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サウジのホスピタリティ・プロジェクトでは、王族の足跡を巡る歴史的な宮殿がスポットを浴びる

サウジアラビアでは、「アル・ハムラ宮殿」「トゥワイク宮殿」「レッド宮殿」が第一弾の候補地となっており、「クザム宮殿」「アル・サッカフ宮殿」も検討されている。(提供)
サウジアラビアでは、「アル・ハムラ宮殿」「トゥワイク宮殿」「レッド宮殿」が第一弾の候補地となっており、「クザム宮殿」「アル・サッカフ宮殿」も検討されている。(提供)
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26 Jan 2022 03:01:24 GMT9
26 Jan 2022 03:01:24 GMT9
  • 象徴的な3つの宮殿が、豪華なインテリアと比類のない外観を備えたホテルに生まれ変わる
  • 文化遺産の専門家は、このブティック・グループのプロジェクトは、サウジアラビアの文化遺産を世界に向けて発信するものだと語る

タレク・アル・タカフィ/ヘブシ・アル・シャマリ

メッカ/リヤド:ムハンマド・ビン・サルマン皇太子は先日、サウジアラビアにある歴史的・文化的に重要な数々の宮殿を超高級ホテルに改装するプランを持つ企業「ブティック・グループ」の設立を発表した。

これは、サウジアラビアを訪れる国内外の人々に、サウジアラビアの豊かな伝統と活気に満ちた文化、そしてサウジアラビアが誇るホスピタリティを紹介するための取り組みの一環として行われるものである。このプロジェクトの第一段階では、3つの歴史的な場所の開発に焦点を当てる。ジェッダのアル・ハムラ宮殿、リヤドのトゥワイク宮殿とレッド宮殿である。

アル・ハムラ宮殿

アル・ハムラ宮殿は、サウジアラビア現代史の研究者であるサレハ・アル・ミスナド・アル・タミミ氏によると、サウジの近代史において最も歴史的に重要な宮殿の一つである。

アンダルシアの文化と様式にインスパイアされたこの宮殿は、サウード・ビン・アブドルアジーズ国王の時代にファイサル・ビン・アブドルアジーズ王子のために建てられたが、公式なレセプションや会議を開催するためのものではなかった。

米国大使館の北側に位置するこの宮殿は、1950年代後半に建設された当時は比較的小さなものであったと、アル・タミミ氏はアラブニュースに語っている。その後拡張され、王室のゲストを迎え、また公式な会議を行う場所となったとのことだ。

同氏によると、王子は建物の南側、宮殿のモスクを真正面から見下ろす位置に執務室を構えていた。宮殿の職員は、市民からの要望や苦情を聞き、応接の広間に近い執務室にいる王子に伝えていた。

宮殿では、1970年3月に開催された第1回イスラム諸国外相会議をはじめ、多くの重要なイベントが開催されたとアル・タミミ氏は言う。その中には、現在の「イスラム協力機構」の前身である「イスラム諸国会議機構」の事務局が設立されたことも含まれている。

アンダルシアの文化と様式にインスパイアされたアル・ハムラ宮殿、サウード・ビン・アブドルアジーズ国王の時代に、ファイサル・ビン・アブドルアジーズ王子のために建てられた。(提供)

宮殿でファイサル王に謁見した多くの外国の指導者や国家元首には、リチャード・ニクソン米国大統領、エジプトのアンワル・サダト大統領、レバノンのスレイマン・フランギー大統領、スーダンのガアファル・ヌメイリー大統領などがいる。エジプトのガマル・アブデル・ナセル大統領は例外的に、クザム宮殿の王宮で迎えられたという。

アル・ハムラ宮殿は、ジェッダでナーイフ・ビン・アブドルアジーズ王子や、政治家・経済学者・詩人のムハンマド・スルール・サバン氏の邸宅など、同様の建物を数多く建設していたArab Engineering Companyによって建設された。

ブティック・グループによる改装により、アル・ハムラ宮殿は、33室のラグジュアリー・スイートを含む77室の客室と44室のラグジュアリー・ヴィラを有する予定である。

ジャウフにあるアル・スデイリー文化センターのモハメド・H・アル・ルワイリ氏は、ブティックグループの設立を、文明的、歴史的、文化的な投資における飛躍であり、サウジアラビアの遺産や文化的な宝を世界に公開し、評価してもらうためのプロジェクトだと表現した。

このプロジェクトは、自然の中に佇む王侯貴族の豪華な宮殿というサウジの遺産を、世界中の観光客が楽しめる観光資源として活用することを目的としていると同氏は述べている。

目を見張るような中庭、庭園、床を持つこれらの宮殿は、華麗な室内装飾と、他に類を見ない建築デザインを備えた世界クラスの高級ホテルに生まれ変わると、彼はアラブニュースに語った。

米国大使館の北側に位置するこの宮殿は、1950年代後半に建設された当時は比較的小さなものだった。(提供)

アル・ルワイリ氏は、ブティック・グループのプロジェクトの第一段階について、「私たちは、自国の価値ある歴史的・文化的な観光資源に投資し、世界に紹介するという、重要かつ質的な変化を迎えようとしていると思います」と述べた。

「皇太子による今回の発表は、サウジアラビア国民が恩恵を受けるような重要なステップや段階が続く可能性があり、これは歴史的な出来事だと捉えています」

また、キング・サウード大学の観光・古代学部の学部長であるアブドゥラ・アルムネフ氏も今回の発表を歓迎している。同氏はこのプロジェクトについて、史跡を特出した観光地にすることで、史跡の修復と保存を確実にするものである述べている。

「これは、多くの有名な宮殿が修復・保存プロジェクトの恩恵を受けているヨーロッパと同様、王国にとって重要な経験となります」

レッド宮殿

1942年、アブドルアジーズ国王は、当時皇太子であった息子サウードの住居として、リヤドに「レッド宮殿(レッド・パレス)」の建設を命じた。宮殿は、来賓を迎えるためにも使用された。

1956年にサウード王がナシリヤの宮殿に移った後、レッド宮殿はファイサル王、カリド王、ファハド王の時代には閣僚会議の場となり、その後は苦情処理庁の本部となった。

再開発後のレッド宮殿は、ラグジュアリー・スイートルーム46室、ラグジュアリー・ゲストルーム25室を含む71室となる。(提供)

レッド宮殿の由来は、その外観の特徴的な色使いからである。エジプトのナセル、サダト両大統領、シリアのシュークリ・アル・クーワトリー大統領、インドのジャワハルラール・ネルー首相、ヨルダンのタラール・ビン・アブドッラー国王など、著名なゲストがこの宮殿に滞在した。

宮殿は16のスイートルームと部屋で構成されており、エアコンとシーリングファンが装備されているほか、太陽光で宮殿内を照らすシステムも備えている。再開発後の宮殿は、ラグジュアリー・スイートルーム46室、ラグジュアリー・ゲストルーム25室を含む71室となる。

トゥワイク宮殿

リヤドの外交地区に位置するトゥワイク宮殿は、約24,000平方メートルの敷地を有している。1981年に設計され、1985年に完成したこの宮殿は、1998年にイスラム文化圏の建築に関する国際的な賞、アガ・カーン建築賞を受賞した。

現在、この宮殿は、文化活動、会議、セミナー、専門的な展示会、社会活動の中心となっている。また、ワークショップ、フェスティバル、ミーティング、トレーニングイベントなども開催されている。

宮殿には、サウジアラビアで採石されるベージュ色の石灰岩、リヤド・ストーンで覆われた波状の長い壁の後ろに、複数のホール、公共施設、ホスピタリティスペースが存在する。

1981年に設計され、1985年に完成したこの宮殿は、1998年にイスラム文化圏の建築に関する国際的な賞、アガ・カーン建築賞を受賞した。(提供)

また、渓谷を見下ろす3階建てのゲストハウスがあり、4つのスイートルームと25の客室を備えている。

食堂やその他のホスピタリティ・サービスに加え、プレゼンテーションや同時通訳設備を備えた複数のレセプション・ルームやレクチャー・ホールがある。

メインホールには特徴的な3つの白い天蓋があり、そのガラス張りの天蓋からは、周囲の渓谷や庭園、風光明媚な屋外の小道など、息を呑むようなパノラマが広がっている。再開発後の宮殿には、ラグジュアリー・スイートルーム40室を含む96室の客室と、56棟のラグジュアリー・ヴィラが用意される。

クザム宮殿

現在、再開発計画には含まれていないが、クザム宮殿は、ブティック・ホテルになる大きな可能性を秘めている。歴史あるジェッダの南東部、アル・ナスラ・アル・ヤマニヤに位置するこの宮殿は、敷地内に生い茂るチューリップ「クザム」にちなんで名付けられた。1928年に建設が開始され、1932年に完成した。

「宮殿は石レンガで造られ、屋根にはジャワの木が使われていました」とアル・タミミ氏は解説してくれた。「その約3年後、エジプト国営企業が鉄筋コンクリート製の別館を建設しました。アブドルアジーズ国王が他国の国王、国家元首、大臣、大使、上級官僚を迎えるために使用した宮殿もその一つです」。

歴史あるジェッダの南東部、アル・ナスラ・アル・ヤマニヤに位置するこのクザム宮殿は、敷地内に生い茂るチューリップ「クザム」にちなんで名付けられた。(提供)

アル・タミミ氏によれば、1933年5月29日、サウジアラビア政府を代表するシェイク・アブドゥラ・ビン・スレイマン財務大臣と、カリフォルニア州のスタンダード・オイル社代表ロイド・ハミルトン氏との間で、石油開発のための利権協定が締結されたのが、このクザム宮殿であったという。

また、この宮殿ではクウェートとの国境協定や、エジプトとの建設プロジェクトに関する相互覚書の調印式も行われたという。その他の重要な出来事として、1943年にはイギリス政府とのジェッダ条約の更新、アメリカとのダーラン飛行場協定、シリアとの商業協定、パキスタンとの友好条約などが行われた。

この宮殿は、その象徴である正門がサウジアラビアの紙幣にも採用されたことがあるほど、王国の歴史の中で重要な意味を持っている。

アル・サッカフ宮殿

アル・サッカフ宮殿は、聖地メッカにあり「ロイヤル・アル・バイヤディーヤ宮殿」としても知られている。現在、修復工事が行われており、ブティック・グループの次のプロジェクトに含まれることが期待されている。

メッカの歴史を研究しているサミア・アーメド・バクア氏はアラブニュースに対し、「この宮殿は、建築芸術の高貴な道標であり、最古の考古学的建造物のひとつです」と述べている。

「この建物物は、伝統的な建築デザインを代表しており、多くのイスラム美術や装飾を含み、イスラム建築の特徴を持っています。また、第一次サウード王国にルーツを持つ王室の時代には、多くの重要な式典や行事が行われました」

アル・サッカフ宮殿は、聖地メッカにあり「ロイヤル・アル・バイヤディーヤ宮殿」としても知られている。(提供)

宮殿は、アル・バイヤディーヤ・アル・シャマリとアル・バイヤディーヤ・アル・ジャヌービという2つの古い宮殿で構成されており、1924年から住んでいたアブドルアジーズ国王によって建てられた新しい宮殿と合体している。

「宮殿は、サウジ建国の王がメッカに来たときに、政府の所在地となりました」とバクア氏は言う。「その後、宮殿はアブドルアジーズ国王のヒジャーズにおける副官、息子のファイサル王子の本部として使われ、後の時代にはムスリム世界連盟の本部、そしてメッカ警察の本部としても使われました」

アブドルアジーズ国王は、訪問する大統領や国王、その他の要人、またハッジ(大巡礼)ミッションの責任者を受け入れるために、いくつかのホールの建設を命じた。(提供)

アブドルアジーズ国王は、訪問する大統領や国王、その他の要人、またハッジ(大巡礼)ミッションの責任者を受け入れるために、いくつかのホールの建設を命じた。この宮殿は、1953年に王室裁判所の本部となり、その後1960年から1982年までの間、多くの政府機関が使用した。

宮殿は、中央の会議場を含む100以上の部屋を備えている。メインエントランスは、その洗練された壮大さが際立っている。

この宮殿がブティック・プロジェクトに組み込まれれば、メッカを訪れる宗教的な観光客にとって、王国の遺産に魅了される重要な名所になることは間違いないだろう。

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