



アル・ウラー:歴史的に重要な遺跡と魅惑的な砂漠の風景で知られる広大な荒野であるアル・ウラーは、この古代の地を旅する人々の想像力を長い間かき立て続けてきた。
探索的調査により、アル・ウラーの遺跡と宇宙との間の知的興奮を誘う繋がりが明らかになりつつある。そして、この調査は、また、文明と星々との古くからの繋がりが今日もなおこの地域に影響を与え続けていることを示したのである。
サウジアラビア北西部に位置するアル・ウラーの考古学的遺跡は、この地域の歴史における天文学の重要性を明らかにするための唯一無二の手がかりとなっている。ガイドたちが語る物語、そして、古代文明の痕跡から、広大な砂漠を覆う星空が、どのように旅人たちや隊商の道案内役として極めて重要な役割を果たし、数世紀にわたってそうした人々が広大な空間を移動する助けとなってきたのかが解明できるのである。
熱心なガイドで天文学ファンのマジド・アル・ザフーフィ氏は、砂漠との繋がりを深めてきた。アル・ザフーフィ氏の星々の世界への旅は、熱心な読書と個人的な星空観望という形で10年ほど前に始まった。
アル・ザフーフィ氏は、こうしたテーマに対して彼が行っている探求は現実にしっかりと根付いたものであり、珍しいことではまったくないとアラブニュースに語った。アラブの歴史や文明、天文学についての幅広い知識から、アル・ザフーフィ氏は一貫したパターンを指摘した。「ダダン人やリヒヤ人、ナバテア人、ミネア人といったアル・ウラーで繁栄した様々な文明は、すべて重要な国際貿易ルートを戦略的に管理していました」
「こうしたルートの中には、オマーン南部地域からアラビア半島北部まで縦断するために商人たちが利用した名高い『香りの道』もあります。この交易路の交差点は、ギリシャ人やバビロニア人、アッシリア人などの多様な文化の交流を促進したのです」
交易路の交差点に位置するこうした古代文明は、多様な文化に通じ、そうした文化の多くは天文学の強い影響下にあった。中には、星々を崇拝する文化さえあった。
歴史を通じて、世界の文化は地表と星空との深遠な相互作用を認識してきた。数々の天体が案内役のように、進路を示し、季節を決定し、様々な文化的行事を導いてきたのだ。文明と宇宙のこの繋がりは、アル・ウラーの過去の豊潤なタペストリーの中に明確な痕跡として残されている。
ダダン人やリヒヤ人、ナバテア人、ミネア人といったアル・ウラーで繁栄した様々な文明は、すべて重要な国際貿易ルートを戦略的に管理していた。
アル・ウラーのガイド、マジド・アル・ザフーフィ氏
アル・ザフーフィ氏は、「私が行った個人的な観察と文献調査では、ナバテア人と彼らの遺物、そして星空の間には密接な関係があることが見て取れました。数多くの研究が、この繋がりを確認し、ナバテア人がいかに星座の影響力を信奉していたのかを指摘しています」
この古代にあった、文明と宇宙の繋がりは、現代の専門家たちの注目を集めている。5月には、考古天文学の専門家チームがアル・ウラー・オアシス内での現地調査を始めた。
この考古天文学チームの目的は、古代文明が特定の場所を選択した背景となる理由を明らかにし、墓碑銘の象徴性を解明して、星空に対するその文化特有の認識を解読することである。建築の細部や装飾のパターン、暦の含意を分析することで、星空がそうした古代社会の世界観に与えた影響はどのようなものであったのか、その包括的な全体像を明らかにすることを専門家たちは目指しているのだ。
スペインの宇宙物理研究所の宇宙物理学者であるフアン・アントニオ・ベルモンテ氏は、ナバテア人の墳墓100ヶ所から取得した予備的なデータから、地表と星空の間の密接な相関関係の存在を発見した。今後、分析的・統計的研究作業を通じて、古代アラブ王国と宇宙との結びつきがさらに明らかにされることだろう。
考古学的な宝庫であるアル・ウラーには、星空観望のパラダイスとでも言うべきガラメール地域がある。都市部の明るさから離れれば離れるほど、夜空の星が多く見えるようになるとアル・ザフーフィ氏は説明した。ガラメールでは、6千もの星々が夜空に煌めく、これは、光害が最小である場合にのみ目にすることの出来る荘厳な光景である。
この星空観望に最適な場所を保全するため、アル・ウラー王立委員会は、都市からの光の放射の最小化に積極的に取り組んでいる。この地域を訪れる観光客は、人里離れたガラメール地域への真夜中の小旅行で、古代そのままのアル・ウラーの夜空の下で星座の観察に没頭することが出来る。
アル・ウラーの魅力は、その地質学的な驚異にも及ぶ。サウジアラビアの地質学者であるアブドラ・アル・シャンマリ氏は、ガラメール岩層が古代の海洋環境と河川環境によって形成された堆積層で構成されている比類のない岩石層であると解説した。
「この層での堆積が始まったのは、カンブリア紀の終盤からオルドビス紀(古生代)の初期で、4億7千万年から5億年前ということになります」と、アル・シャンマリ氏は述べた。
アル・シャンマリ氏は、また、こうした地質学的な奇跡は、チャドのエネディ高原からサウジアラビアの砂漠に至るまで世界中の同様の地層を反映しているのだと強調した。
アラブ文化に織り込まれた星々は、詩的なインスピレーションと文化的な里程標として機能し、人間と宇宙の永続的な関係を要約している。アル・ウラーの歴史の魅力に満ちたタペストリー上で、考古学と天文学は共に踊りながら、時間を越えた物語を明らかにしようとしている。
アル・ザフーフィ氏は、「天文学は単なる科学的な取り組みに留まりません。星空の謎を解明し、農作業の案内役となり、さらには芸術に影響を与えるという驚くべき特権を与えられた学術分野なのです」
「アラブ人は、また、アラビア語の詩の中で、天文学を具象化し、星々を通して、王を称え、愛する人と戯れます。これは、星々がアラブ人にとって、真正の文化であり、楽しみを得る手段でもあるからです」