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ナゴルノ・カラバフ:「消耗品の兵士」として用いられるシリア人

ナゴルノ・カラバフにおける休戦合意の後、検問所の一つでアルメニア人の兵士が警戒に当たる。シリア人たちは、いかように騙されて紛争地での戦闘に加えられたのかを詳細に語った。(AFP/File)
ナゴルノ・カラバフにおける休戦合意の後、検問所の一つでアルメニア人の兵士が警戒に当たる。シリア人たちは、いかように騙されて紛争地での戦闘に加えられたのかを詳細に語った。(AFP/File)
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11 Dec 2020 07:12:32 GMT9
11 Dec 2020 07:12:32 GMT9

アラブニュース

  • 「歩哨の仕事」に人生を変える2,000ドルの提示があったが、最悪の最前線での戦闘に行き着いた、と補充兵は語る
  • 兵士はBBCに語る:「私は恐怖で麻痺してしまい、死が我々の周りを取り囲んでいた」

ロンドン: 4人のシリア人がアゼルバイジャンでの歩哨の任務に参加しただけなのに、ナゴルノ・カラバフ紛争地での戦闘に雇い兵として送り込まれた、と主張。

イギリスのBBCに直接伝わったこの主張は、トルコとアゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフ紛争での雇い兵使用を否定した際に為された。

8月、北シリアの反政府軍が押さえている地域に住む人々は海外に有給雇用の話があると聞かされた。

そのシリア人たちの一人がBBCに語る:「私に一人の友人がいて、その人から君ができるとても良い仕事があると聞かされた。アゼルバイジャンにある軍の検問所にいるだけの仕事ということだった。」

もう一人が言う:「彼らは私たちの使命は歩哨として国境線上で働くことだと言った。和平監視者として。彼らはひと月に2,000ドルを提示していた。私たちにはその額が一財産であるように感じました。」

二人ともその仕事にシリア国軍を構成するトルコが支援する反政府軍兵士を介して応募した。シリア国軍はバッシャール・アサド大統領の政体に抵抗しているグループの一つである。

シリアの内戦によって経済の破綻が起こり、賃金が低下した。現在その地域に住む人のほとんどが一日に1ドル以上を稼ぐことはない。その結果として、約束された給料は「天の恵み」に思えた、とシリア人の一人は語る。

最近の試算によれば1,500から2,000人の男性が応募し、トルコ経由で軍用機に乗ってアゼルバイジャンに向かった。

だがこの人たちは計画的に欺かれた。多くの者が軍の経験を持ってなかったのにも関わらず、彼らは戦争のために採用されていたのである。この命がかかった奸計は彼らが最前線に連れていかれ、戦うように命令された時に明らかになった。

シリア人の一人は言う:「私は生き残れるとは期待していなかった。そのチャンスは1パーセントに思えました。死が私たちの周りを取り囲んでいましたし。」

アゼルバイジャンとその地域の同盟国トルコは紛争地での雇い兵使用を否定した。しかし、兵士たちによってネットに上げられたビデオや写真から調査員が写真の証拠を拾い集めたところ、異なるストーリーが見えてきた。

このシリア人たちはアゼリ線の南側に展開させられた。この線の両側ではかなりの数の犠牲者が出ていた。兵士たちはBBCに「激しい砲火に晒された」と語り、その経験がトラウマになった、と語る。彼らは軍の高官によって仕返しをされるのを恐れ、匿名のままであることを選んだ。

「私が経験した最初の戦闘は着いた日の次の日に始まりました」と一人が言う。

「私とおよそ30人が前線に送られたのです。私たちが50メートルほど歩いた時、突然ロケット弾が我々の近くに着弾しました。私は大地に伏せました。その砲撃は30分続きました。その時間が数年のように感じられました。その時です、私がアゼルバイジャンに来たことを後悔したのは」と彼は語る。

「何をすればいいのか、どう反応していいのか、私たちには分かりませんでした」とまた別の兵士は語る。彼はまた、自分を含めて多くの仲間である補充兵が軍隊訓練は言うまでもなく、ほとんど戦争の経験がなかった、と続けます。

「私は人々が死んでいくのを見ましたし、また別の人たちがただ走り回っているのを見ました。彼らにはどこへ向かっているのかの感覚はありませんでした。何故なら彼らは基本的に言って民間人だったからです」と彼は語る。

この4人が主張するのは、シリア人補充兵は身を守る装備も医療援助もほとんど与えられていなかったということだ。多くの兵士が看護兵がいたなら治療できたはずの傷が原因で、血を流しながら死にました」と彼らは言う。

「最も辛かったのは私の友の一人がやられた時です」と一人の兵士が語る。この兵士は榴散弾で負傷した後、病院に入院することになった。「砲弾が着弾した時、彼は私から20メートル離れた場所にいました。私には彼が倒れるのが見えました。彼は私の名前を呼び、悲鳴を上げていました。でも彼がいた場所はアルメニア人のマシンガンに晒されていたのです。彼を助けることが私にはできませんでした。結局彼はその場で死んだのです。」

別のシリア人兵士は砲撃が始まった時に「恐怖で麻痺」してしまった、と言う。

「私はただ大地に座って泣き叫んでいたことを憶えています。私の負傷した友人たちも同様に泣き始めました」と彼は語る。「一人の者が頭に榴散弾の怪我を負ってしまいました。彼はその場で死にました。毎日その光景が私に蘇ってきます。私といえば、今でも座って泣いています。どうやってこの戦争を生き延びたのかが私には分かりません。」

この紛争における死者の推定数は様々である。公表された数字によればアルメニア側で合計2,400人であり、アゼリ側でほぼ3,000人とされている。しかしアゼルバイジャンはその死者の中にシリア人がいたことを認めていない。

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