

ロンドン:今年2月、米国のシンガーソングライター、アリシア・キーズがサウジアラビアでコンサートを行った。そのとき彼女は、アル・ウラーにある鏡張りの壮大な「マラヤ・コンサートホール」でパフォーマンスを行った一連の国際的スターの中で、最も新しい存在だった。
しかし、彼女が伝統的楽団「Dar AlUla」と共にステージに立ち、自身のヒット曲「Girl on Fire」のユニークなパフォーマンスを行った瞬間は、アル・ウラーが古代にしっかりと根ざしながらも、未来の国際的な文化的目的地として急速に名声を高めていることを完全に示していた。
アル・ウラー渓谷の歴史的な景観を見学し、地元の人々に会い、ワディ・アシャール・リゾートで「女性から女性へ(Women to Women)」のパネルに参加した後、キーズは今回の訪問の感想を語った。
「アル・ウラーの美しさと魅力には逆らえません」と彼女は語った。「私は常に探検家であり、古代の史跡や、はるか昔の時代から残されたものを発見することに憧れを抱いています」
「旧市街にある女子音楽学校を訪れたとき、ここでは時代を超えた職人の伝統が受け継がれていることを目の当たりにしました。私が今まで意識したことのない形で、未来が生まれつつあるのを感じています」
「そしてアーティストとして、私は自然や人類と、この特別な場所が作り出す魔法との一体感やつながりを感じるのです」
今、キーズの言葉は新しい書籍に収められている。その出版はサウジアラビア全体、特にアル・ウラーのグローバルな文化的目的地としての出現を象徴する、新たな画期的瞬間である。
ニューヨークを拠点とするラグジュアリー・トラベル&カルチャー出版社「アスリーヌ(Assouline)」から出版されたこの『AlUla Ever』は、世界有数の旅行目的地にリスペクトを捧げるシリーズの最新作である。
旅行、アート、デザイン、文化に関する質の高い書籍を専門に扱うアスリーヌは、1994年にプロスペル・アスリーヌとマルティーヌ・アスリーヌによってパリで設立された。現在はドーハとドバイを含む世界中にブティックを構えている。
その最新のトラベルガイドは、素晴らしい才能達に恵まれている。
国際的に有名な写真家が撮影した200枚以上の写真が掲載された、288ページのハードカバーに込められたアル・ウラーへの称賛が、ミコノス島、コモ湖、イビサ島、マイアミ、グシュタード、サン・トロペなど、象徴的なデスティネーションに特化した旅行本のポートフォリオに加わることになる。
このシリーズで、他にアラブ地域の観光地が紹介されたのは、2021年に出版された『Dubai Wonder』と昨年出版のサウジアラビアの海岸『Red Sea(紅海)』のみである。
『AlUla Ever』は、フランス人ジャーナリストで作家の、ジェローム・ガルサンによるエッセイを特集している。彼は、以前は『ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール(Le Nouvel Observateur)』として知られていたフランスの週刊誌『L’Obs』の副編集長兼文化部門責任者を務めていた。
ガルサンは、アル・ウラーを「他に類を見ない旅の目的地であり、サウジアラビアの古代遺跡が現代の進歩と対話する、息を呑むようなオアシスだ」と評した。
「文化的、歴史的な偉業が見事に保存されているアル・ウラーは数千年前から存在しており、最近になってようやく海外からの旅行者に開放された。旧市街から珍しい野生動物まで、この旅の目的地は発見すべき驚異の数々を提供している」
ガルサンはアラブニュースにこう語った。「私は2020年2月、アル・ウラーを探求するという大きな喜びを味わった。フランスのロックダウン前に帰国することができたが、家から出られなかった2ヶ月間、私の心はアル・ウラーの明るく、魔法のような場所に住み続けていた」
「この本を書くのは本当に楽しかった……アル・ウラーのすべてが私にインスピレーションを与えてくれた。中でも、ジャバル・イクマ(Jabal Ikmah)の宝が最も私を驚かせた」
ジャバル・イクマはアル・ウラーの北5キロメートルに位置する山で、そこには古代の旅人たちが岩に刻んだ何千もの碑文が残されている。その碑文は紀元前千年紀に遡り、現代のアラビア語より前の、複数の言語で書かれている。
「3000年前のキャラバン隊が山に残した多くの言語の碑文は、そのすべてが偉大な詩を形成している」とガルサンは言う。
アル・ウラー渓谷の中心にあるヘグラ(Hegra)は、ナバテア人がヒジャーズの壮大な岩場から切り開いた古代都市である。ナバテア人は、2000年以上前にサウジアラビア北西部以西を支配した交易の帝国を築いた人々である。
2008年、現代のヨルダンにペトラを築いた民族の南都であるヘグラは、サウジアラビアで初めて、顕著な普遍的価値を持つ遺跡としてユネスコの世界遺産に登録された。
この栄誉は、数十年にわたる考古学的調査によって、古代都市の多くの秘密と、砂岩から切り出された111の墓のコレクションが発掘された後にもたらされたものである。その多くは、装飾されたファサード(立面)と、複雑に刻まれた碑文を特徴としている。
これらは紀元前2〜3世紀から1世紀にかけて繁栄したナバテア文明の無言の証言であると同時に、ユネスコ推薦の言葉を借りれば、ヘグラは「建築、装飾、言語の使用、キャラバン交易における重要な文化交流の、傑出した証人」である。
ナバテア人の都市はイスラム以前の時代に廃墟となった。しかし、北から南へ貫くルートには交易キャラバンが通い続け、イスラム時代の到来後はメッカへの巡礼者を乗せたラクダの隊列が通った。
第一次世界大戦前、アル・ウラーは新しいヒジャーズ鉄道の停車駅となり、ダマスカスからマディーナへ巡礼者、そしてオスマン・トルコ軍を運んだ。戦時中、イギリス空軍の空襲を生き延びたこの駅は、現在は高級ブティックホテルに生まれ変わろうとしている。
このチェディ・ヘグラ(Chedi Hegra)には、駅、オスマン・トルコ時代の古い砦、歴史的な泥レンガの壁など、既存の建造物がいくつか取り込まれる予定だ。それらは現代建築と統合され、保存されることになる。
ユネスコのリストによれば、ヘグラは「アラビア半島、地中海世界、アジアを結ぶ交易路上にあり、古代後期のさまざまな文明の出会いの場所にあった」という。
今日、この美しい渓谷は再び国際的な文化の交差点となっており、アル・ウラー王立委員会(RCU)は、この地を、博物館、遺跡、高級ホテルなどのユニークなネットワークを備えた「生きた、そして開かれた博物館」に変貌させるという使命を追求している。
2035年までに、アル・ウラーは年間200万人以上の観光客を惹きつけ、地元住民のために3万5000人の雇用を創出し、その過程でサウジアラビアが世界有数の文化的目的地としての知名度を高めると予測されている。
25×35センチ、200以上の写真とイラストが掲載された、リネン記事カバーで出版された『AlUla Ever』は一部の店舗とAssouline.comにて、105ドルで販売されている。