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インドのウイルス封鎖に廃貨の影がのしかかる

2020年3月28日、インド、ニューデリー郊外のガズィアーバード。COVID-19拡大防止対策として国内全土で21日間の閉鎖措置がとられるなか、移動労働者たちが故郷の村へ帰るバスに乗ろうと待っている。(ロイター通信)
2020年3月28日、インド、ニューデリー郊外のガズィアーバード。COVID-19拡大防止対策として国内全土で21日間の閉鎖措置がとられるなか、移動労働者たちが故郷の村へ帰るバスに乗ろうと待っている。(ロイター通信)
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03 Apr 2020 02:04:18 GMT9

インドのナレンドラ・モディ首相が先週、21日間の厳重封鎖という非常に大きな決断を下した。発表わずか4時間後から、生活に欠かせないサービスを除くすべてを封鎖したのだ。コロナウイルスへの見通しからモディ首相がこの衝撃的な方法を選択したときには、インドの国内感染者数はまだ数百であったが、今では1000人を超えて山火事のように急速に広がり、いくつかのヨーロッパ諸国で起きているようにコミュニティー単位で伝染する段階に達している。

モディ首相がインド経済の物資やサービスの流れを止めるのは、ここ40カ月でこれが2度目だ。インドが巨大な民間セクターを抱える民主主義社会であることを考えれば、これは注目に値する。しかしその2つの状況を比べてみると見えてくるものがある。

2016年11月に、モディ首相は突如として「廃貨」政策を打ち出し、流通していた特定の紙幣の無効化を宣言した。表向きは汚職で貯め込まれた隠し金を一掃する目的であった。しかし当初の狙いは失敗し、代わりに現金経済で売買する何百万もの人々を困窮させる結果となる、雑な政策手段であった。

しかし今回の経済封鎖は、能動的なアクションというよりも対応であり、気まぐれな措置というよりも必然的な、もっと言えば先を見越した決定とみることもできるだろう。とりわけインドでは人口が極めて多く、公的医療制度が過度な負担で圧し潰されそうになっていることを考えれば。そうであるにしても、これは適切に計画されていただろうか?将来の安全性のために共通の犠牲を担うようすべてのインド国民に求めるのは、特定の階層の人々を、担い切れるはずのないストレスに晒していることになりはしないか?

ここでひとたびモディ首相の決定を善意に解釈し、議論を巻き起こさないラインにまで下げてみよう。政策におけるどのような問題解決も、なにがしか他の問題を引き起こすものだ。封鎖政策の例で言えばそれは何か?最も明白な2つとしては、州の対応能力と管理の問題、そして民主主義的なモラルハザードの問題がある。

州の対応能力に関していえば、モディ首相は突然インド経済をこのような、権力と責任、管理と権限という非常に大きな重圧を州に押し付けるというやり方に塗り替えた。州がすでにしばしばやり過ぎではと罪を感じる国家において、これは些末な問題とはいえない。ほとんどの店や企業は休業しているが、ネット通販や医療などまだ営業が許可されていたところも、今や政府がその動きを規制している。

生活必需品のサプライチェーンを維持したまま州境を閉鎖するというのは、常にやりにくさがつきまとうことになり、それを実行するのに非常に混乱している。

チャンドラハス・チョードリー

生活必需品のサプライチェーンを維持しながら州境を閉鎖するというのは、常にやりにくさがつきまとうことになり、それを実行に移すのに大きな混乱が生じている。警察といった州の特定機関が突如として非常に大きな権力を持つようになった。彼らはこの職責を上手く扱えているだろうか?現在SNSに投稿されている多くの画像や動画から判断すれば、警官が閉鎖規制違反の人々を殴ったり、時には現場で行き当たりばったりの罰を与えたりしており、答えはノーだ。

2つ目は、モラルハザードの問題だ。モラルハザードとは、ある人やある階層の人々が、他の人や他の階層の人々が尻ぬぐいをしてくれるだろうと考えることでリスクが生じてしまう状況をいう。人々の声に耳を傾けるリーダーとされているモディ首相としては奇妙なことだが、彼は閉鎖政策を告知するにあたり、国内を移動して都市で非公式な仕事に就いている何百万人というインド国民に対する特別な対策を、何も打ち出さなかった。彼らが食べ物を入手できるかどうかは、日々の収入と非常に密接に結びついているのだ。

したがって、モディ首相の閉鎖措置に賛同する国民が中流階級にはかなりいるいっぽうで、日当を稼ぐ機会を奪われた都市部の貧しい人々は、一斉かつ大量に故郷の村へと逃げ帰っている。そこにはセキュリティネットのようなものがあるのだ。

首都デリーを始めとするいくつかの州では、パニックを起こした群衆が州境に集結して収集がつかなくなる兆候を示しており、閉鎖のロジックそのものが破綻しようとしている。経済を閉鎖して食べ物、避難所、生計をおぼつかなくすることで、モディ首相は、一部の層の国民たちにコロナウイルスよりも逼迫した重圧のかかる問題を与えているのだ。このような不随する事態への適切な計画立案がなければ、大胆な政策も単なる虚勢でしかない。

廃貨政策の影が、現在のインドの静けさにのしかかっているという感覚がある。2つの状況は非常に異なるかも知れないが、同じ権力がそれらを取り仕切っているのだ。

現在の21日間の閉鎖は長くて過酷なものに感じられるが、これはインドがこの先何カ月かの間に耐えていかなければならない最初のものではないかも知れない。現在の閉鎖措置は青天の霹靂で導入されて何百万もの人々を不安定な状態にしており、確固たる措置にするのに苦慮している。ここで政府が過ちを認め、この先のコロナウイルス対策としてすべての人々を網羅するようなプラットフォームの構築を厭わないという姿勢を見せてくれるのであれば、それは清々しいことであろう。

チャンドラハス・チョードリーは、ニューデリーを拠点とする執筆家。『ブルームバーグ・ビュー』や『フォーリン・ポリシー』にも執筆している。ツイッター:@Hashestweets

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