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難民の時代に、シリアの声が持つ力

トルコの警察官がアラン・クルディの遺体を運んでいる様子。(Getty Images)
トルコの警察官がアラン・クルディの遺体を運んでいる様子。(Getty Images)
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18 Jan 2020 08:01:29 GMT9
18 Jan 2020 08:01:29 GMT9

スピードが速く、ツイートが席巻し、情報過多な私たちの社会において、私たちを集団でしばらく立ち止まらせ、驚かせ動揺させ、一時的に言葉を失わせる瞬間というのがある。

2015年にトルコの砂浜にその遺体が打ち上げられた、3歳のシリア人の少年であるアラン・クルディの写真は、まさにそのような瞬間だった。もしもこれまでに集団的で世界的な深い悲しみの瞬間があったとすれば、地中海の水中でこんなにも悲劇的にアランの命が終焉したということを社会が知った、9月のその日だろう。

この写真は拡散され、新聞の1面やテレビのニュース放送のトップに登場した一方で、ソーシャルメディアでも広く流通した。シリアの悲劇の象徴、メタファー、現れとして彼を言い表す奔流のなかにあって思い出す価値があるのは、おそらくは恐怖し不安に苛まれながら両親に従って今にも壊れそうなボートに乗り込んだのであろう彼は、ただ少年であったということだ。

この写真は、私たちの10年を決定づけるイメージのひとつであるかもしれない。彼が象徴になるのは避けられなかったことであり、どうやら永遠に終わりそうにないメディアとソーシャルメディアのループで小さな少年の死を繰り返し確認することになることは、彼の家族にとって二重の悲劇であった。

アラン・クルディが助かっていたとしたら、彼は世界中にいる670万人の公認シリア難民のひとりになっていたことだろう。世界の難民数という観点では、アフガニスタン難民だけがその数に近接しており、270万人である。

過去10年間を「移住の10年」であったと説明した国連難民高等弁務官のフィリッポ・グランディは正しかった。戦争や紛争や迫害で移住を強いられた人々は、いまや7,100万人いる。そのうち約4,100万人が、それぞれの国内で移住を強いられており、2,600万人は外国にいる難民だ。

国連難民高等弁務官は、シリア難民の約70%が貧困状態で生活しており、基本サービスへのアクセスすら不均等なものにとどまっている。若い女性たちは、性暴力や強制的な早婚やその他の様々な搾取を含む無数の脅威に直面している。その一方で学齢の少年少女らは、トルコ、ヨルダン、レバノンなどの諸国の非政府組織(NGO)による、しばしば無視されている英雄的な試みにもかかわらず、基本的な教育で遅れをとっている。

トルコはシリア難民を最も多く受け入れており、その数はおよそ370万人にのぼる。レバノンとヨルダンの受け入れ数はそれよりも少なく、それぞれ約90万人と約60万人だが、難民はこの2国の小さい人口に対して断然大きな割合を占めており、この2国のリソースに重い負担を強いている。加えて、ヨルダンとレバノンは、公式に難民認定されていない数十万人のシリア人を受け入れている。

西洋の国々でその街々に流れ込む中東難民についての話題が喧しい一方で、前述の3国に加えエジプトとイラクへのより少数の流入は、もっとも重いものになっている。

これらの国々に、自国民を養ってきた強力な実績を持つ国々はほとんどない。トルコとヨルダンは、それぞれ27%と40%にのぼる若年失業率に直面している。その一方でレバノンの経済は、不始末と汚職と甚だしい債務の負担という重圧に押し潰されそうになっている。

国連によると、レバノンに住む人の3人に1人は貧困のうちに暮らしているという。

これらすべてが示唆するのは、「移住の10年」は終わりには程遠いということだ。残念ながらアラン・クルディと似た運命にほかの子どもたちも苦しむことになるだろうし、もっと悲劇的な写真が拡散されることになるだろう。

そのような言語に絶する悲劇に直面したとき、シリアの内戦集結を手助けすべく「国際社会」に対して「何かをする」よう、何でもするよう要望を発するのは、論説執筆者の陳腐な決まり文句となった。

私はその代わりに、シリアの反乱の最も際立った強力な声のひとつの言葉で終える。活動家、ジャーナリスト、自由の闘士であるカッセム・エイドによる言葉だ。

もしもこれまでに集団的で世界的な深い悲しみの瞬間があったとすれば、地中海の水中でこんなにも悲劇的にアラン・クルディの命が終焉したということを社会が知った、9月のその日だろう。

アフシン・モラヴィ

注目すべき本『私の国:あるシリア人の回顧録』で、彼は自身が経験した化学攻撃について書いている。「私の目は燃え、私の頭はずきずき痛み、私の喉は空気の耳障りな音を立てていた。私は息が詰まりそうだった……世界がぼやけはじめた」。

言語に絶する悲劇を目撃し、アサド体制による猛攻撃に直面して際立った勇気を見せ、ブロガーや人権活動家やジャーナリストとして数百万人が経験したことの証言を行ったあとのエイドは、もうそれで十分だった。彼は自身の書籍を、以下のシンプルな一文で終えている。「私はドイツに辿り着き、そこで2016年5月にシリア難民として政治的亡命を申し込んだ」。

彼は今、暴力や戦争を逃れた多くの難民のそれと似たような暮らしを送っている。以下のように書く彼の言葉は普遍的だ。「友達の楽しそうな笑い声が、今も私の耳のなかで昔のラブソングのように響いており、夜中に私をはっと目覚めさせ、昼間には私を死んだように止まらせる」。

エイドが生きてこの話を伝えていることは、私たちにとって幸運なことだ。そして、彼らの叫び声をこんなにも多年にわたって無視してきた私たちは、彼やその他のシリア難民の声を聞き続けなければならない。

  • アフシン・モラヴィは、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院外交政策研究所のシニアフェローであり、ニュー・シルクロード・モニターの編集者・創立者である。Twitter:@afshinmolavi
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