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ソビエト連邦の灰からロシアは不死鳥のようによみがえった

1989年11月11日、ブランデンブルク門の前にあるベルリンの壁の上に立つ東ベルリンの国境警備隊。(ロイター)
1989年11月11日、ブランデンブルク門の前にあるベルリンの壁の上に立つ東ベルリンの国境警備隊。(ロイター)
09 Nov 2019 12:11:20 GMT9

30年前の今日(11月9日)、ベルリンの壁が崩壊した瞬間を世界は驚きと感動をもって見守った。1961年以来、物理的かつイデオロギー的にベルリンを分断していた97マイルの厳重に監視されていたコンクリートの障壁は、冷戦中に東西を分離した政治的分裂の最も目立った重要なシンボルだった。

その障壁が取り壊されたことでソビエト連邦は崩壊し、半世紀続いた冷戦は終了した。しかし、その時代にアメリカとロシアを分割した分裂の残骸は、まだ見て感じることができる。

1989年12月3日、ソビエトの指導者ミハイル・ゴルバチョフ大統領とジョージ・ブッシュ大統領はマルタで並んで座り、この2国間の冷戦が終結することを発表した。著名なアメリカの政治哲学者フランシス・フクヤマ氏は、この瞬間が「歴史の終わり」を示し、それが世界のポストイデオロギー時代の始まりであることを示唆した。

それ以来、彼の理論は世界的な出来事によって大いに試されてきた。特に、中東地域を飲み込み勢力の均衡に大きな影響を与えたアラブの蜂起は、イデオロギーの対立がまだ存在し、しばらく続く可能性が高いという明確な証拠を提供しているように思える。

この最も顕著な例はシリアで見られる。2015年のロシアによる軍事行動は、ソ連崩壊後に初めて行われたロシア軍による直接的な介入だった。これは、アメリカが抜け出そうとしていた時の、中東紛争へのロシアの復帰を明らかに示したものだった。

言うまでもなく、ロシア指導部による軍事介入の決定は、中東地域全般、特にシリアにおけるロシアの権力と影響力を維持したいという欲望が反映されたものであった。

あるロシアの著名なアナリストは次のように語った。「全面的に、ロシア政府がシリア政権を支持する理由は複雑であり、オッカムのかみそりの手法で説明することはできないのです」。つまり言い換えると、説明は思ったほど単純ではないということだ。

より広い背景における、この地域におけるロシアの指導部による最近の動きは、米国およびその西側同盟国との世界的な地政学的対立を反映している。そのロシアの動きの例としては、シリアでの積極的な役割、トルコとの関係改善、10年経ってからの湾岸地域への復帰、この地域の対立する当事者間の取引決定プロセスで仲介者の役割を引き受ける願望といったものがあげられる。

トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領とロシアのウラジーミル・プーチン大統領がソチで合意した取り決めに従って、トルコとロシアの陸上および航空部隊は11月1日にシリア北東部のダルバシヤ付近で初の共同巡回を開始した。トルコとロシアの軍隊がシリア国内に配備されたのは初めてではなかったが、この最新のミッションの目的は、トルコの国境をテロリストから守ることだ。

誤解のないように言うと、ロシアはNATO加盟国であるトルコと協力して、国境をテロリストから守っている。冷戦を通じてトルコと同盟関係にあった米国は西側同盟国の利益を守るべきだと思う人もいるかもしれない。

米国がまさにNATO加盟国と協力してこの地域で昔から果たしてきた役割を担うことは、ロシアの行動に対する最も不思議なことでもない。さらに不思議なのは、米国がシリア国内の前哨部隊と基地を放棄している間にロシアがシリアに移動しているという事実だ。これは、ロシアが、シリアだけでなくさらに広い中東地域に残した米国の権力の空白をどのように埋めているかを明確に示している。

トルコとアメリカ間の緊張がここしばらくの間高まっている一方、トルコはロシアとのより緊密な関係を積極的に促進している。今年だけで各国首脳間の会合が8回も行われたことがこのことを証明している。

この地域に対するロシアの現在の政治的アプローチは、トルコなどのNATO加盟国からだけでなく、長い間アメリカの同盟国であった湾岸諸国から見ても、米国よりも信頼できるパートナーとしての地位確立に役立ったと言っても間違いではないだろう。昔からのアメリカの親しい同盟国イスラエルでさえ、モスクワとのより深い理解を求めている。

シリアでイランと協力するといったロシアの証明済みの能力を考えると、アラブの指導者たちはロシアとより親密な関係を築くことに興味を持っているようだ。その一環として、ロシアはイランとの取引の仲介者として行動できる。これはアメリカには現在できない、そしてアメリカが望んでいないことだ。

ロシアは実用的なアプローチを行ってきた。

ロシアの中東戦略の中核は、トルコとクルド人、イランと湾岸諸国、シリア政権とトルコといった、地域紛争のあらゆる立場の人々との良好な関係を維持することだった。

この地域を友人と敵に分ける米国の政策とは異なり、ロシアはすべてに対し慎重にアプローチしようとしている。

ロシアの小説家、レフ・トルストイは次のように述べた。人々は運命や個人的特徴によって指導者になるのではなく、ツァイトガイスト(時代精神)という社会的状況の結果としてなるのだ。

プーチンは中東のツァイトガイストを抜け目なく読み取ってきた。中東は、ロシアがアメリカを犠牲にしてその影響力を強化するのにおそらく最も成功した地域である。したがって、今日のロシアを、ソビエト連邦の崩壊から30年後に灰からよみがえった不死鳥に例えることは大げさではないだろう。

シネム・センギスは、トルコと中東との関係を専門とするトルコの政治アナリストである。Twitter: @SinemCngz

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