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貧困と恐怖が、かつてのダーイシュ首都からの脱出を促す

カリフを自称するダーイシュの事実上の首都であった、約30万人が住むラッカ。現在は自由の身となっているが、住民の多くは脱出を望む。(AP/バダーカン・アーマド)
カリフを自称するダーイシュの事実上の首都であった、約30万人が住むラッカ。現在は自由の身となっているが、住民の多くは脱出を望む。(AP/バダーカン・アーマド)
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23 Feb 2022 12:02:29 GMT9
23 Feb 2022 12:02:29 GMT9

シリア・ラッカ:数年前までダーイシュの残忍な支配下にあったシリアの都市、ラッカ。その恐ろしい静粛の舞台となっていた広場に座り、マフマド・ダンダー氏は途方に暮れている。

彼はシリアを離れたいが、問題がある。75歳の彼は、資産と呼べるようなものを持っていない。彼は、抗議行動や戦争によって国が崩壊し、通貨が暴落する前の昔を思う。当時のシリアは繁栄してはいなかったが、彼には仕事があった。彼の子供たちには大学の学位と、普通と言える将来があった。食卓にはいつも食べ物があった。

そのすべては、失われた。「地に落ちたのです。この国の通貨と同じように」

約30万人が居住するラッカは、カリフを自称するダーイシュの事実上の支配下にあったが、今では自由の身である。しかし、資産を持つものは、それを現金に変え、トルコへの旅費を貯めようとしている。持たざるものは、日々を生きることに必死だ。

ラッカの市民評議会共同議長、モホメッド・ノア氏によると、2021年には少なくとも3000人がラッカからトルコに向けて出発したという。

その理由は様々だが、世界で最も複雑な紛争地域のひとつである、シリアの戦後の生活が影響していることは間違いないだろう。最悪の干ばつによる経済崩壊と失業の拡大、ダーイシュの復活と犯罪組織の増殖の恐れなどが挙げられる。また、トルコ、ロシア、シリア政府軍などの、シリア北部の各地域を支配する勢力間の紛争勃発の危険性も無視できない。

同地域は、表面的には、ダーイシュの支配から少しずつ回復している様子が伺える。カフェやレストランには多くの客が訪れている。主要な交差点には、クルド人主導の部隊が見張りに立つ。

しかし、米国の支援を受けたクルド人部隊が統治するアラブ人が多数を占めるこの都市では、貧困が蔓延している。パンのような基本的な食料支援を求める人々が列をなし、失業した若者たちが座り込んでいる。水も電気も限られている。多くの人々は、いまだに爆撃された廃墟の中で暮らしている。地元関係者によると、街の少なくとも30%は破壊されたままだという。

そして、貧困と失業は、若者たちをダーイシュに引きずり込む。クルドの捜査官によると、先月捕らえられたダーイシュの新兵は、賃金に釣られていたという。その一方で、クルド人主導の市政では、昨年、2万7000人の求職者から応募があったにもかかわらず、それに見合う仕事は無かった。

35歳のエンジニアであるミルヘム・ダハー氏は、ヨーロッパへの亡命を目指すシリア人移民にとって重要なルートである、トルコへの脱出を計画中だ。自分と家族8人を連れて行くための密入国業者への支払いのために、自宅や事業所、不動産を売却しているところだ。

彼は十分な資金ができ次第、すぐに出発する予定である。

ダハー氏は、ラッカの近年の激しい歴史を生き抜いてきた。2011年にはシリア内戦が勃発、2014年には過激派組織ダーイシュがラッカを占領し、シリアとイラクにまたがるカリフ制国家の首都とした。米国主導の連合軍は、ダーイシュを追放するために、かつては活気に満ちていたこの街に何千発もの爆弾を投下し、2017年にそれは成功した。ダーイシュは、2019年にはシリアにおける最後の領土の足場を失った。

ダハー氏は暗黒の時代から、この地で生きるための努力は続けていたと言う。しかし、資源や輸出市場の不足など、多くの障害に直面したと語る。「地元の人と取り引きしても、利益は出ません」

最初の挑戦では、種を買って野菜を栽培した。しかし収穫期になっても、業者は希望額を払おうとしなかった。

また、復興のために瓦礫を運ぶトラックを購入した。しかし、市場に出回っている燃料が不足していたり、メンテナンスのための資材が不足していたりして、車の品質はすぐに劣化してしまった。他にも、ポテトチップスの工場やインターネットサービスの会社も経営難に陥った。

最後に、ダハー氏は家畜を購入したが、壊滅的な干ばつで飼料が不足した。飼っていた牛は死んでしまった。

今、彼は新しい生活を始めるために、これらの失敗した事業に残った僅かばかりの資産を売りに出している。彼は1万ドルを必要としている。

ラッカでは、身代金目的の誘拐事件が増加しているため、現金の保有自体がリスクになることもある。

不動産開発者のイマーム・アル・ハサン氏(37)は、軍服を着た攻撃者に家から連れ出され、数日間拘束された。

解放と引き換えに、彼は40万ドルを支払った。これは彼と、彼を信頼していた商人たちの貯金であった。彼は地元の当局に訴えたが、何もしてくれなかったという。この試練から1カ月経った今でも、顔や足にはあざが残っている。

アル・ハサン氏も、家や持ち物を売っている。「この地には、私に残されたものは何もありません」

9月に出国し、最近ヨーロッパに到着したアル・ハサン氏の親戚2人は、経済的な不安に加えて、さらなる暴力の脅威が出国の後押しになったと語った。

「いつ爆発するかわからない状況のなか、どうしてそこに留まることができるでしょうか」とイブラヒム氏(27)は語る。イブラヒム氏とモハメッド氏(41)は、いまだ市内に住む妻や子どもの安全を考慮し、名字のみの条件で語った。

他の多くの人々と同様、彼らのシリア北東部からヨーロッパへの旅は、トルコとの国境にまたがるラス・アルアインという町のトンネルから始まった。

密入国業者は一人当たり2000ドルを請求してきた。そこから先のヨーロッパへの道のりは、危険と隣り合わせだった。

イブラヒム氏はベラルーシから始まった苦難の旅を経て、先週ドイツに到着した。モハメッド氏は危険な道のりを歩いた後、船でギリシャに向かった。そして10月にオランダにたどり着いた。

モハメッド氏は、家族をラッカからヨーロッパに呼び寄せるチャンスを待っていると、電話インタビューで答えている。今のところ、彼には仕事がない。

リーム・アル・アニ氏(70)は、2人分のお茶を用意している。4人の子どものうち、シリアに残っているのは息子ただ1人。他の子供たちは世界各地に散らばっている。

アパートに続く階段には、ダーイシュ追放の戦闘の名残で、弾痕が散見される。天井は煙で焦げている。

彼女は、静かな家に慣れてきたが「子供たちに会いたい」と呟いた。

近くのナイム広場では、年老いたダンダー氏が、前職の政府関連職から支給される年金がどんどん減っていく中で、なんとか生活しているという。

彼の3人の子供たちは、工学と文学の大学を卒業し、1人は教師だったという。しかし、誰も仕事を見つけることができていない。彼は、子供たちを出国させるための資金があれば、と思っている。

「毎日、どうやって脱出しようかと考えています」

AP

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