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ヤジディ教徒の一家、EUへの夢を諦め、イラクに帰国

カウリ・カロ氏を含む一家でAP通信のインタビューに答えるゼナ・カロ氏(30歳)。イラク北部のドホーク県にあるカバルト難民キャンプの義姉妹と一緒に住むテントの中にて。土曜日撮影。(AP通信)
カウリ・カロ氏を含む一家でAP通信のインタビューに答えるゼナ・カロ氏(30歳)。イラク北部のドホーク県にあるカバルト難民キャンプの義姉妹と一緒に住むテントの中にて。土曜日撮影。(AP通信)
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20 Nov 2021 11:11:35 GMT9
20 Nov 2021 11:11:35 GMT9
  • 35歳のカロ氏は、頭を下げて借金をし、貯金もすべて使い果たしてベラルーシの首都ミンスクに向かったが、旅は不運な結末を迎えた
  • 一家はカロ氏の80歳になる病気の母親の命が危ないのではと恐れ、イラクへと戻ってきた

ドホーク・イラク: カリ・ハサン・カロ氏は、イラク北部に着陸する送還便の窓から外を覗いた。

2ヶ月前にヨーロッパでの新しい暮らしを夢見てベラルーシに向けて旅立った彼と彼の家族が二度と見たくないと思っていた景色だった。

ヨーロッパへの旅の最初の中継地となるベラルーシの首都ミンスクに向かう旅は不幸な結末に終わったが、35歳のカロ氏は、そのために頭を下げて借金をし、貯金もすべて使い果たした。

妻のゼナさん(30歳)はわずかな持ち物を売り払ってこの旅に賭けたが、一家6人は数日間、ベラルーシとポーランドの国境の寒い森の中で足止めを食らう羽目になった。結局、一家はカロ氏の80歳になる母親の命が危ないのではと恐れ、イラクへと戻ってきた。

それでも一家は、この7年間、難民キャンプで過ごした希望の見えない暮らしから逃れるためにはもう一度同じことをするだろうと言う。カロ一家は、2014年にイラク北部を制圧したダーイシュ過激派による残虐な扱いを受けた宗教的少数派のヤジディ教徒だ。

人生をめちゃくちゃにされたあの時から何年も経った今でも、ヤジディ教徒は自宅に戻ることも、過激派にさらわれた何百人もの女性や子どもたちを探すこともできずにいる。カロ家の家は現在、廃墟と化している。

「子どもたちと母が一緒でなかったら、イラクには絶対に戻らなかっただろう。このテントに帰ってくるよりも、何としても森の中に留まっていたはずだ」と、カロ氏は金曜日、イラク・クルド自治区のドホーク県にあるカバルト難民キャンプからAP通信に対して語った。

弱々しい様子のカロ氏の母親はインタビューの間中、眠っていた。

5歳、7歳、9歳の子どもを含む一家は、前日にベラルーシから戻ったところだった。

「ここは私たちのテントですらない。彼の妹のテントなんです」と、ゼナさんが口を挟む。「子どもを育てたり、生活を営む環境じゃありません」

この地域は紛争でぼろぼろになったイラクの中では最も安定していると考えられているが、夏以降に中東からベラルーシに飛んできた数千人の移民の中には、イラクからのクルド人も多く含まれていた。イラクでは豊かな地域である北部でも、失業率の上昇や政治汚職が移民に拍車をかけており、ヤジディ教徒のコミュニティは特にひどい状況を耐えてきた。

木曜日、何百人ものイラク人が欧州連合(EU)にたどり着く希望を捨て、ベラルーシから帰国した。この送還は、ポーランド・ベラルーシ間の緊張が高まる中、数千人の移民が両国の国境で立ち往生したために行われた。

カロ一家は、ミンスクからイラクに戻った430人の中に含まれる。390人がエルビル国際空港で降り、飛行機を乗り継いでバグダッドに向かった。

西欧諸国は、ベラルーシのアレクサンダー・ルカシェンコ大統領が、内部の反体制派を厳しく取り締まったために権威主義的な政権として制裁を課されたことへの報復で、移民をEUを揺さぶるための駒として利用しているのだと非難する。ベラルーシは今回の危機が計画的なものであることを否定している。夏以来、取得しやすい観光ビザに惹かれた移民たちがベラルーシに流入し続けている。そこから、EU加盟国であるポーランド、リトアニア、ラトビアに渡ろうという狙いだ。

カロ氏は、一家がイラクから脱出できるのであれば、自分が地理的・政治的なゲームの駒にされていても構わないと語る。

「誰かが私を駒にしていたとしても、ドイツまで行けるなら構わないさ」と、カロ氏。

追放されて以来、一家の状況はますます絶望的になった。6月には、これもドホークのシャリア難民キャンプに大きな損害を与えた火災により、テントが全焼。もともと住んでいたシンジャールの家に戻ろうとしたが、家は住めない状態になっていた。

昨年の春、カロ氏は友人から、ベラルーシがビザを緩和したことで、クルド人がドイツに移民することができるようになっているという話を聞いた。オーストラリアにいる兄弟に、9,000ドルを送金してほしいと必死で頼んだ。密入国業者に払う妻と3人の幼い子供と母親の分の料金のためだ。

カロ氏には、警官だった時代に貯めた貯金もあった。ヤジディ教徒としてつらい差別に耐えて苦労して稼いだお金だ。

「家族を養うのに十分に稼げないなら、仕事をして何の意味がある?」と、彼は辞めることにした理由を語った。

カロ一家は9月に陸路でイスタンブールに向かい、翌月、飛行機でミンスクに到着した。そして、そこからまっすぐにポーランドの国境へと向かった。暗闇の中、イラク人2家族と一緒に国境のフェンスの下に潜り込み、向こう側にたどり着いた。

カロ一家はGPSポイントを探して4日間歩き続けた。車が迎えに来て、そのままドイツに連れて行ってくれるはずだった。だが、それは実現しなかった。

そのかわり、4日目、森が濃い霧に包まれ気温が下がる中、一家の食糧は尽きてしまった。

ポーランド当局が一家を発見し、国境の向こうに送り返した。彼らがたどり着いたのは、野宿する数百人の移民たちだった。ベラルーシ当局は、移民たちを鉄条網の向こうに押し戻していた。

ポーランド当局は放水車を使って移民たちを追い返した。だが、ベラルーシ当局はそれにもめげず、移民たちを殴り、脅したとカロ氏は語る。「ポーランドに行け!」と叫んでいたという。

それでも、カロ夫妻は必死でそこに留まろうとした。二人とも、どんな状況でも難民キャンプでのテント生活よりはましだと思ったからだ。

だが、母親の容体がどんどん悪化し、命が危うくなってきたため、カロ氏はベラルーシ当局の恩情を求め、ミンスクに戻って母に治療を受けさせることを許された。

イラク政府が無償でイラクからの移民を送還することに合意したと聞いたカロ氏は、妻と共に自分たちに残された選択肢を検討した。イラクでの絶望的な暮らしに戻るか、母親が死んだ場合、その責任に耐えながら生きていくか。

気は進まないながらも、夫妻は送還希望者のリストに名前を書き込んだ。

だが、希望はまだ失っていないと、現在、カバルト難民キャンプにいるカロ氏は言う。5歳の娘のカタリンが、彼の胸に顔を埋める。

「今、私にとっての優先事項は2つある。1つは自分たち家族のテントを見つけること。もう1つは、足場を立て直し、この国を出ることだ。今度こそ、実現してみせる」

カロ氏は最後に付け足した。「今日が人生最後の日だとしても、私はイラクを出ようと努力し続ける」

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