

ナジア・フーサリ【ベイルート】
15年以上前のレバノンのラフィーク・ハリーリー元首相暗殺の調査のために国連が設置した特別法廷が、本日オランダで待望の判決を発表することとなった。
2005年2月14日、ベイルートのセント・ジョージ地区で、犯人がハリーリー氏の装甲車列の横でバンを爆発させ殺害した。これにより、バセル・フライハン議員を含む21人の民間人が死亡し、226人が負傷した。
この暗殺は大規模な市民デモを引き起こし、シリア軍をレバノンから撤退させ、ダマスカスによる30年間の治安維持と政治的保護に終止符を打った。
ベイルート港での爆発事件で100人以上が死亡、数千人が負傷した数日後、レバノン特別裁判所(STL)はハーグ近郊のライツシェンダムで判決を言い渡す予定だ。
国連は2006年2月、レバノン政府の要請を受けてSTLを設立し、政治的暗殺の罪に問われた者を裁く近代史上初の国際法廷とした。
複数の死者を出したテロを主導したとされる4人(サリム・ジャミール・アル・アヤシュ被告(56歳)、アサド・ハッサン・サブラ被告(43歳)、フセイン・ハッサン・オナイシ被告(46歳)、ハッサン・ハビブ・メルヒ被告(54歳))は、2014年1月16日にSTL第一審裁判所で裁判にかけられた。
同裁判所は、2016年5月にダマスカスで死亡したとされる首謀者ムスタファ・アミン・バドル・アル・ディン容疑者に対する審理を覆した。しかしこの決定は、将来彼がまだ生きているという証拠が出てきた場合に彼の裁判を継続する可能性を残している。
現在も身を隠している4人の被告人は、欠席裁判にかけられた。2018年に口頭弁論は終了したが、数千ページに及ぶ審査中の文書やコロナウイルス関連の制限があったため、判決は2020年に延期された。
第一審裁判所は、ベイルート時間の正午に判決を言い渡す。
STLのスポークスマンであるワジェド・ラマダン氏は、ハーグからアラブ・ニュースにこう語った。「オランダとSTLによって採用されたコロナウイルス予防対策に準拠した上で、彼らの法的代理人から被害者の名前を明らかにするよう要求した」
法廷の様子は、レバノンの全てのテレビ局、アラブおよび外国の放送局で生中継される予定だ。また法廷のウェブサイト(アラビア語、英語、フランス語)やYouTubeチャンネル(アラビア語)でも、審理の様子が更新される。ラマダン氏は、「レバノン、アラブ、その他外国のメディアから30人のジャーナリストが、この法廷を取材するための認定を受けた」と述べた。
ラフィーク・ハリーリーの息子であるサード・ハリーリー元首相も出席する予定だ。
「国際司法への希望は決して失われることはなく、真実は明らかにされるだろう。8月7日は暗殺者への報復の日になるだろう」と未来運動党の支持者に向けた声明で語った。
アヤシュ被告、メルヒ被告、オナイシ被告、サブラ被告は、テロ行為を目的とした共謀に参加した罪で告発されている。アヤシュ被告はまた、爆発物を使用してテロ行為を行った罪、ラフィーク・ハリーリー元首相を爆発物で故意に殺害した罪、爆発物を使用して他の21人を故意に殺害した罪、爆発物を使用して他の226人を故意に殺害しようとした罪にも問われている。メルヒ被告、オナイシ被告、サブラ被告は、アイヤシュ被告が告発されている4つの罪のそれぞれの共犯者として告発されている。
検察は、被告らがラフィーク・ハリーリーの動きを監視していたこと、暗殺現場に立ち会っていたこと、アハメド・アブ・アダスが犯人であるという虚偽の申告を録音テープで偽造したことを証明するために、電話の記録を調査した。
検察側は捜査の結果、シリアのバッシャール・アサド大統領が、当時レバノンの大統領であったエミール・ラホウド大統領の任期延長に同意しなければハリーリーを殺すとの脅迫をしていたことなど、政治的な背景や動機などを提示した。
このテロ攻撃は、2004年9月に国連安全保障理事会が、レバノンからのシリア軍の撤退とヒズボラの武装解除を求める決議1559を採択してから5カ月後に行われた。
検察側の最終的な覚書は、ヒズボラ指導者のハサン・ナスルッラーフ氏が4人の被告人は「レジスタンスの兄弟」であると演説で述べたことを引用し、ヒズボラとの関係を証明したと主張している。
また、ラフィーク・ハリーリーが2004年にハレトフレイクでナスルッラーフと会談した際に、アヤシュによる監視が強化されていたことも挙げている。
検察側はまた、シリアの軍事・情報将校であるルスタム・ガザレハがヒズボラ幹部のワフィク・サファとの接触を増やし、ハリーリーとの対立が激化する中、ハレトフレイクを訪問していたとも述べている。
ラマダン氏によると、最終的な判決は500ページから1000ページになる見込みだという。デイビッド・レイ氏を団長とする第一審裁判所の裁判官は、各被告に対する告発の概要とそれぞれの判決を読み上げる。
「裁判所書記官ダリル・ムンディスは、判決の謄本をレバノン当局に手渡すだろう 」とラマダンはアラブ・ニュースに語った。「これは欠席裁判であり、有罪無罪にかかわらずレバノン当局は有罪判決を受けた者の逮捕に備え、適用されるレバノンの法律に従って被告人に通知する必要がある」
弁護側には30日間の控訴期間がある。
裁判官は307人の証人の証言を聞いたが、そのうち269人が検察側の証人だった。合計119人の証人がSTLで直接、もしくはベイルートからテレビ会議システムを通じて証言した。被害者の法定代理人は、31人の証人から得た証拠を提出した。
ヒズボラは当初からSTLを承認していない。ナスルッラーフはSTLが「政治化され、イスラエルと米国の利益のためにある」と非難した。また、彼が「聖人」と称した被告人の身柄引き渡しも拒否しており、「内紛に火をつけるような判決で火遊びをしてはいけない」と警告している。
ハッサン・ディアブ首相率いるレバノン政府は、STLの決定を遵守し、金銭的借りを返すことを約束している。ディアブ首相は、人々に「火事場泥棒」を避けるよう促し、当局は判決の「余波に対処する準備をしなければならない」と述べた。
レバノンでの暗殺や誘拐への、イラン後援のグループによる関与は決して秘密事項ではなかった。ヒズボラが1985年に正式に発足する以前から、レバノン・イスラーム聖戦機構、大地の麦機構、自由民衆防衛機構、パレスチナ解放のためのイスラム聖戦隊などのグループが、シリア政権とその同盟国であるレバノンの権威の確立を目的としたテロ行為を行ってきたと主張していたのである。
1983年の米仏軍と米国大使館への爆破テロは、レバノンにおける37年間に渡る一連のテロ行為の始まりとなった。1982年から1992年の間に、104人の外国人がレバノンで人質となったが、そのほとんどがアメリカ人とヨーロッパ人であった。
CIAのベイルート事務所元所長であったウィリアム・フランシス・バックリーは、1984年3月にイスラム聖戦機構に誘拐され、1985年10月に死亡が宣告された。彼の遺体は1991年にベイルートの道路脇で、ビニール袋に入れられた状態で発見された。
アメリカ人のピーター・キルバーン、イギリス人のリー・ダグラス、フィリップ・パッドフィールド(ベイルート・アメリカン大学職員)は1986年4月に誘拐され、数日後にベイルート市内付近で遺体が発見された。社会主義イスラム革命組織と名乗る組織は、その月のリビア空爆の報復として3人を処刑したと主張している。
フランスの社会学者ミシェル・スーラは1986年2月に誘拐され、後にイスラム聖戦機構によって処刑が宣言された。彼の遺体は2005年10月に発見された。
これらの暴力的テロ行為の加害者の多くはほとんど正体不明のままであったが、ヒズボラに疑いの目が向けられるのは必然であった。
Twitter: @najiahoussari