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日本に留学するサウジアラビア人学生:異文化の生活、仕事、探求

日本の大学卒業式(提供写真)
日本の大学卒業式(提供写真)
01 Jul 2019 06:07:46 GMT9

ルバ・オベイド

  • 日本の大学を卒業したサウジアラビア人が自身の経験を語る
  • アムル・アルマッダ博士は2008年から2013年まで日本で暮らし、修士号と博士号を取得した

ジッダ:毎年、大学留学のため日本に渡ったサウジアラビア人学生が、多様で実務的な経験を身につけ帰国している。日本の大学を卒業した彼らは、官民を問わず労働市場で大いに活躍している。

ハッジ・ウムラ省(旧巡礼省)で最高戦略企画責任者を務めるアムル・アルマッダ博士は、2013年に日本の大学を卒業した。

ハッジ・ウムラ省では現在、顧問も兼務しており、またジッダのキング・アブドゥルアズィーズ大学の電気・コンピュータ工学部では、助教授も務めている。

2008年から2013年まで日本に滞在したアムル・アルマッダは、修士号と博士号を取得しており、日本での経験は人生を一変させるものであったと述懐している。

日本ではサウジアラビアと異なる文化に触れることで、内容の濃い経験を積むことができ、研究や仕事、私生活の面で影響を受けたという。

サウジアラビアは、自国の何千人もの学生に奨学金を提供し、世界中の教育機関に留学生を送り出している。

アムル・アルマッダによれば、サウジアラビア人の多くは欧米など他国の生活様式に慣れ親しんでいるという。「生活様式にある程度の共通点があります」とアルマッダはアラブニュースに語る。「メディアや映画などの情報源を通して欧米の文化に慣れ親しんでいるので、向こうでも生活の変化に戸惑うことはほとんどありません。一方日本では、言語、生活様式、公共のモラル、社会習慣、働き方、医療制度など、何もかもが違います」

アムル・アルマッダは、大阪大学で知能システム学の修士号・博士号を取得したほか、キング・アブドゥルアズィーズ大学では電気電子通信工学の学士号を取得している。

2008年には、ロボット工学とエンジニアリング・サイエンスにおける研究成果や国際的な活躍が認められ、日本の大学院への奨学金を日本政府から授与されている。

「ロボット工学と人工知能には大変興味があり、国際ロボット競技会にも参加していました」とアルマッダは言う。

複数の国から奨学金の申し出があったが、ロボット工学で世界の先を行く日本を選んだとのことだ。

日本では8つの大学に入学を認められたが、最後には大阪大学に決めた。

経験から得たもの

「文化に大きな違いがあったおかげで、日本語学習は捗りました。日本で自分の新しい個性を発見できたのも、こうした経験あってこそです」

日本での滞在中に人間として成長を遂げたアルマッダは、問題の解決・管理能力を身につけただけでなく、健康な生活様式を取り入れ、さらに知識やスキルを研ぎ澄ますことができた。

アルマッダにとって、日本での生活に適応することは容易ではなかったが、人生における貴重な教訓を得ることができたという。「言語と文化の違いという課題があったおかげで、将来の日常生活で何か問題が起きても、スムーズに対処し解決しようと思う原動力が芽生えました。変化に順応し、どんな場面でも解決策を見つけられる能力が身についたのです」

新しい国に移り住み、現地の生活様式に適応し、修士号と博士号を取得したアルマッダは、もはやどんな課題に直面しても困ることはないと言う。「私の人生には、手に負えない問題などもうありません」

言語の障壁を乗り越える

アルマッダはわずか6ヶ月で、高等教育を始めるのに必要な日本語能力を身につけた。「日本人は全く英語が話せません。私が滞在した当時は特にそうだったので、留学生は日本語でやり取りすることを迫られていました。教員とも日本語で会話し、日本語を教える講義すら日本語で行われていました」

「新しいことを学んだら、講義室を出てすぐに使いました。この方法は日本語能力を伸ばすのにとても役立ちました」

アニメや映画を通じ、事前に日本文化に関する知識をつけていたアルマッダは、かなりの量の語彙や表現を覚えていた。「そのおかげで、日本語の引き出しが既にできていました」

加えて、日本語が難しい言語でないのは助かったという。「話し言葉と書き言葉に違いがないのです。また、私にとって全く新しい言語体系だったので、学習がさらに捗りました。既存の知識を土台にしたり、引き合いに出す必要がなかったからです。フランス語より簡単でした」

旅のはじまり

「大学のオリエンテーションで、勤務時間について上司に尋ねて返ってきた答えは、私の日本での生活を端的に表していました」

上司の返事はこうだった。「日本に来た君は、目の前にいる人たちと共に8割の時間を過ごすことになる。彼らを日本での家族と捉えてほしい。私は上司として君の父親のようなものなので、君がすることを全て把握しなければならない」

上司は続けた。「実家で父親に見せるのと同じ敬意を、私にも見せてほしい。兄を敬うように、先輩を敬ってほしい。それに加え、弟と同じように、後輩の面倒を見てもらいたい。これが私たちの働き方であり、私たちのやり方だ」

最初は奇妙に聞こえたが、後に、日本で生活する上であらゆる面に通じる、現実的な助言であることに気付いたと、アルマッダは言う。

文化の共通性と差異

日本以外の国でも職務経験や教育を経てきたアルマッダだが、日本文化には感傷的な愛着を感じたという。「日本での滞在中、日本文化に対して故郷のような帰属意識を感じていました」

アルマッダは続ける。「日本人は公共の倫理をとても重んじます。高齢者を敬ったり、身の回りの清潔を保ったり、誰にでも挨拶をしたり、他人のプライバシーを尊重したり、話し方のマナーを守ったりなど、倫理の基本に立ち返れば、私たちの文化や宗教に根付いた習慣と一致していることが分かります」

しかしアルマッダも、日本の厳格な社会規範に適応するのには苦労した。

日本人の受け答えの仕方や対人関係は、仕事への依存や生活様式の性質にも影響を受けており、アルマッダは人混みの中にいても、距離感や孤独感を感じていた。

「例えば、アラブ人は雑談やユーモアが大好きですが、日本人は全くそうではありません」とアルマッダは言う。

「私たちなら、忙しい日々で生じる心配事や不満を他人と共有し、その話で盛り上がります。知ったばかりの人でもお構いなしです。社会的に問題ない行為なのです」

日本人は違います。友達であっても、対人関係には必ず通り抜けできない厳密な境界線が引かれています。「雑談したり日頃から活発的に振る舞うのに消極的なのは、仕事の性質が原因です」

アルマッダによれば、留学生と社会を隔てているのは言語ではなく、生活様式の違いだという。文化的な差異により、他人に何を期待するかも日本では異なると、留学生たちは感じている。「日本人は、感情の交わし方や、人間関係に何を期待するかが違います」

「この境界線を乗り越えることはできますが、アラブ文化のような人間関係までには発展しません」とアルマッダが語る。

自然もまた、アルマッダが日本で経験した中で特筆すべき点の一つだ。「日本で生活すると、四季折々の自然の美しさに触れることができます」

「自然の多様性と、それにまつわる思い出やエピソードは、あらゆる点で日本ならではの体験でした」

幅広く実務的な経験

「研究を始めた頃は、トヨタやホンダなど大企業と共同で、莫大な予算のプロジェクトに取り組んでいました」

「統合的な環境で研究するなかで、自分の能力を実感し、試し、活用することができたのは、日本が与えてくれた恩恵の中でも特に素晴らしいものです」

また、学生が職場環境を信頼してくれたおかげで、自分のポテンシャルを存分に試すことができたという。

サウジアラビアに帰国後、幅広く実務的な経験が身についたアルマッダは、引く手あまたであった。キング・アブドラ石油研究センター、サウジアラビア研究・出版会社、ミスク財団など、複数の官民の研究機関に勤務した。

現在は大学教授を務めているが、その間にも複数の研究機関の職を兼務してきた。直近の例はハッジ・ウムラ省だ。

日本の働き方を身につけたアルマッダは、同僚に対して大きく特徴的なアドバンテージを手に入れた。

「日本には、欧米と大きく異なる、日本流の企業経営と産業が根付いています」とアルマッダは言う。

「日本で働いたからこそ身についたのは、学位の類よりも、日本流のやり方によるところが大きかったと思います」

アルマッダが働いた日本流の環境では、事務作業もプロジェクトも取り組み方が違っていた。サウジアラビア市場では新しい勤務モデルだ。「多様な職歴や実務経験が身につく環境は、サウジアラビアにも必要です」とアルマッダは述べる。

サウジアラビアでの職務経験と、欧米の勤務体系に関する知識は、アルマッダの経験をより幅広いものにした。

「何事にも困難はつきものですが、Vision 2030に定めた通り、国が求めているのはイノベーションと発展です。Vision 2030の目標は、世界中から最適な答えを探り出し、サウジアラビアに持ち帰ることです」

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