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「心に直接、響かせたい」―再発見される和太鼓の伝統

2022年5月7日に撮影されたこの写真では、日本の和太鼓奏者で、鼓童のメンバーでもある藤本吉利さんが、佐渡島での演奏を終えた後、カメラを前にポーズをとっている。(AFP)
2022年5月7日に撮影されたこの写真では、日本の和太鼓奏者で、鼓童のメンバーでもある藤本吉利さんが、佐渡島での演奏を終えた後、カメラを前にポーズをとっている。(AFP)
2022年5月7日に撮影されたこの写真では、日本の和太鼓奏者で、鼓童のメンバーでもある小川蓮菜さんが、佐渡島での演奏を終えた後、カメラを前にポーズをとっている。(AFP)
2022年5月7日に撮影されたこの写真では、日本の和太鼓奏者で、鼓童のメンバーでもある小川蓮菜さんが、佐渡島での演奏を終えた後、カメラを前にポーズをとっている。(AFP)
2022年5月7日に撮影されたこの写真では、佐渡島での演奏会に参加する鼓童のメンバーである小川蓮菜さん(中央)を含めた日本の太鼓奏者が写っている。(AFP)
2022年5月7日に撮影されたこの写真では、佐渡島での演奏会に参加する鼓童のメンバーである小川蓮菜さん(中央)を含めた日本の太鼓奏者が写っている。(AFP)
2022年4月26日に撮影されたこの写真では、東京の宮本卯之助商店の作業場で、職人が和太鼓の修理に従事している様子が写っている。(AFP)
2022年4月26日に撮影されたこの写真では、東京の宮本卯之助商店の作業場で、職人が和太鼓の修理に従事している様子が写っている。(AFP)
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21 May 2022 06:05:58 GMT9
21 May 2022 06:05:58 GMT9
  • 和太鼓の人気がここ数年、国内外で高まっている

佐渡(日本)―日本の佐渡島のある集会場。堂々とした太鼓を前に、藤本吉利(フジモト・ヨシカズ)さん(71)がバチを操り、力強い音を床板いっぱいに轟かせている。

藤本さんは、ベテランの和太鼓奏者だ。和太鼓とは、宗教儀式や伝統的劇場、季節ごとの祭りの歓喜と自由奔放さに根差した音楽形式である。

しかし、古代からの歴史を受け継いでいるにもかかわらず、舞台演奏としての太鼓は、相当に現代的な発想も織り込まれている。その現代的要素は、あるジャズ演奏者によって進化を遂げ、部分的には日本で最も有名な太鼓芸能集団である佐渡島の「鼓童」(こどう)によって世に広められたものだ。

鼓童は2年間の厳しい訓練プログラムを通してメンバーを採用している。藤本さんは、演奏者の団員37人の中で最年長だ。

鼓童は、多くの人々に対し、日本の西海岸沖にあるこの佐渡島の魅力を知ってもらうために創設された芸能集団でもある。海外ツアーにも取り組み、和太鼓の音色を世界に響かせている。

「太鼓そのものが祈りのようなものです」。こう話す藤本さんは、1972年に佐渡にやってきて、鼓童の前身の太鼓集団に加わった。

「かつては、太鼓の音が届く範囲の地域が一つのコミュニティを形成する、と言われていました」。彼はこう続けた。

「私は太鼓を通して、聴衆と共にコミュニティの一部になりたいと思っています。そして、共生や共感のメッセージを伝えたいのです」

鼓童での活動は、大太鼓のスペシャリストである藤本さんにとって、生涯をかけたプロジェクトとなった。スタンドに取り付けられる巨大な大太鼓では、奏者は聴衆を背にして太鼓と向き合い、両腕を頭上に振り上げながらバチを叩く。

その音色は周囲のすべてを包み込む。聴衆の胸の深奥に入り込み、骨をも揺さぶるかのようだ。

和太鼓は、高度に身体的な楽器でもある。演奏中、藤本さんはうなり声を上げながら肉体を駆使する。あらわになった背中の筋肉は、バチの一打ごとに、衣装のストラップの下で脈打つ。

「音と一体になるのです」と、彼は言った。「太鼓を演奏するとき、私は生きていることを実感します」

鼓童のパフォーマンスは、厳粛な力をみなぎらせる大太鼓のソロ演奏から、笛や歌を交えたアンサンブルまで幅広い。聴衆の舞台参加を促すコミカルな間奏部分もある。

太鼓とは単に、ドラムの日本語を意味する。奏者は主に二種類の太鼓を使用する。

一つは、一本の木の幹をくり抜いて作る太鼓で、その胴の縁から牛革または馬革を張って鋲で留めてある。二つ目のタイプでは、太鼓の輪の部分に張った皮革を、ロープを使って木製の胴に装着してある。

これらの太鼓は、日本においては何世紀にもわたって、各種の儀式や、能や歌舞伎のような演劇の芸能形式の一部となってきた。

しかし、そうした文脈で行われる太鼓演奏がしばしば厳粛さを伴う一方、現代の太鼓演奏は、郷土の祭事により近いものとなっている。現代の太鼓演奏では、その演奏団は地元住民で構成される場合が多く、通りや広場で演奏する。コミュニティの結束を高め、災厄を払い、豊作を祈るのだ。

「現代の太鼓演奏は、郷土の祭事の太鼓演奏から多くのインスピレーションを得ています。これがより正式な伝統芸能と結び付き、私たちが現在見ている和太鼓へと進化していったのです」。宮本芳彦(ミヤモト・ヨシヒコ)さんはこのように話す。宮本さんが社長を務める宮本卯之助商店は、太鼓を160年以上にわたって作り続けてきた老舗だ。

宮本さんが言う「進化」の鍵となったのは、ジャズドラマーの小口大八(オグチ・ダイハチ)の存在だった。彼は1950年代から60年代にかけて、郷土の祭りの太鼓を現代のステージに取り入れた人物だ。

その後1969年、音楽家の田耕(デン・タガヤス)が佐渡に移り住み、太鼓一座を創設した。田が望んでいたのは、若者に佐渡島の魅力を知ってもらい、島に新しい活力を与えることだった。

前出の藤本さんは、故郷の京都を離れ、鬼太鼓座(おんでこざ)の名で知られるその太鼓一座に参加した。後に一座が分裂したときにも彼は佐渡に留まり、鼓童の創設に尽力した。

現在、鼓童に入団するためには、2年間の厳しい訓練プログラムを受ける必要がある。そこでは18~25歳の見習いの若者が、電話もテレビも持たず、寮生活を送る。

「一日は午前5時にスタートします。起床してすぐに外でストレッチをやります。それから、掃除に入り、床を磨きます」。今年訓練プログラムを終えたばかりの小川蓮菜(オガワ・ハナ)さん(20)は、このように話した。

掃除の後、訓練生はランニングを行って終日、練習に励む。休憩時間は食事の時だけだ。週1日、休日がある。

この訓練は、万人向けではないかもしれない。しかし、高校生の時に鼓童の演奏を見て入団を決めたという小川さんは、後悔はしていない。

「毎日幸せです。太鼓が大好きだし、入団という一つの目標を達成したからです。夢を叶えたのです」。AFPの取材に対し、彼女はこう答えた。

和太鼓演奏の人気はここ数年、国内外で高まっている。欧州や米国で演奏集団が創立され、宮本さんの太鼓店では、海外からの注文が着実に増えている。

「太鼓には、その音で人々を結びつける力があるのです」と、宮本さんは話した。

「特に現代では、機械音が至るところから聞こえてきます。けれども、太鼓は生皮を使用しており、胴も木製です」。彼はこのように続けた。

「自然の音を聞いているようでもあり、非常にオーガニックなのです。私はこのことが、太鼓の音が人々の心に直接、響いてくる理由の一つだと思っています」

AFP

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