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サウジ市民サウジアラビア王国内13の遺跡を復元する

200年前に建てられたカシームのユナイザにある「アルズナイディ歴史館」は最も有名な農舎の一つとして考えられている。(サウジ港湾局)
200年前に建てられたカシームのユナイザにある「アルズナイディ歴史館」は最も有名な農舎の一つとして考えられている。(サウジ港湾局)
(サウジ港湾局)
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16 Dec 2020 06:12:37 GMT9
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  • 市民の努力によって歴史的に有名なモスクや王邸、庁舎や軍の要塞、倉庫、司令塔などの遺跡が復元された。

ジッダ:文化遺産への強い関心を持つサウジ市民のおかげで、サウジアラビア中で13もの遺跡や王邸に加えて歴史を象徴する要塞までもが復元された。

これらの市民の貢献は、市民がサウジアラビアの文明史において、とても重要な文化を象徴するような手がかりが遺跡には眠っていると信じており、サウジアラビアの文化遺産の歴史への探求心があったからこそ成された事である。

市民の努力によって歴史的に有名なモスクや王邸、庁舎や軍の要塞、倉庫、司令塔などの遺跡が復元された。

モハメドとアブドゥルアジビンアブドゥルアジアルマーディは、リヤドのルーダットスダールにある王国の中心地「アルマーディ王邸遺跡」の復元を始めた子孫達のうちの一人である。

歴史的にも有名なジッダといえば、ジッダ市民でありビジネスマンでもあったモハメドアブドゥラシャーバトリーと彼の息子のサイフイイスラムが、1917年にシャーリフアブドゥルイッラームハンナアルアブダリーによって建てられたかの「シャーバトリー遺跡」を復元した。

ヤンブの歴史地区の近くに位置するアルサワーには、「ダアルザマイ」がアルザマイの家族によって2015年に復元を開始されるまで45年以上もの間放置されていたという。

同様に、ヨゼフビンアリアルズナイディはカシームのユナイザにある200年前に建てられ、最も有名な農舎の一つとされる「アルズナイディ遺跡」の復元を開始した。

アルアーサ グベルーニャ(※地区の呼称)は元々は考古学や歴史学にまつわる建物が数多く残る地区であったが、それらの遺跡がアブドゥルアジービンモハメドアルアブドゥルクアーダによって「アルクートホテル」へとリノベーションされた事で有名である。

アブハから16km離れたところに、アシール山の麓からの美しい景色を望む事が出来る3つの城が建っている。

アブドゥルアジーズラヘクアボサッラーによって修復されたその3つの城は、「アボサッラー城」として知られている。

シェイクナハールビンアブドゥルカリムアルルッマーンは季節の時々によって採れる、自然の材料を活用して遺跡を復元する事で、まるで当時のような趣と伝統的な建築技法を表現している。

ハリのサウドアルネヤフアルシャムリは、現存する最も古い泥の家と考えられる遺跡を「アルネヤフ城跡博物館」として復元した。1758年当時は、ハリからアルジョーフへ向かう旅人達の拠点として利用されていたが、後に博物館として改修され2,165点もの骨董品を展示するハリを象徴するものであった。

スルタンオカーブアルシャムリは北部国境州に位置するラッファーのルカ村の税関事務所の復元を引き受けた。この税関事務所はサウジ統治初期の時代では貿易の要所であった。

シェイクアフメドザールアルミシュナウィと彼の子供達もフェイヤのアルシバ遺跡村の復元に主体的に取り組んでいる。

200年以上前に建てられたとされる、ナズランにある「シュマイダ王邸」はサウジメフディドゥーハンとあるドーハン一家によって、復元された。

サウドアルザフラーニ、アブドゥラビンヤンの子孫達、モハメドアルカノート、モハメドジャマフ博士、アリサルハンとサイーダガルサンの尽力によって、アルバハのアルハッサン村の「バクルシュビンアラス城」の要塞と遺跡は復元された。

ナワーフアルフェンディは、1921年に建てられ「バンダールアルフェンディ王邸」として知られる、アルジョーフのアルクワッヤートにあるカーカー村の遺跡を復元した。

サウジ港湾局

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