた。

日本とサウジアラビアは世界の異なる地域に位置しますが、両国とも伝統を大切にしています。日本とサウジアラビアの社会における女性の役割についてお話しいただけますか?

それは非常に複雑な問題です。なぜなら、集団全体の中の特定の性別を他の集団のそれと比較することは難しいからです。両国とも人口が多く、女性の役割が個人レベルで異なるのは当然です。もし女性によるもっと一般的な文化的表現の類似点を指摘するならば、今日両国の女性は、あまり控え目ではなく、比較的開放的になったということです。

日本は、この数十年来、前向きに進展してきたと思います。多忙な私は、若い世代のすべての問題について最新の情報を得る時間はありません。しかし、私の目には、もはや多くの若者が公共で愛情を表すことを恐れていないようです。

第二に、私が日本にいた時代には「見合い結婚」と呼ばれたものを目撃するのは一般的でした。「見合い」あるいは「お見合い」という概念は、日本の伝統に基づいています。この伝統は、配偶者選択に当たり、高齢世代を信用することによって、彼らの英知を尊重することです。見合い結婚は40年代から50年代にかけて高い人気がありました。しかし、現在では、この伝統は時代遅れと考えられています。

そのマッチング・プロセスは、通常、社会的、教育的、経済的背景の異なる2人の男女を選ぶことでした。高齢世代が、夫婦として長年うまくいくかどうかを決めます。若者世代は写真や履歴書のようなものを交換して紹介されます。この手配がうまくゆき、男女が恋に落ちたら結婚します。そうでなければ、両親は子供にふさわしい他のパートナーを探し続けます。しかし、結婚相手を選ぶのは親だけではありません。地域社会のメンバーも採用され、特にマッチングを専門とする仲人が存在します。これはサウジアラビアの文化と非常によく似ていました。

最後に、従業員としての女性の職業能力開発に大きな変化が生じています。過去、男性従業員に添えることのみを目的として、女性を「オフィスの花」として雇うことは、非常に一般的でした。当時の目標は、彼女らを将来の妻にすることでした。キャリア志向の女性がたどるべき職業上の道はありませんでした。彼女らは「お茶くみ」と呼ばれ、文字通り「ティーメーカー」と訳されます。彼女らの唯一の目的は、お茶を用意し、結婚する男性を見つけることでした。もちろん、現在の状況は大きく異なります。女性はより力を与えられ、望ましい分野でキャリアを追求する機会が多くなり、上級レベルの地位に就くこともできるようになりました。

個人的には、この古い習慣は私の時代には今ほど珍しくなかったものの、「お見合い」の概念は私にはまったく合いませんでした。結婚へのこのアプローチは、仕事と家庭の外で社交の時間を持たない多忙な人々に適していました。今日では、職場の方針が大きく異なっているようです。女性は自立し、仕事に専念することが多く、職場で男性と出会う機会も増えています。

勤勉と努力は男女ともに日本人の素晴らしい特徴です。ですから私の観点からすると、労働者層の高い信頼性のため、日本の政府と経済界の指導者は、彼らをこれまで以上に信頼すべきだと思います。

日本滞在中の具体的な経験を振り返って、最も思い出深い出来事は何でしょうか。

日本で初めての、そして最も思い出深い経験のひとつは、私の修士課程の担当教授で、後に親友と呼べるようになったウラ教授との出来事です。慶應大学での初日、私は日本語がまったくわからなかったので、英語を話す人たち以外とはコミュニケーションに全力を尽くさなければなりませんでした。その1人がウラ教授で、ミーティングの際に彼は何かを説明しようとしましたが、私はそれを理解するのに何年もかかりました。彼が片言で言ったメッセージは「ここは日本だ。水だ。人だ。お前はサウジアラビア人だ。石油だ!わかったか?さあ、行け!」というものでした。

もちろん、彼が言おうとしていたことは全く理解できず、その結果、気に掛けませんでした。私は卒業後初めてこれについて彼と語り合い、ようやくその深い意味を理解したのです。彼によれば、日本には水や人々といった天然資源しかなく、サウジアラビアには石油と偉大な人々の両方が存在し、経済的利益があるというのです。それにもかかわらず、日本は当時、サウジアラビアよりも急速に発展しており、これは謙虚さと勤勉さの教訓となるはずである。これが彼のメッセージだったのです。

今思えば、これは日本で起こった最もユニークな出来事のひとつでした。私は母校に感謝し、勉学の旅を通して、人生の教訓と多くの専門技術を教えてくれた日本の教授にとても感謝しています。私の事業が利益を上げたとき、自分の家を買う前に、慶應大学にお金を寄付しました。私は謙虚に、そして誇りを持って、財政援助を必要とする学生のための大学の奨学金基金に寄付したと言うことができます。若者の未来にこのような素晴らしい方法で貢献する機会を得て、彼らが明るい未来を追及するために必要なリソースを提供できることを本当に光栄に思います。そして、いつか彼らが私と同じことをしてくれれば、と願っています。

1980年代と今の日本についてどう思いますか。おおむね、国は大きく変わったと思いますか。

過去数年間、日本の経済が衰退しているのは残念です。ある時点では、日本のGDPが米国のGDPにほぼ達したことがあり、これはまったく素晴らしい成果でした。残念ながら、私はこの成果が過度の自信につながり、国の継続的な発展を妨げたと感じています。20世紀の急速な経済成長は、単なる市場のバブルだったのです。これは、ある資産の成長が人為的に膨らまされ、市場の実質発展率を反映していない場合に起こります。バブルが膨らむにつれ、それは将来への期待の高まりに追いつかなくなります。必然的にバブルは崩壊し、金融の破壊と経済の破綻が起こります。

1990年代は、日本でバブルが崩壊し、いわゆる「失われた10年」と呼ばれました。この言葉はミレニアムの終わりの10年の期間を指し、国内で大きな発展は見られませんでした。良い言葉が見つからないのですが、あえて言えば、現地の人々にとってこの状況は非常に恐ろしいものでした。ビジネスの専門家の間では一般的な知識かもしれませんが、経済の過熱を示す一般的な指標は、株価収益率です。この簡単な方程式は、企業の1株当たりの利益に対する現在の株価を測定するものです。株価が100倍に上昇し、収益性が変わらない場合、事業主は将来の成功を危惧します。私はビジネスマンとして、この事態がどれほど災難であるかを指摘せざると得ません。日本は世界最高の経済的サクセスストーリーになるという驚くべき可能性を秘めていましたが、それは起こりませんでした。この教訓は、よく研究し、学ばなければならないものだと思います。

「釘が突き出ているときは、打ち直せ」という表現を聞いたことがあります。この概念の実践の簡単な例は、日本で最も人気のある銀行のWebサイトに掲載されています。ログインするには、ユーザー名とパスワードのみが必要であり、追加のセキュリティ手順を踏むは必要ありません。ほとんどの先進国のオンライン・バンキング・システムは、個人データを保護するために、システムにログインするためのOTP(ワンタイムパスワード)を提供しています。

日本は、若い世代が自ら選択したさまざまな分野で創造性を発揮できる空間とリソースを与えられれば、大きな恩恵を受けることができると思います。社会的、経済的、さらには政治的規範も問われるべきであり、最適な人物には必要な変更を実行する機会が与えられるべきです。理論的には、これらの考えは過激に聞こえるかもしれません。しかし、実践的には、これらは社会の改善のために、次第にパラダイムの変化を招くと確信しています。

日本人のホスピタリティの考え方は、期待よりもケアを中心としていることはよく知られています。東京のレストランを訪れるとき、料理の質以外に何を求めますか。

奇妙に聞こえるかもしれませんが、日本でレストランを訪れる際、料理の質はあまり問題ではありません。私はこの質問に個人的な経験をもって答えたいと思います。東京で学生の頃、寿司屋でパートタイムで働く機会がありました。この体験は私に貴重な教訓を与えました。優れたレストランでは、シェフとそのスタッフとの個人的なつながりを含め、特定の基準があるべきです。日本全国の寿司屋には、米、魚、わさび、海苔があります。このようなビジネスでもっと重要な、そしておそらく最も困難な側面は、人間関係、すなわちお客様一人一人に対する個人的なアプローチです。日本のレストランのオーナーは、お客様とつながるために素晴らしい取り組みをしていると思います。つまり、この質問への私の答えは、レストランのオーナーとお客様のつながりの度合です。

日本でお好みのレストランはありますか?

適当な食事処を見つけるための「ミシュランガイド東京」という有名なガイドブックがあります。興味深いことに、東京にはパリよりもミシュラン・スターを授けられたレストランが多いのです。率直に言えば、どれもが最高品質の料理とサービスを提供するので、このガイドからレストランを選ぶときに不満足な体験となることは滅多にありません。しかし好みは各自異なるので、特定のレストランは勧めることはできません。

個人的には新奇な料理を食べるのが好きです。その結果、東京を訪れるたびに異なるレストランを訪れます。ミシュランガイドをオンラインで見つけ、最適のレストランを選ぶことをお勧めします。間違った選択となることは、まずないでしょう。

日本の若者、そしてサウジアラビアを訪問することに関心のある方々へのメッセージをお願いします。

日本の友人たちへの私のメッセージは、他人の批判を乗り超えて行くことが大切だということです。他人の言葉によって落胆したり、敬意を払われなかったと感じてはなりません。日本の秘密兵器は革新的な若者です。一方、サウジアラビアでは、より多くの日本文化を体験し、日本を訪れることを考慮するべきだと思います。

Alexander Woodmanはペルシャ湾岸に本拠を置くライター。彼が関心を寄せる研究は、国際保健、国際保健政策の進展、国境・文化を越えた保健政策、倫理、外交など。alexwoodman.ucla@gmail.com Instagram@thelandofadat

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