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15年たった今、アラファトはひどく惜しまれている

2001年5月5日、ガザ地区に到着し名誉衛兵を閲兵するパレスチナ大統領ヤセル・アラファト。(ロイター)
2001年5月5日、ガザ地区に到着し名誉衛兵を閲兵するパレスチナ大統領ヤセル・アラファト。(ロイター)
13 Nov 2019 04:11:19 GMT9
  • アラファトが亡くなった時、パリとカイロの空港で葬送が行われ、遺体はヨルダン軍のヘリコプターによってラマッラーに運ばれた
  • パレスチナ人は新しい世代の指導者を待ち望んでいるが、アラファトの時ならぬ死の背後にある状況に関して、パレスチナ人の指導者たちを疑問視し続けている

ダウド・クッタブ、アンマン

ラウヒ・ファットゥー にとって、ヤセル・アラファトの最後の日々の思い出は、昨日のことのように鮮明である。

アラファトのファタハ(パレスチナ民族解放運動)に所属するガザの指導者ファットゥーは、イスラエル軍の戦車に包囲されたラマッラーのムカタ本部で軟禁状態にあったアラファト大統領が突然病気になった2004年10月12日、パレスチナ立法評議会の議長を務めていた。

ファットウーは、病気のアラファトと一緒にアブ・マゼン(マフムード・アッバス)とアフマド・キュレイ(アブ・アラ)とともにパリ郊外のフランス軍病院に行き、特別な訪問者が来たことを思い出す。「我々はフランスのジャック・シラク大統領の訪問を受けました。彼は移行の問題について話をし、スムーズな移行ができるようにパレスチナの基本法に従うよう私に依頼しました」とファットウーはアラブニュースに語った。

パレスチナ法第37条は、パレスチナ自治政府の大統領が職務を遂行できない場合、立法評議会の議長が60日間の移行期間を引き継ぎ、その後、新たな選挙が実施されると規定している。

「私たちはこうならないことを望んでいましたが、エジプトのホスニー・ムバラクやイエメンのアブダラ・サレーを含む誰もが、移行が障害なく行われ、また可能ならば彼らが出席できるようにパレスチナの外で葬儀を開催するよう私たちに要請を続けました。」

アラファトが亡くなった時、パリとカイロの空港で葬送が行われ、遺体はヨルダン軍のヘリコプターによってラマッラーに運ばれた。エジプトのオマール・スレイマン総合情報庁長官とスレイマン・アブ・ガイス外務大臣が葬儀に出席するためにラマッラーを訪れた。

ファットウーは次の一連の出来事を思い出す。「アッバスが執行委員会の議長に選出され、立法評議会および上級裁判所裁判官の前でパレスチナ基本法に従い、私は大統領代行に就任しました。移行に関するすべてが整然と行われました」と彼は述べ、また大統領選挙を控えて権力の座に留まろうとする彼に近い人々によるさまざまな試みに抵抗したとも語った。

大統領代行としての最初の職務の1つは、未回答のままであった数百通の手紙、要請、法律への対応であった。「私は何千にも上る書類に対処しなければなりませんでした。医療や教育の支援を必要とするパレスチナ人からの援助の要求は拒否しないことを心に誓っていましたが、時には金額を減らさざるを得ないこともありました。」

就任3日目に、ファットウーは、ちょうど60日後に大統領選挙を行うことを認める政令に署名した。「大統領選挙と立法評議会選挙を同時に実施したかった人もいましたが、私は、アラファトの席を埋めるために大統領選挙のみを行うこととし、2005年1月9日に選挙が実施されました。」マフムード・アッバスは、72パーセントの票を獲得して無所属の医師ムスタファ・バルグーティを破り、大統領選挙に勝利した。

パレスチナ民族評議会と中央評議会のメンバーであるナジーブ・カドゥミは、アラファトの不在がパレスチナの政治生活に空白を残したとアラブニュースに語った。「私たちはこの機会を悲しく思っています。孤独に感じるからです。アラファトは、パレスチナの大義を、人道主義と難民の大義から革命、旗、国民としてのアイデンティティそして国家としての大義へと移行させることができました。今日、誰かに会ってあなたがパレスチナ人だと言うと時にはいつでも、その人たちはアラファトの名前に言及することでしょう。」

パレスチナ人は新しい世代の指導者を待ち望んでいるが、アラファトの時ならぬ死の背後にある状況に関して、パレスチナ人の指導者たちを疑問視し続けている。ベツレヘムにあるダーイシュの難民キャンプ出身の左翼作家であるハムディ・ファラジは、この謎は解決されなければならないとアラブニュースに語った。アラファトの甥であるナセル・キドワを含めパレスチナの当局者は、恐らくアリエル・シャロン元イスラエル首相の命令により、故大統領に近い人物の助けを借りて、アラファトは毒殺されたと主張している。「アラファトを殺害した者が自由のまま、私たちの食べ物を食べ、私たちの空気を吸っているという事実に、さらに悲しみを深めています」とファラジは語った。

パレスチナでは、2020年初頭に立法評議会選挙を行い、その後3か月以内に大統領選挙を行うことが予定されている。アッバスは以前、彼が再び選挙に出る予定はないと語ったが、ファタハの有力者フセイン・シェイクは、アッバスは依然として党の唯一の候補であると公言している。多くの人からファタハの最有力候補と見られているファタハの幹部ジブリル・ラジューブはパレスチナTVで、アッバスはパレスチナ人の「賢明な指導者」であり、他の人に彼の地位を譲るべきだと述べた。

また一部のアナリストは、ファタハのマフムード・アルール副議長がムハンマド・シュタイエ首相とともに候補者になることを予想している。反ファタハのリーダーでUAEに​​亡命中のモハメッド・ダーランはかなりの支持者を有しており、選挙が行われれば出馬することが予想されている。他の候補者としては、ハマスの指導者イスマイル・ハニエと元首相で無所属のサラーム・ファイヤードなどが考えられる。

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