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自動車業界に長年携わったハッサン氏、日本を成功に導いた「日本人の特質」を振り返る

アルフタイムに入ってまもない頃、日本でトヨタのイベントに出席したアフザル・ ハッサン氏。(提供)
アルフタイムに入ってまもない頃、日本でトヨタのイベントに出席したアフザル・ ハッサン氏。(提供)
ハッサン氏が東京を訪れた際のホンダのオフィス。(提供)
ハッサン氏が東京を訪れた際のホンダのオフィス。(提供)
1970年代初めに日本で行われた自動車運転のシミュレーション訓練。(提供)
1970年代初めに日本で行われた自動車運転のシミュレーション訓練。(提供)
22 Oct 2019 02:10:10 GMT9

エテシャム・シャヒード 

アフザル・ハッサン氏は、1972年、アラブ首長国連邦(UAE)を拠点とする企業「アルフタイム」に自動車部門のグループ・マネージャーとして入社しました。この当時、日本円の為替レートは1ドル410円でした。

ハッサン氏は1972年から40年間アルフタイムで働き、車を中心に日本製品を扱ってきましたが、この間、円の価値は上がり続けていました。 

「1ドル360円になり、1ドル86円になった時期もありました」とハッサン氏はアラブニュースに語りました。

しかし、通貨の価値が上がり続けたにもかかわらず、日本人は日本車の価格を手頃な値段のまま維持することができたのです。

「1973年、日本の自動車メーカーがUAEに進出しました。これはUAEの石油ブームと同じ時期でした」とハッサン氏は語り、中東で日本車の人気が高い理由を簡潔に説明してくれました。

また日本人は、成長市場の変わりゆくニーズを把握しており、変化が必要だということを受け入れる能力が非常に高かったのです。

「ホンダ・シビックが発表されたことで、新しい『少人数の家族や独身者の市場』が生まれました」とハッサン氏は語り、日本人は常に顧客のニーズを意識していたと説明してくれました。「日本人は苦情への対応も非常に迅速でした」

しかしハッサン氏は、日本が成功を収めたのは自動車だけではないと強調しました。「非常にいいタイミングで大量の技術がUAEに入ってきたのです」と彼は語りました。

「UAEがインフラを整備する初期段階において日本企業は大きな功績を残した、と言っても間違いではないでしょう」

ハッサン氏は、日本人の代表的なトレードマークとして、謙虚さ、時間厳守、規律を挙げました。

「新幹線が時間通りに来るといったことから、オフィスが清潔であることまで、このような日本人の特徴はあらゆるところで見られます。こういったことが理由で『日本人なら信頼できる』という評価がなされるようになったのです」と彼は語りました。

ビジネスにおいて日本人が特別な存在になっている理由としては、他に「共感、サポート、相互尊重」を重んじるという特徴も挙げることができ、「日本人は最もお客さんに優しい人たち」であると彼は言い添えました。

「日本人相手ならば、あなたが参入したいビジネスは問題やストレスが確実に少なくなります。あなたが日本人のクライアントであるならば、金銭的な負担を感じないようにしてくれます」と彼は語りました。 

「この世界で一体他に誰が安価なテレビ、トランジスター、洗濯機を一般大衆に提供してくれるでしょうか。アメリカは安価で提供してはくれません。今は中国が市場に登場していますけどね」

UAEに進出した当初から、日本企業は車だけの企業ではありませんでした。日本はタイヤ、バッテリー、船舶用エンジン、家電製品を供給していました。

ハッサン氏によれば、日本では上司が従業員と同席するのは珍しくないといいます。「日本人の一般的なポリシーは『何も隠すものがないのに、どうして別の部屋で座っていなければならないのか』というものなのです」とハッサン氏は言い添えました。

またハッサン氏は、他に類を見ない日本人のスペースの使い方を称賛しています。「日本のホテルの部屋は小さい個室のようなものでありながら、非常に快適です。日本のアパートは世界で最も狭いですが、狭苦しく見えたり閉所恐怖症になったりすることがないんです」とハッサン氏は語りました。

ハッサン氏の日本での最高の思い出は、招かれてワークショップに入った時に、彼の名前が表示された巨大なプラカードで歓迎してくれたことです。「歓迎してもらい、彼らが私に寄り添ってくれているように感じましたし、私も彼らの仲間なんだというふうに感じられました」とハッサン氏は語りました。 

ハッサン氏はアルフタイム・モーターの常務を12年間務めたほか、グループ内の社内カンパニーでさまざまな役職につき、企業PR部門の責任者を務めた後退職しました。 

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