
東京:芸者たちは木製の舞台を慎重な足取りで滑るように進み、日本では珍しくなりつつある、長い間理解されていなかった伝統を垣間見せた。
扇子を持って踊る着物姿の芸者たちは、有名な印象的な白い化粧と凝った髪型をせずにリハーサルをしていた。
水曜日から7日間、彼女たちは日本の首都の中心にある劇場で行われる100年の歴史を持つ「東をどり」で華麗なパフォーマンスを披露する。
芸者文化に詳しい作家の岩下尚史氏はAFPの取材に対し、「日本人は芸者の仕事を理解していなかったり、誤解していることが多い」と語った。
日本語で芸者とは「芸能人」を意味し、日本の伝統芸能の訓練を受けた女性または男性を指す。しかし、芸者の中心的な役割は「単に踊ったり歌ったりすること」をはるかに超えている、と岩下氏は言う。
日本各地にいる芸者は、また違った特技で知られている。
芸妓と呼ばれる京都では、「舞踊が最も重要な芸事と見なされている」と岩下氏は言う。
一方、東京の芸者は歌と三味線の才能で知られている。
例年出演している東京・新橋の芸者だけでなく、今年は初めて日本の19の地域から東をどりに参加する。
全体で約180人の芸者が参加し、1日2回、小グループに分かれて舞台に立つ。
新橋の芸者である小菊は、自分の仕事は何よりもまず「料亭と呼ばれる伝統的な料理屋で客を迎え、もてなすこと」だと語った。
花街と呼ばれる歴史的な芸者町にあるこうした高価で高級な店への入店は、招待客のみである。
現在、新橋で働く芸者は40人ほどで、昔と比べると芸者の数は減っている。
「少し前までは100人いたのに、60人になって……どんどん減っています」と小菊は言う。
芸者としての生活は厳しく、実績のある芸者でも厳しい稽古スケジュールが組まれている。
「一般的に、実力があると認められるには10年かかる」と、音楽と舞踊が好きだった小菊は言う。
指導者に見守られ、稽古場では楽器の生演奏が入る芸者たちの振り付けには、キツネの動きを真似るなどの遊び心もある。
芸者の年齢を聞くのは失礼にあたるが、ショーに参加する芸者の中には、50年、60年と芸を続けている者もいる。
小菊は、このまま何も変わらなければ、衰退しつつある芸者の伝統にとって「手遅れ」になってしまうのではないかと心配しているという。
東をどりのルーツは1868年から1912年の明治時代までさかのぼる。
専門家の岩下氏によれば、宴会で政府高官をもてなす芸者は、近代日本文化の形成に「重要な役割」を果たしたという。
岩下氏は、日本の芸者の数が減っている主な理由は、単純に客の数が減っているからだと考えている。
かつて芸者は日本の裕福なエリートから生計を立てていたが、1993年、当時の細川護煕首相は料亭での政府主催の宴会の廃止を呼びかけた。
これは「業界にとって痛手だった」と岩下氏は言う。
小菊も「世の中が変わった」ことに同意している。
「最近では、企業がオフィスやその他の場所でレセプションを開催することが増えています」と彼女は言った。
東をどりの会場となる新橋演舞場は、1925年の第1回で開場した。
第二次世界大戦で破壊された後、1948年に再建され、戦後の豪華な公演は日本の歌舞伎に影響を与えたが、観客の好みに合わせて簡素化された。
芸者という職業の将来が不透明な中、岩下氏にとって「このような劇場がまだ存在し、「東をどり」100周年というのは奇跡以外の何物でもない」という。
AFP