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「生き方」: スペインのフラメンコシーンを制覇した日本人ダンサー

2024年8月29日、セビリアのアンダルス・フラメンコ協会で写真撮影に応じるラ・ユンコこと萩原淳子。(AFP=時事)
2024年8月29日、セビリアのアンダルス・フラメンコ協会で写真撮影に応じるラ・ユンコこと萩原淳子。(AFP=時事)
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03 Sep 2024 02:09:12 GMT9
03 Sep 2024 02:09:12 GMT9

マドリード:日本の萩原淳子が、スペインの伝統的なフラメンコ界に波紋を投げかけた。

南東部の町ラ・ウニオンで8月に開催された 「カンテ・デ・ラス・ミナス 」フェスティバルの閉会式で、「ラ・ユンコ 」の芸名で活動する48歳の彼女がこの栄誉に輝いたことが発表されると、拍手と野次が入り混じった。

「とても驚きました。信じていましたが、信じられませんでした」と、20年以上住んでいる南部の町セビージャからAFPに電話で語った。

東京近郊の川崎で生まれた萩原は、受賞者として名前が発表されたとき、「頭が真っ白になった」ので、野次に気づかなかったと語った。

「踊っているときは、自分が外国人だとは思いません。そんなことは思いません。思い浮かびません。私はただステージにいて、ギターを聴き、歌を聴き、そして感じたことを踊りで表現するだけです」と彼女は付け加えた。

1961年に創設された 「カンテ・デ・ラス・ミナス 」フェスティバルは、毎年開催されるフラメンコ・フェスティバルとしては世界で最も重要なものとされている。舞踊だけでなく、歌、ギター演奏、楽器演奏にも賞が与えられる。

批評家たちは異口同音に萩原を支持した。

「古典主義であること、ギャラリーのため、つまり大衆のために踊っていないこと、そして最後に、彼女のトレーニングの素晴らしさです」

萩原がフラメンコに魅了されたのは、14歳の時、スペイン人選手がこのジャンルのギター音楽を使用した体操選手権を見た時だったという。

「フラメンコ・ギターの音とメロディー、リズムが大好きになりました」と彼女は言う。

当時はインターネットもなかったので、レコードをレンタルしている店に行って、唯一手に入るフラメンコのCDを借りた。

「聴いてみたけど、ギターはなく、ただ歌っているだけだった」と彼女は振り返る。

「フラメンコのパフォーマーはよく声がかすれていて、とても深くて、怖かったんです」と彼女は笑いながら付け加えた。

萩原は東京の早稲田大学で教育学を学び、フラメンコ・サークルに入り、フラメンコのレッスンを受け始めた。

しかし、彼女はもっと必要だと感じた。

2002年、彼女は自分の情熱を追求するため、アンダルシア南部の州都であり、フラメンコ発祥の地でもあるセビージャへ、世界をまたにかけた劇的な移住を決意した。

両親の反対を押し切っての移住だった。

「日本ではテクニックや振り付けを学ぶことができますが、もちろんフラメンコは文化であり、生き方です」

「父はとてもとても怒りました。父はとてもとても怒って、3カ月間私と口をききませんでした。母は 情けない、情けない と言っていました」と萩原は語った。

スペインではフラメンコに打ち込み、一流の教師からダンスを学び、スペイン語に堪能になり、海岸沿いの町タリファ出身のアンダルシア人男性と結婚した。

彼女はセビージャでパフォーマーとして徐々に名を上げ、フラメンコを教えるようにもなった。

多くの外国人がそうであるように、彼女も最初は地元の人々の活発な話し方に驚いた。

「みんなケンカしているのかと思ったわ!」。と萩原は言った。

違いは他にもあった。

「日本の文化では、気持ちを隠すことに重きを置いていますが、フラメンコでは、気持ちを見せなければなりません。日本では内面、フラメンコでは外面なんです」

AFP

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