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サルマン・ラシュディ氏刺傷は「事前に計画されていた」:検察官

法廷での罪状認否の後、ヘイディ・マタール容疑者と会話する同容疑者の弁護人ナサニエル・バローン氏(左)。2022年8月13日、ニューヨーク州メイビル。(AP写真/Gene J. Puskar)
法廷での罪状認否の後、ヘイディ・マタール容疑者と会話する同容疑者の弁護人ナサニエル・バローン氏(左)。2022年8月13日、ニューヨーク州メイビル。(AP写真/Gene J. Puskar)
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14 Aug 2022 07:08:49 GMT9
14 Aug 2022 07:08:49 GMT9
  • マタール容疑者は4月11日に初心者向けのフィットネスボクシングクラブに入会していたが襲撃の数日前に退会したと、クラブのマネージャーは話している

メイビル、ニューヨーク:サルマン・ラシュディ氏の襲撃刺傷事件に関連して訴追された男は土曜日、検察官が「事前に計画されていた」犯罪だとしたこの事件における殺人未遂および暴行の罪について無実を主張した。「悪魔の詩」の著者として名高いラシュディ氏は、重傷を負って今も入院している。

ヘイディ・マタール容疑者の弁護士は、ニューヨーク州西部で行われた罪状認否において同容疑者に代わって申し立てを行った。同容疑者は黒と白のジャンプスーツと白いマスクを着用して、体の前で両手に手錠をかけられた状態で法廷に現れた。

ジェイソン・シュミット地方検事が裁判官に対し、マタール容疑者はラシュディ氏が講演する予定だったイベントの前売り券を入手したうえで前日に偽造身分証明書を持って現地入りしていたことから同氏に対して故意に危害を加える意図を持っていたと述べると、裁判官は同容疑者を保釈せずに拘留するよう命じた。

同地方検事は、「これはラシュディ氏に対する、標的を定めた、正当な理由のない、事前に計画された襲撃だった」と述べた。
公選弁護人のナサニエル・バローン氏は、当局がマタール容疑者を裁判官の前に連れてくるのに時間がかかりすぎたこと、また同容疑者が「州警察の兵舎のベンチにつながれた」ままだったことを訴えた。

「彼には憲法上の権利である推定無罪が適用される」とバローン氏は続けた。
24歳のマタール容疑者は、金曜日に非営利の教育・リトリートセンター「ショトーカ・インスティテュート」での講演に際してラシュディ氏が紹介されていた時に同氏を襲撃した罪に問われている。

75歳のラシュディ氏は、肝臓に損傷を受け、片腕と片目の神経が切断されており、人工呼吸器につながれているため話せない状態だと、同氏の代理人であるアンドリュー・ワイリー氏が金曜日の夜に発表した。同氏は損傷を受けた目を失明する可能性がある。

今回の襲撃に、世界の多くの人々が衝撃と怒りを表明した。また、「悪魔の詩」を書いたことで殺害脅迫に30年以上直面してきた、この受賞歴のある作家に対する賛辞・称賛の声も相次いだ。

作家、活動家、政府関係者らは、ラシュディ氏の勇気と、身の危険を顧みず長年にわたって言論の自由を擁護してきたことに言及した。

作家で長年の友人であるイアン・マキューアン氏は、ラシュディ氏のことを「世界中の迫害された作家やジャーナリストの精神的擁護者」と評した。俳優で作家のカル・ペン氏は、「ある世代のアーティスト全員にとってのロールモデルだ。特に我々南アジアのディアスポラの多くにとってはそうであり、また我々に驚くべき温かさを示してくれた」と述べた。

ジョー・バイデン大統領は土曜日に出した声明の中で、襲撃事件にファーストレディーのジル・バイデン氏と共に「ショックを受け悲しんでいる」と述べた。

「サルマン・ラシュディ氏は、人間に対する洞察、類稀なる物語のセンス、脅迫や口封じへの抵抗によって、本質的で普遍的な理想を体現している」と声明は述べている。「真実。勇気。レジリエンス。恐れることなく意見を表明できること。これらは自由で開かれた社会の構成要素である」

インドで生まれイギリスや米国で暮らしてきたラシュディ氏は、超現実的で風刺に富んだ散文体で知られる。その始まりとなったのが1981年にブッカー賞を受賞した小説「真夜中の子供たち」で、この作品では当時のインドのインディラ・ガンディー首相を鋭く批判している。

1988年に「悪魔の詩」が出版されると、預言者ムハンマドの生涯に基づいた夢の場面をイスラム教徒の多くが冒涜と見なすなど数々の抗議の声が上がり、殺害の脅迫がなされた。ラシュディ氏の著作がインドやパキスタンなどで禁書・焚書とされた後、1989年にはイランのアヤトラ・ルホラ・ホメイニ師が同氏の殺害を求めるファトワ(宗教令)を発した。

同年ホメイニ師は死亡したが、このファトワはまだ効力を持っている。イランの現在の最高指導者であるハメネイ師はこれを撤回するファトワを発していないが、近年の同国はラシュディ氏にそれほど注意を払っていない。

捜査当局は、「悪魔の詩」出版の10年後に生まれた襲撃者が単独で行動したのかどうかを明らかにしようとした。
シュミット地方検事は、釈放に反対する主張をする中で、ファトワが犯行動機となった可能性を示唆した。

「この法廷が100万ドルの保釈金を設定したとしても、支払われてしまう恐れがある」と同地方検事は述べた。

検察官は、「被告の資金力は問題ではない。昨日実行に移された計略は、ショトーカ郡の管轄を大きく超えたより大きな集団や組織によって採用され認められているものであると理解している」と答えた。

審理後、公選弁護人のバローン氏は、マタール容疑者と率直にやり取りできており、心理的問題や薬物依存の問題の可能性も含めて同容疑者について知る努力を今後数週間行っていくと述べた。

マタール容疑者はニュージャージー州フェアビューに在住していた。近隣のノース・バーゲンにある小規模で結束の強いジムであるステイト・オブ・フィットネス・ボクシング・クラブのマネージャーのロザリア・カラブレーゼさんによると、マタール容疑者は4月11日に入会し、健康増進を目指す初心者向けのグループセッションに27回ほど参加したが、数日前に彼女にメールで「しばらく来られない」から退会したいと言ってきたという。


ジムのオーナーのデズモンド・ボイルさんは、マタール容疑者は「全く暴力的ではなく」、礼儀正しく物静かだったが、いつも「物凄く悲しそう」だったと語った。彼や他の人が歓迎したり仲間に入れたりしようとしても受け付けなかったという。

「来る時はいつもそのように見えました。人生最悪の日みたいな感じでした」とボイルさんは言う。

マタール容疑者は、レバノン南部のヤルーン村からの移民である両親のもとに米国で生まれたと、同村のアリ・テフェ村長はAP通信に語った。

村中に、イランを後ろ盾とするシーア派武装組織ヒズボラの旗や、指導者のハッサン・ナスラッラー氏、ハメネイ師、ホメイニ師、殺害されたイランのガセム・ソレイマニ少将の肖像画が見られる。

土曜日にヤルーン村を訪れた記者は退去を求められた。ヒズボラ広報部にコメントを求めたが返答は得られなかった。

イランの神権政府と国営メディアは、今回の襲撃の動機に関してはコメントしていない。テヘランでAP通信がインタビューしたイラン人の中には、イスラム信仰を汚したと彼らが考える著者に対する襲撃を称賛する人もいれば、これによってイランがさらに孤立することを恐れる人もいた。

AP通信の記者は、襲撃者がラシュディ氏を10~15回ほど刺し殴るのを目撃した。治療に駆けつけた医師の一人であるマーティン・ハスケル医師は、同氏の傷は「重傷だが回復可能」としている。

警察によると、イベントの司会をしていたヘンリー・リース氏(73)も顔面を負傷したが、病院で治療を受けて退院した。同氏とラシュディ氏は、亡命した作家やアーティストの避難先としての米国というテーマを議論する予定だった。

州警察の警官1人と郡保安官代理1人がラシュディ氏の講演の警備にあたっており、州警察によるとその警官が襲撃犯を逮捕した。しかし事件後、長年このセンターを訪れている人たちから、脅迫を受け300万ドル以上の懸賞金が掛けられているラシュディ氏に対して何故もっと厳重な警備が敷かれなかったのかという疑問の声が上がった。

刺傷事件のニュースをきっかけに、1989年にファトワが発された後ベストセラーリストのトップとなった「悪魔の詩」に対する関心が再び高まっている。土曜日午後の時点で、この小説はAmazon.comの売上ランキングで13位に入っている。

1988年に同書が出版されると、イスラム世界全体でラシュディ氏に対するしばしば暴力的な抗議が巻き起こった。同氏はイスラム教徒の家庭に生まれたが、無信仰者を長年自称しており、「筋金入りの無神論者」だと言ったこともある。

暴動で少なくとも45人が死亡し、その中にはラシュディ氏の故郷ムンバイでの12人の死亡者も含まれていた。1991年、同書を翻訳した日本人が刺殺され、イタリア人翻訳者はナイフによる襲撃を受けたが生き延びた。1993年には、同書をノルウェーで出版した人物が3回撃たれたが一命を取り留めた。

殺害脅迫がなされ懸賞金が掛けられたため、ラシュディ氏はイギリス政府の保護プログラムの下で身を隠すことになり、24時間体制の武装警備を含む保護を受けた。9年間潜伏した後、同氏は慎重に再び公の場に出るようになった。宗教的過激主義全般に対する歯に衣着せぬ批判はそのままだった。

2012年には、ファトワについての回想録「ジョゼフ・アントン」を出版した。この題名は、同氏が潜伏中に使用した偽名から取っている。

同氏は、同年ニューヨークで行った講演で、テロは真に恐怖の技術であると語っていた。「それに打ち勝つ唯一の方法は、恐れないことを決意することだ」

AP

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