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コロナウイルスに試される、グローバル化した防御体制

ヨーロッパ諸国がコロナウイルスの流行に取り組む一方で、閑散とするイタリア・ミラノのドゥオーモ広場。(AFP)
ヨーロッパ諸国がコロナウイルスの流行に取り組む一方で、閑散とするイタリア・ミラノのドゥオーモ広場。(AFP)
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12 Mar 2020 08:03:58 GMT9
12 Mar 2020 08:03:58 GMT9

数年前、私は英国の国際開発省の大臣を務めていた。世界中の保健システムの強化から非常事態への対応に至るまで、世界の保健課題に対して英国が果たす役割について担当していた。エボラ出血熱の大流行に関する議論の一環として、世界保健機関(WHO)が公衆衛生上の脅威の予兆を定期的にどれくらい検知しているかを尋ねた。月に約7,000件と言われ驚いたが、うち0.5%が正式なリスク評価へとつながっている。2018年には141カ国でエボラ出血熱および疫病すら含む481件の公衆衛生イベント(事象)が発生している。その年の著名なWHOのレポートにはこう書かれている:「次にどこでどのような病気が現れるかはわからない。唯一確実なのは、新しい病原体が世界で最も脆弱な国や地域の一部に出現することである」

世界は、あるいは少なくとも世界の一部は、大多数が医学と健康に関して誤った安心感に陥っている。抗生物質を使って病気に対抗できるようになったこと、またワクチンや単なる期待すらもが起こしてきた現代医学の奇跡により、コロナウイルスに見られるような事象はほぼ想像もつかないようなことになった。WHOが正確に記録しているように、実際そのようなことが起こる確率は起こらない確率よりも高い。驚くべきことは、そのようなことが実際起こることではない。そうではなく、私たちが社会としてそのようなことに対して準備ができていないように見受けられることである。

1970年以前の医療における成功は、健康が一部の人にとっては無限といっていいほどに広がることを示唆した。約5,000万人が死亡したと推定される1918年のスペイン風邪のような感染症は、純粋に歴史上のものでしかなくなると思われた。その後私たちは薬剤耐性(AMR)について知り始めたが、これには後に、命を救うはずの抗生物質の過剰使用という私たちの不注意により悩まされることになる。厄介者が消えたと思ったのもつかの間、1970年以来約1,500の新たな病原体が発見されていることを私たちは認識する必要がある。WHOが言うように、遅かれ早かれ、そのうち一つは生き残るだろう。

したがって、私は持論を主張する。国際医療の準備態勢について、多国間の対応について、WHOの度重なる警告の努力について、そして、私たちが今さらなる行動を取らない限り悪化する可能性があることを私たちに警告するいくつかのアウトブレーク(病原菌の大発生)について。防御にはそれが持つ弱点と同程度の強さしかなく、もし世界が耳を傾けなければ、レポートや歴史にできることは限られる。

COVID-19の発生源は中国かもしれないが封鎖を余儀なくされているのは、西洋の近代国家・民主主義国家であるイタリアだ

アリステア・バート

第一に、世界医療の安全保障は、国際的な取り組みに対して金銭的に支援する余裕のある国家にとって国家的優先課題でなければならない。うまく対処しなければ、薬剤耐性は今後30年間で世界の国内総生産(GDP)から100兆ドルを奪い、年間1000万人が死亡する可能性があると英国は見積もっている。

第二に私たちは、世界中の医療システムを強化するための努力を続ける必要がある。これは最も貧しく、最も脆弱な国で特に必要だ。世界には保健がごく初歩的で、現代医学の進歩が享受できない場所がある。これは、アウトブレークに対して反応し、対処し、次に進む以上のことを意味する。これは、すべての人のための医療施設の継続的なアップグレードに確実に資金が投入されることを保証することだ。

第三に、私たちは、すべてのシステムがどれほど脆弱であるか、また私たちがどれほど相互依存しているかを認識するべきである。皮肉なことに、指導者たちが大げさな国家主義的アピールのためにこれまでの多国間利益を喜んで危険にさらしているように見えるこの時代に。ウイルスは無慈悲な光を照らし、権威主義的で情報抑圧的な国家や、同様にアクセスが制限されている先進国の医療システムの不十分さを露呈する。政治的に対立する国家間であろうと、医療援助を提供し合うべきである。一部にはそれが正義という意味でやるべき正しいことだからであり、また一部としては、人の移動パターンに明らかに示されるように、世界経済にとって移動が不可欠な時代にウイルスを封じ込めることは不可能だからである。

もし「私たちはみな運命共同体だ」という論があるとしたら、それは政治的境界を知らず、物理的なものも飛び越えるウイルスというものに対して唱えられるものに違いない。COVID-19の発生源は中国かもしれないが、封鎖を余儀なくされているのは西洋の近代国家・民主主義国家であるイタリアだ。もしイランが国民のウイルス対処のための支援を必要とするならば、そしてその支援の手が西側諸国またはアラブの隣人から差し伸べられたならば、その支援が実現したらどのような政治的利益が生じうるものか、計り知れない。私たちが共有する脆弱性への気づきが高まるという点で。

世界は、現代の貿易ルートが永遠に存在し、遠い場所の花や果物の生産者が明日の朝までに隣の大陸のスーパーマーケットの棚にその農産物を届けることができると信じて生きている。コロナウイルスは、今後はそうとは限らないかもしれないという私たちへの警告と受け取るべきであろう。次に発生する病原体が現在の病原体よりも毒性が高く、死亡率もはるかに高かったら、一体どうなるだろうか?

このウイルスの大流行が終わったら、これらの点について世界中の人々が指導者たちに尋ねるべきであろう。

アリステア・バートはイギリス外務省・連邦省で二度大臣職を歴任した元イギリス国会議員。2010年から2013年まで国務次官、2017年から2019年まで中東担当国務大臣。ツイッター:@AlistairBurtUK

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