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アラビア書道はどのようにアラブのアイデンティティにとって不可欠になったか、またそうあり続けるには

15 Feb 2020
ウィサム・ショウカット氏は、イラクのアラビア書道家。(補足)
ウィサム・ショウカット氏は、イラクのアラビア書道家。(補足)
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Updated 15 Feb 2020
15 Feb 2020
  • サウジアラビアのアラビア書道年記念特集・シリーズ第1回目

イアン・アッカーマン、ドバイ

イラクの書家ウィサム・ショウカット氏はドバイのカフェに静かに座り、アラビア書道の複雑さを根気よく説明する。

「ラテン系文字は独立しています」とショウカット氏は言う。「アラビア語では単語が連結しているため多くの合字が作られ、文字に美しさの層が加わります。アラビア書道が美しい理由の1つは、そうした流れとつながりです。」

芸術、実践、忍耐、情熱が組み合わさったアラビア書道は、アラブとイスラム両方のアイデンティティにおける中核である。その美しさ、明快さやハーモニーゆえに愛されており、幾千年もの間強化され、発展してきた。

その発祥は、コーランの保存、そして西暦7世紀と8世紀のイスラム帝国による領地拡大である。これによりイスラム教とアラビア語の両方が北アフリカとイベリア半島に広まった。最終的には、イスラム黄金時代の規律と優雅さを持つ現在の体系として花開くだろう。

「アラブ人、またイスラム教徒はアラビア書道を自分たちのアイデンティティとして考えると思います」と書道の図形的要素に惹かれているショウカット氏は言う。「これは私たちにとって純粋なもの、本物なのです。」

アラビア書道の技巧は、ナスフ体とクーフィー体という2つの主要なスタイルから発展した。(補足)

アラビア書道の技巧は、ナスフ体とクーフィー体という2つの主要なスタイルから発展した。西暦7世紀またはその前後のイラクの都市クーファを起源とするクーフィー体は、普遍的な書体の初期の例である。長い垂直線、顕著な角度や比率の測定によって定義され、コーランの書き写しの際に好まれた書体だった。その幾何学的な構造は、特に建築装飾にも適していた。

時の経過とともに、書体の進化を象徴して編み込まれたり、花で飾られたり、四角張ったりした、クーフィー体の他のバリエーションが現れた。どの書体も、主にその使われ方によって決められ、ファーティマ時代には陶器や建築を飾るために開発された花飾りのクーフィー体があった。比較的小さく丸いナスフ体は、行政文書において好まれた書体となった。高度に図式化されたディーワーニ体のような他の書体は、偽造を防ぐためオスマン帝国時代に裁判所の書簡用として開発された。

アラビア書道の法則を成文化したのは、アッバース朝カリフの下で役人だったイブン・ムクラだった。イブン・ムクラは、神との関係を反映した、どんな文字でも確実に互いが比例する書法体系を開発した。これはすべての文字のサイズを計算する測定単位として(書道家のカラムのペン先で書ける)菱形の点と(アラビア語のアルファベットの最初の文字)アレフの長さを規定することによって成し遂げられた。この書法体系は、ナスフ体、ムハッカク体、ライハーン体、スルス体、リカーウ体、タウキーウ体の6書体に適用され、現代においてもまだ適用されている。例えば、アレフの高さはムハッカク体なら点8個分、スルス体なら点7個分、タウキーウ体なら点6個分となる。

バスマ・ハムディ氏は、エジプトのデザイナーおよび教育者であり、「Khatt:Egypt’s Calligraphic Landscape」の著者。 (補足)

イブン・ムクラの死後数年さらに数世紀の間、イブン・バウワーブとヤークート・ムスタアスィミーの2人によってイブン・ムクラの書法体系は洗練されていった。2人はどちらも人生の大半をバグダッドで過ごした。イブン・バウワーブは推定64部のコーランを制作し、その中で最も有名な作品はダブリンのチェスター・ビーティ図書館にある。最後のアッバース朝カリフの書記を務め、1258年のモンゴルによるバグダッド侵略を生き延びたアル・ムスタアスィミーは、偉大な中世の書道家の最後の1人となった。ムスタアスィミーは、軸をまっすぐ切ったカラムから斜めに切ったものへと変え、より洗練され優雅な書体にした。

「モンゴル人のバグダッド侵攻後、ヤークート・アル・ムスタアスィミーの弟子数人がイランとトルコに移住しました」とショウカット氏は語る。「弟子から弟子へとアラビア書道が教えられ、また学ばれました。また、トルコの学校の父と考えられているシェイフ・ハムドゥッラーと呼ばれる書道家がいました。この人物がイブン・ムクラ、イブン・アル・バウワーブ、アル・ムスタアスィミーの仕事を引き継ぎ、強化し始めたのだと私は考えます。」

エジプトのデザイナーおよび教育者、また「Khatt:Egypt’s Calligraphic Landscape」の著者であるバスマ・ハムディ氏は、アラビア書道が最高潮に達したのはオスマン帝国時代だった、と言う。その時代、速書きから進化した直線とシンプルな曲線のリカーウ体や、機密保持のため主に裁判所の書簡に用いられたディーワーニ体など、いくつかの書体が発明または完成された。

「これらすべての文字は、オスマン帝国時代に本当に進化しました。私たちは書道家として、書道の最高の手本を見る時、その制作者たちをも見ているのです。」と、主にスルス体とジャリー・ディーワーニ体を使うショウカット氏は言います。「18世紀の終わりか19世紀の初め頃、アラビア書道が停滞したのはその頃だと言えます、なぜなら誰もが、『これだ、これが頂点だ』と思ったからです。」

アラビア文字の印刷とデジタル化により、美しく表現された書道の需要はその後減少したものの、依然としてアラブ文化の中心であり続けている。モダンアートのHurufiyya運動、エル・シード、ヤザン・ハルワニなどのストリート・アーティストによるカリグラフィティとして新たな表現を見出し、デザイナーや建築家に受け入れられてきた。アラビア書道が国の視覚文化において重要な位置を占めるエジプトでは、1900年代初頭から書道家が看板、広告、映画のポスターの制作を担当してきた。ブランドにもアラビア書道が受け入れられるようになってきた。

「アラビア書道がデザイン、広告、大衆文化に返り咲くのを見られてうれしいです」とハムディ氏は言う。「唯一心配しているのは、比率や(正しく正式な位置の)文字体系といった形への認識不足です。エジプトのポスターや広告によく使用される略字のリカーウ体など、アラビア文字の特定の形に対するノスタルジアは、何世紀もかけて完成した比率、書法、ガイドラインを尊重する必要性に取って代わっているようです。アラビア語の羅列、広告、会議などで用いられた書体やフォントの非常に貧弱な例をよく見かけます。文字の美しさへの尊重および形の重要性への意識を高める必要があります。」

この比率と形への認識は、アラビア書道の現代または将来の使用に関する議論の中心である。古典的な伝統を守り、形を厳守するか。または、近代化や新しい書体の開発の余地があるのか。書法がなく、正式な訓練を必要としないカリグラフィティはアラビア書道と同じ次元で議論されるべきなのか。また、実験的な遊びと規則違反を伴う現代のレタリングは、どのように議論されるべきか。

「書道におけるすべての異なった書体について考えると、ある時点で書体は進化し、それ以前の書体より革新的だと見なされました」と、2004年に独自の文字アル・ウィサムを発明したショウカット氏は言う。「本当によく書道を勉強し、どのように進化するかを理解していれば、新しいものを思いつくことができるでしょう。すべては進化するはずです。但しルールを破るのは、まずマスターしてからです。」

「伝統的な書道家から、もっと書道の進化についてアイデアを募りたいと思っています」と同氏は続けた。「私のようにしてみましょう。文字を選び、それに付け加え、過去への理解に基づいて新しい形を制作します。ずっと昔に誰かがその仕事をしたおかげで、あなたの手の間にあるこの文字はあなたに届いたのです。昔の書道家たちによる文字の進化を見てあなたは「素晴らしい、もう完璧だ」と思うでしょう。しかし、違います。何も完璧にはなり得ません。進化の余地はあるのです。」

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