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港湾爆発による甚大な被害から3年、灰と瓦礫の中からベイルートの象徴的な美術館が再開

レバノンの重厚なスルソーク美術館は、ベイルート港での爆発事故により、建築の宝石と近・現代美術のコレクションが壊滅的な打撃を受けた後、2年以上経過して再開された。(AFP)
レバノンの重厚なスルソーク美術館は、ベイルート港での爆発事故により、建築の宝石と近・現代美術のコレクションが壊滅的な打撃を受けた後、2年以上経過して再開された。(AFP)
レバノンの重厚なスルソーク美術館は、ベイルート港での爆発事故により、建築の宝石と近・現代美術のコレクションが壊滅的な打撃を受けた後、2年以上経過して再開された。(AFP)
レバノンの重厚なスルソーク美術館は、ベイルート港での爆発事故により、建築の宝石と近・現代美術のコレクションが壊滅的な打撃を受けた後、2年以上経過して再開された。(AFP)
レバノンの重厚なスルソーク美術館は、ベイルート港での爆発事故により、建築の宝石と近・現代美術のコレクションが壊滅的な打撃を受けた後、2年以上経過して再開された。(AFP)
レバノンの重厚なスルソーク美術館は、ベイルート港での爆発事故により、建築の宝石と近・現代美術のコレクションが壊滅的な打撃を受けた後、2年以上経過して再開された。(AFP)
レバノンの重厚なスルソーク美術館は、ベイルート港での爆発事故により、建築の宝石と近・現代美術のコレクションが壊滅的な打撃を受けた後、2年以上経過して再開された。(AFP)
レバノンの重厚なスルソーク美術館は、ベイルート港での爆発事故により、建築の宝石と近・現代美術のコレクションが壊滅的な打撃を受けた後、2年以上経過して再開された。(AFP)
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28 May 2023 03:05:55 GMT9
28 May 2023 03:05:55 GMT9
  • この再開は、深刻な経済危機に揺れるレバノンで、ベイルート住民に貴重な明るい話題を提供した

ベイルート: レバノンのスルソーク美術館は、ベイルートの港で起きた大量の不適切に保管された化学物質による爆発事故で、貴重な絵画やコレクションの多くが灰に帰してから3年後、一般公開を再開した。

金曜日の夜の再開は、ベイルート市民にとって、レバノン人口600万人の約4分の3を貧困に陥れている深刻な経済危機に揺れるこの国で、稀に見る明るい出来事となった。

もともと1912年に、ベイルートのアクラフィエ地区を見下ろす丘の上に、個人の別荘として建てられたこの豪邸は、ベネチア様式とオスマン様式が融合している。その所有者、有名なレバノン人美術収集家ニコラス・イブラヒム・スルソーク氏は、1952年に亡くなる時にこの大切な邸宅を現代美術館に改修するよう遺言して親族に残した。

美術館には、著名な画家ジョルジュ・コームの作品や、フアド・デバスの3万枚の写真ライブラリーなど、1800年代後半から続くレバノン美術が収蔵されており、個人の写真コレクションとしては最大級である。これらの写真は、1830年から1960年代までのレバント地域(トルコからエジプトまでの地中海東岸諸国を含む地域)のものだ。2008年から、7年間のプロジェクトで改修と拡張を行い、2015年にリニューアルオープンした。

レバノンの首都ベイルートのスルソーク美物館の再開に参加する人々。(AFP)

しかし、2020年8月4日にベイルートの港で起きた爆発は、わずか800メートル(875ヤード)ほどしか離れておらず、美術館を正面から完全に直撃した。ステンドグラスは粉々になり、扉は吹き飛び、展示されていた美術品のほぼ半分が破損した。この爆発はベイルートの大部分を襲い、200人以上が死亡、6,000人以上が負傷した。

美術館のカリーナ・エル・ヘルー館長は、レバノンの1975年から1990年の内戦期にも見られなかったような、前例のない破壊だったと述べた。建物の70%が大きな被害を受け、展示されていた132点の美術品のうち66点が破損したという。オランダ人アーティスト、キース・ヴァン・ドンゲンのニコラス・スルソーク氏の肖像画は、ガラスの破片で引き裂かれた。

爆発から2カ月後、当時のゼイナ・アリダ館長は募金活動を開始し、当時の被害額を約300万ドルと見積もった。イタリア、フランス、ユネスコ、さまざまな民間団体からの支援を受け、建物と作品の修復のため、最終的に200万ドル以上を集めた。

レバノンの首都ベイルートのスルソーク美術館の再開に参加する人々。(AFP)

修復は長く、骨の折れる作業だった。スルソーク氏の肖像画は、他の2つの美術品とともにパリに運ばれ、そこで修復された。レバノン国内外から専門家が美術館に集まり、破損したテラコッタの彫刻をつなぎ合わせ、絵画を台無しにした破れや傷を修復した。また、爆発で飛び散った埃や瓦礫を丁寧に取り除き、多くの作品の輝きを取り戻した。

「ベイルートの至る所で目にした爆風による白い粉は、地下4階の倉庫にまで到達していました」とエル・ヘルー氏は語った。彼女は、この再開が、国の経済が破綻している中で、多くのレバノン人の士気を高め、自由な表現のための「安全な空間」を提供できればと希望している。

今、芸術はこれまでにないほど重要になっていると、彼女は付け加えた。「闇に直面したとき、(アーティストたちは)芸術と文化を通して戦ったのです」と彼女は語った。

金曜日の夕方、スルソークの並木のある大きな中庭に数十人が集まり、聖歌隊と楽団が入り口の階段で再開を祝うセレナーデを奏した。爆発前とほぼ同じ姿の美物館には、感謝のため息が漏れた。爆発以降、ベイルートがいかに衰退し、どれほど多くのアーティストがこの国を去っていったかを思い起こす人もいた。

「近年レバノンを離れてしまったスルソークの友人たちがみんな、せめて私たちを訪ねてきてくれることを願っています」と、博物館の会長であるタレク・ミトリ氏はAP通信に語り、ゲストを出迎えた。

港の爆発で被害を受け、その後数年で修復されたアート空間は、スルソーク美術館だけではなかった。

レバノンの首都ベイルートのスルソーク美術館の再開に参加した人々。(AFP)

港の出入り口の1つに近いギャラリー、マーファ・プロジェクトは、ついに再建され、再開された。また、家族経営のホステルで、長年にわたり活気ある文化の拠点となり、アートスタジオや展示スペースを備えたサイフィ・アーバン・ガーデンズのように、破壊され、永久に閉鎖された施設もある。

財政的な支援がなければ、19世紀に建てられ、爆発で被害を受けたオスマン帝国時代の家屋を含む多くの歴史的建物が、最終的に開発業者に売却される可能性がある。資金難のレバノン政府は、大規模な修復プロジェクトに資金を提供することができないでいる。

ベイルート・アメリカン大学のモナ・ファワズ教授(都市学・都市計画)は、スルソーク美術館がネットワークと運営によって資金を調達できたことは、他の美術館にとって貴重な教訓になると述べている。

「数少ないサクセスストーリーのひとつと考えてもよいのではないでしょうか」とファワズ氏は言う。

金曜日のリオープニングでは、レバノンの芸術と文化の歴史、そして困難な過去をものともしない人々の不屈の精神を証明する、古典と現代美術の5つの新展示を見ることができた。

展示のひとつ「イジェクタ(噴出物)」は、暗い部屋に設置され、ビデオとオーディオ録音で港の爆発を振り返る。このインスタレーションを支えるアーティストであるザド・ムルタカ氏は、このインスタレーションが、あの日の暗い思いを未来への希望に変えるきっかけになればと願っていると語った。

「内戦の時代、私たちは常に立ち上がる方法を見つけていました」と彼は言った。

「しかし、爆発の後、最初に感じたのは疑問でした。あの後、私たちは耐え抜くことができるのだろうかと思いました」とムルタカ氏は付け加えた。「この暴力をポジティブなものに変えていくことが、今日重要なことなのです」

AP

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