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イラク首都、反政府デモの中心となった場所が華やかに改修

改修されたバグダッドのタハリール広場(2019年10月に起きた全国規模の反政府デモ活動の中心となった場所)(AFP)
改修されたバグダッドのタハリール広場(2019年10月に起きた全国規模の反政府デモ活動の中心となった場所)(AFP)
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12 Nov 2022 04:11:43 GMT9
12 Nov 2022 04:11:43 GMT9

バグダッド:3年前、 ファデル・アッバス氏は数万人のイラク人の仲間たちと「政権の崩壊」(アラビア語で「解放」を意味する)と唱えながら、バグダッドのタハリール広場を行進した。

2019年10月に反政府デモの中心地となったタハリール広場は、現在改修され、リニューアルされた公園が自慢となっている。

アッバス氏はかつてスローガンを叫んでいた場所で、今はコーヒーを販売している。

「ここで、若い男性や若い女性、医師など多くの人々が死傷しました」と21歳のアッバス氏は背後のフラスコから入れたコーヒーを通行人に手渡しながら、当時を振り返った。

「私たちはただ自分たちの権利を要求しただけです。」

彼の左手に走る傷が、3年前の治安部隊による暴力的取締りを思い起こさせる。

占領、怠慢な政治家、イランの政治への影響などを抗議する、かつてないデモ活動で、600人以上が死亡、数千人が負傷した。

広場で血が流れた。

イラクの幸福と発展を反映するものに変えたい。(ライターのスアド・アル=ゴハリ氏)

新型コロナウイルスのパンデミックによる規制が常態化するにつれ、抗議の波は2020年初頭に徐々に沈静化した。

現在、出来事を物理的に記録するものはほとんど残ってないが、元デモ参加者アリ・リヤド氏(29歳)は、近くのチグリス川を指差し「橋でさえ流血を目撃した」と当時を回想した。

タハリール広場は、チグリス川東岸にある町の主要な大通りが、1937年に建設された環状交差点で合流する場所にある。

象徴となっている自由の碑は、コンクリートと金属で作られた長さ50メートルの浅浮き彫りの記念碑で、王政を打倒した1958年のイラク革命を称えてる。

昨今の改修工事で、広場は新たな姿を見せている。

記念碑に沿った遊歩道はかつては放置されていたが、舗装され花々やヤシの木が植えられた。

サイクリストのグループと共に記念碑の下で写真を撮りながら、ライターのスアド・アル=ゴハリ氏は「この広場を、殉教者を連想させる場所から、幸福を連想させる場所に変えたい」と語った。

「この広場で血が流れた。私たちはこの場所をイラクの幸福と発展を反映するものに変えたいと考えています。」

タハリール広場は現在、コンクリートや車で溢れる大都市バグダッドで、数少ない緑のある場所だ。

あたりでは、暗くなってからやっと車通りが少なくなる。

バグダッドに暮らす800万人の住民たちにとって、唯一、公共の広い緑のある場所は、ザウラー公園だが、公園に入るにはチケットを購入する必要がある。

市の広報担当アブデル・モネイム・アル=イサウイ氏は、バグダッドは展示会やコンサートなど「若者のためのアクティビティの企画」を計画していると語った。

バグダッドに住むウム・ラマー氏(36歳)は、休日にリノベーションされた公園を訪れ、デモの最中は「近づく事ができなかった」場所を楽しんだという。

今でも時より自由の碑の前でデモが行われるが、抗議運動を引き起こす懸念は残るものの、2019年のデモとは全く異なっている。

先月、選挙から1年以上の政治停滞ののち、議会はモハメド・シア・アル・スダニ氏を首相に信任した。

新政権は、この国の構造汚職、蔓延した失業状態、インフラの衰退などの問題に直面する。

時折、学校を卒業した若者たちの少数グループが雇用を求める声をあげる。

またある時は、ムクタダ・サドル師の支持者らが広場を練り歩く。

監視カメラや警察は今も目を光らせている。

2019年の抗議活動を今でも象徴しているのは、一見放置されたように見える「ターキッシュ・レストラン」と呼ばれる建物だけだ。

この一角にある最大の建物で、以前はデモ参加者の拠点であった。

壁には今も「サウラ(革命の意)」や「革命」を求める落書きが見られる。スローガンは時間と共にゆっくりと消えていく。

AFP

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