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サウジアラビア皇太子がG20開催国を訪れ、日本とイスラムの関係が注目を浴びる

写真のキャプション:サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子が、日曜日に広島平和記念資料館を訪れる様子。 (SPA)
写真のキャプション:サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子が、日曜日に広島平和記念資料館を訪れる様子。 (SPA)
写真のキャプション:サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子が、日曜日に広島平和記念資料館を訪れる様子。 (SPA)
写真のキャプション:サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子が、日曜日に広島平和記念資料館を訪れる様子。 (SPA)
写真のキャプション:サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子が、日曜日に広島平和記念資料館を訪れる様子。 (SPA)
写真のキャプション:サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子が、日曜日に広島平和記念資料館を訪れる様子。 (SPA)
01 Jul 2019 05:07:52 GMT9

Hala Tashkandi

東京:Furat Bantanはサウジアラビア人の翻訳者で、過去13年間日本で働いている。彼の人生の目標はシンプルで、日本語とアラビア語の最高の翻訳者の1人となり、最終的にはアラブ世界と日本の架け橋になることだという。

Bantanは以前は東京のアラブ イスラーム学院で働いていたが、現在はレバノン大使館の翻訳者である。この学院は、リヤドにあるイマーム・ムハンマド・イブン・サウード・イスラーム大学の分校である。文化的なつながりを築き、アラビア文化の理解を促進することを願ってサウジ政府から日本へ贈られた。

「日本の文化と宗教についての理解を深めることで、彼らの考え方に共感し、彼らが受け入れ、理解できる方法でイスラムの教えを伝えたいのです」とBantan氏はアラブニュースに語った。

イスラム教は世界で最も信仰されている宗教の1つであり、ピュー研究所によると、世界中のイスラム教徒の数は約16億人である。イスラム教はまた、世界のすべての信仰の中で最も高い成長率を誇る宗教の1つで、同研究所の調査によると、信者数は2050年には28億人にまで増加すると予測されている。

しかし、日本のイスラム教徒コミュニティーは、他の多くの東アジア諸国のイスラム教徒人口に比べて非常に小さい。正確な数はいまだ推測の域を出ないが、公式の研究によると100,000〜185,000であり、人口1億2680万人の国としてはわずかだと言える。別の言い方をすれば、イスラム教徒が日本の人口に占める割合は0.1パーセント未満だ。

日本のイスラム教徒は数の面では劣っているが、精神でそれを補っている。多くの組織がイスラムの伝統を守り、宗教的なサービスを提供することに専念している。より有名なものとしては、ジャパン・イスラミック・トラスト、イスラミク・センター・ジャパン、日本アジアハラール協会が挙げられる。

日本全国には200以上のモスクが点在しており、その規模は、渋谷区の東京ジャーミイなどの大規模で精巧な建造物から、大学や公共交通施設にある小さな礼拝室にまで及んでいる。

主なモスク

  • 神戸モスク、神戸
  • 東京ジャーミイ、東京
  • 御徒町モスク、東京
  • マスジド大塚、東京
  • 名古屋モスク、名古屋
  • ダール・アル・アルカム・マスジド、東京

 

近年、日本に住むインドネシア人イスラム教徒は、大都市圏外に住むイスラム教徒のために、田舎のアパートやオフィスに小さなモスクを建設する目的で寄付を募ったり資金を集めたりしている。

かつてBantan氏が働いていた東京のアラブ イスラーム学院では、アラビア語の学習に興味のある日本人に対し無料でアラビア語の授業を行っている。思った以上に多くの人々が授業を受けることに興味を持っていると彼はアラブのニュースに語り、さらにこう付け加えた。「日本人は今日の政治情勢を背景に、イスラム教にさらに興味を持つようになっているのです」

Bantan氏は、地元のイスラム組織の教訓と文化的指導に触れ、多くの日本人がイスラム教を受け入れるのを見てきたと語った。「私がアラブ イスラーム学院にいた時は、週2〜3人がシャハーダを唱えにやってきていました」と、彼はイスラムの信仰の職業に言及し語った。

「いまでは、日本人のイスラム教指導者さえ存在します。彼らはイスラムの専門家で、同胞を仲間として迎え入れるという形で影響を与えています」

日本のイスラム教徒人口が少ない理由は、イスラムがどのようにしてこの国にやってきたかに大きく関係している。日本の宗教史は、ほとんどの東アジア諸国、特に中国とは大きく異なっている。中国では、預言者ムハンマドの仲間が貿易のために中国を訪れ、イスラム教のメッセージを広めた努力が実り、イスラムの教えは1400年以上にわたって実践されてきた。

ペルシャの地理学者であるイブン・フルダーズベは、早くも9世紀に日本に初めてイスラム教を伝えた人物であると考えられている。しかし、イスラム教徒の人口は、ロシア革命の後、ロシアから逃れてきたトルコ・タタールのイスラム教徒が日本に亡命してきた際に初めて大きく増えることとなった。これらの難民は、後に地元の人々と接触し、多くの日本人がイスラムに改宗することを選ぶ結果となった。

日本のイスラム史において重要な出来事は、1968年に改宗前は三田了一と呼ばれていた日本人のイスラム教徒ウマル・ミタ氏が、聖クルアーンの翻訳を完成させたことだった。メッカにあるムスリム世界連盟の承認を受け、日本語のコーランが1972年に初めて出版されたのだ。

現代日本は、イスラム世界と広範にわたりビジネス関係を保っている。日本とサウジアラビアに限った年間貿易額は現在266.7億ドルにのぼる。サウジアラビアにとって、日本は世界最大の輸出先であり、2番目に大きな外資源であり、3番目に大きな貿易相手国である。

しかし、今日の日本におけるイスラム教徒の生活はどれほど楽、もしくは困難なのだろうか。サウジアラビアから移民としてやってきてほぼ12年間日本に住んでいるAbdulaziz Alforieh氏は長所と短所をよく知っている。日本工業大学で修士号を取得し、日本で生活することを選んだ彼は、地元のパートナーたちと一緒に会社を経営している。

Alforieh氏によると、信仰のせいでいやな経験をしたことはないという。日本人は見知らぬ人たちやちょっとした顔見知りとは宗教などの話題について公に話し合うことはないからだと彼は考える。

「特定の宗教を信仰していることを知っている場合、日本人はそのことを非常に尊重します。心の中で受け入れるかどうかは関係ありません。もし公の場で祈りをささげるための場所を見つける必要があったとしても、だれも気にしないのです」とAlforieh氏はアラブニュースに語った。

日本語を話すと大分違うが、ハラール料理を見つけるのはかなり難しい、と彼は語り、次のように続けた。「観光地以外の場所で英語を話す人を見つけるのは難しいですが、地元の人々とコミュニケーションが取れる限り、イスラム教徒向けの食べ物を見つけるのはずっと簡単です」

Alforieh氏が気づいたことの1つは、日本のマスコミは、イスラムのより誤解されている側面に集中する傾向があるということだ。彼は、豚肉を食べることやアルコールを飲むこと(この2つは日本料理に欠かせないものだ)に対するタブーや、サウジアラビアの男性はみんな妻が4人いるといった考えに言及し、こういった話題は多くの興味をかき立てるが、聴衆を教育するのには何の役にも立たないと語った。

「しかし、私たちは皆、こういった誤解を正すために努力していて、影響を与えることができることを願っています」と彼は語った。

日本でラマダンを行うことに関しては、Alforieh氏はサウジアラビアに戻るよりも日本で断食する方が簡単だと感じると語る。「私が働いたことのある会社はすべて、イスラム教徒にも働きやすい環境でした」と彼は言う。「同僚たちは私がやるのを見てから断食に興味を持ち、彼らも試してみていました。仕事で忙しくなると時間が飛ぶように過ぎますし、ほとんど気づかないほどです」

「でも、家族と一緒にイードを祝う雰囲気が恋しくなります。イスラム教徒コミュニティーが最善を尽くしているのですが、ただここだと故郷と同じようには感じられないのです」

Alforieh氏と翻訳者のBantan氏は、イスラム教徒としてそれぞれ日本の人々へのメッセージを伝えたい。「あなた方の行う事はすべて報われます。世界にとって良いことをやり続けてください」とAlforieh氏は語った。

Bantan氏からのメッセージはこうだ。「イスラムについて読んでください。自ら学んでください。メディアや周りの人たちが言っていることをただ聞いたりしないでください」

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