
タレク・アルタカフィ
メッカ:ジッダの非イスラム教墓地は、この王国の西海岸の都市に住む多くの外国人に対し、彼らを迎え入れた土地で永眠するための場所を提供してきた。
この都市の繁華街の近くで1,000平方メートルの広さを占める歴史的な「Khawajat(外国人)墓地」は、高い壁と大きな木々が300以上の墓を取り囲む、町の中でも人目につかない手入れの行き届いた場所である。
歴史的に、王国で暮らす外国の代表者やその親族が亡くなると、遺体を故人の故郷へ運ぶのが難しいため、ここに埋葬された。
歴史家で研究者のアブドゥルラザク・アブ・ダウード博士はアラブニュースに対し、この墓地には標識がなく、壁を取り巻く生い茂った木々によってのみ、外から認識できると話した。
博士によれば、この墓地の起源については、信憑性は薄いながら最大5世紀前と話す人もいる。
「墓地は1519年にバスコ・ダ・ガマの率いるポルトガル人たちが、ジッダの街を奪おうと試みている時期に建設されたと主張する人もいる。オスマン帝国による支配中、ヒジャズ地域に外交代表者が置かれた時、西洋諸国が自国民のための墓地を要求した。そのため、この町の古代の壁の外側、ジッダ南部に墓地が設置された」
1985年から2015年にかけて約30年にわたりアッシュシャティ地区の区長を務めたタラート・ガイスは、「この墓地はキリスト教墓地と呼ばれ、諸外国の大使館がジッダにある領事館を通して運営していた」と話す。手入れと管理は毎年交代で行われたという。
ガイスは、この墓地はそれらの国の元代表者たちの埋葬地だと述べた。これまでに墓地の中で攻撃が起こったという話は一切聞いたことがないという。