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エジプト人ら、大英博物館にロゼッタ・ストーン返還を要求

ロゼッタ・ストーン解読200周年を記念した「ヒエログリフ:古代エジプトを解き明かす」展。日付不明、ロンドンの大英博物館。(大英博物館、AP経由)
ロゼッタ・ストーン解読200周年を記念した「ヒエログリフ:古代エジプトを解き明かす」展。日付不明、ロンドンの大英博物館。(大英博物館、AP経由)
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01 Dec 2022 12:12:42 GMT9
01 Dec 2022 12:12:42 GMT9

カイロ:古代の遺物の所有権が誰にあるのかをめぐる議論は欧米の博物館にとってますます大きな課題となっている。そして今、大英博物館で最も多くの人が訪れる遺物にスポットライトが当たっている。ロゼッタ・ストーンである。

黒い花崗閃緑岩でできたこの石柱は1801年に大英帝国軍によって持ち出された。そこに刻まれた碑文は古代エジプトのヒエログリフを解読するうえで画期的な突破口となった。

現在、イギリス最大の博物館である大英博物館がヒエログリフ解読200周年を記念する中、何千人ものエジプト人がロゼッタ・ストーンの返還を要求している。

アラブ科学技術海運大学校学長であり、ロゼッタ・ストーン返還を求める二つの嘆願キャンペーンのうちの一つの主催者であるモニカ・ハンナ氏は、「大英博物館によるロゼッタ・ストーンの保有はエジプトに対する西洋文化の暴力の象徴だ」と語る。

ロゼッタ・ストーンの持ち出しは、イギリスとフランスの間の帝国闘争と結び付いていた。

ナポレオン・ボナパルトがエジプトを軍事占領した後、1799年にフランスの科学者らが北部の町ラシード(フランス語名はロゼッタ)でこの石柱を発見した。

イギリス軍がエジプトでフランス軍を破ると、1801年に両国の将軍の間で結ばれた降伏協定のもとでロゼッタ・ストーンほか十数点以上の遺物がイギリスに引き渡された。

それ以来、ロゼッタ・ストーンは現在に至るまで大英博物館に収蔵されている。

4200人の署名を集めたハンナ氏による嘆願書は、ロゼッタ・ストーンは不法に略奪されたものであり「戦利品」に相当すると主張している。この主張は、10万人以上の署名を集めたザヒ・ハワス元考古相によるほぼ同様の嘆願書でも繰り返されている。ハワス氏は、エジプトは1801年の協定に対して発言権を持っていなかったと主張している。

大英博物館はこれに反論している。

同博物館は声明の中で、1801年の協定にはエジプト代表の署名があると述べている。

これは、イギリスと共にフランスと戦ったオスマン帝国の提督のことを指している。

ナポレオンによる侵攻当時、イスタンブールにいたオスマン帝国のスルタンは名目上エジプトの支配者だったのだ。

同博物館は、エジプト政府は返還要請を出していないとも述べている。

さらに、同じ勅令が刻まれた石柱が28点存在することが知られており、そのうち21点がエジプトに残っていると指摘している。

オリジナルの石柱をめぐる論争は、エジプト学におけるその比類ない重要性に起因している。

紀元前2世紀に作られたこの石柱には、当時の王朝プトレマイオス朝とエジプトの祭司の一派との間で結ばれた合意に関連した勅令が3言語で刻まれている。

最初の碑文は標準的なヒエログリフ、2番目のものはデモティック(ヒエログリフが簡略化されたもの)、3番目のものは古代ギリシャ語で刻まれている。

研究者らはギリシャ語の知識を手がかりにヒエログリフ記号を読み解いた。そして1822年、フランスのエジプト学者ジャン=フランソワ・シャンポリオンがついにこの言語を解読した。

大英博物館エジプト文字文化部門長のイロナ・レグルスキ氏は、「これ以前の18世紀の学者らは、既知の言語で書かれた二言語テキストを発見したいと切望していた」と語る。

レグルスキ氏は同博物館がシャンポリオンによる解読の200周年を記念してこの冬に開催している「ヒエログリフ:古代エジプトを解き明かす」展のリードキュレーターを務めている。

ロゼッタ・ストーンは、大英博物館が収蔵する10万点以上のエジプトおよびスーダンの遺物のうちの一つだ。

その多くは、イギリスがこの地域を植民地支配していた1883年から1953年の間に持ち出されたものだ。

博物館や収集家が遺物を元の国に返還することはますます一般的になってきており、毎月のように新たな事例が報告されている。

その多くは裁判所の判決の結果だが、歴史上の過ちに対する償いの象徴としての自発的な返還の場合もある。

ニューヨークのメトロポリタン美術館は9月、違法に取引されたと米国の調査で結論された遺物16点をエジプトに返還した。

ロンドンのホーニマン博物館は11月28日、ナイジェリア政府からの要請を受け、ベニン・ブロンズ12点を含む工芸品72点を同国に返還した。

ボストンを拠点に芸術作品や遺物が関わる裁判を専門とするニコラス・ドネル弁護士は、このような論争に対する国際的に共通した法的枠組みが存在しないことを指摘する。

その遺物が違法に獲得されたという明確な証拠が無い限り、返還は大抵は博物館の裁量に委ねられることになる。

ドネル弁護士は、「1801年の協定とその時間枠を考えると、ロゼッタ・ストーンの法廷闘争に勝つことは難しい」と言う。

大英博物館は様々な国から遺物の返還要請をいくつか受けていることを認めているが、それらの状況や件数についての詳細をAP通信に提供しなかった。

また、収蔵品の中から遺物を返還したことがあるのかどうかも明かさなかった。

考古学者でオンライン学術フォーラム「パスト・プリザーヴス」CEOのナイジェル・ヘザリントン氏は、大英博物館の透明性の欠如は他の動機を示唆していると言う。

「金、自らの重要性を維持すること、そして特定の収蔵品を返還してしまったら客が来なくなるという恐れだ」

欧米の博物館は長年、優れた設備と高い集客数を挙げて世界の宝物の保有を正当化してきた。

エジプトでは、独裁者ホスニ・ムバラク大統領を失脚させた2011年の反乱に続いた混乱の中で遺物の密輸が増加した。米国を拠点とする「古代遺物連合」によると、2011年から2013年の間の被害総額は推定30億ドルだという。

2015年には、カイロのエジプト考古学博物館の清掃担当者らがツタンカーメン王の埋葬マスクのあごひげを接着剤を使って付け直そうとした際に損傷を与えていたことが発覚した。

しかし、アブドゥルファッターハ・エルシーシ大統領の政府はそれ以来、自国の遺物に重点的に投資を行っている。

エジプトは国外に密輸された遺物数千点の回収に成功した。また、数万点を収蔵できる最新鋭の博物館を新しく建設して開館することを計画している。

その「大エジプト博物館」は有に10年以上建設中であり、開館が繰り返し延期されている。

ギザのピラミッドから、スーダンとの国境近くにあるアブ・シンベル神殿にそびえ立つ像まで、エジプトに大量にある古代遺跡は観光業界にとって最高の客寄せとなっており、2021年には130億ドルを集めた。

ハンナ氏は、エジプト国民が自国の歴史にアクセスする権利は優先され続けるべきだと考えている。「ロンドンやニューヨークに旅行できるエジプト人がどれくらいいるだろうか」と同氏は言う。

エジプト当局に、ロゼッタ・ストーンをはじめとする国外で展示されている同国の遺物に対する同国の方針についてのコメントを要請したが、返答はなかった。

ハワス氏とハンナ氏は、エジプト政府がその返還を保証してくれるとは期待していないと話す。

「ロゼッタ・ストーンはエジプト人のアイデンティティの象徴だ」とハワス氏は言う。「メディアや知識人を利用して、(大英)博物館に保有の権利はないと伝えるつもりだ」

AP

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