Since 1975
日本語で読むアラビアのニュース
  • facebook
  • twitter
  • Home
  • 特集
  • 書道がアラブ人アイデンティティにとって不可欠なものとなり、これからもそうであり続けるわけ

書道がアラブ人アイデンティティにとって不可欠なものとなり、これからもそうであり続けるわけ

ウィサム・ショウカット氏は、イラクのアラビア書道家。(補足)
ウィサム・ショウカット氏は、イラクのアラビア書道家。(補足)
Short Url:
14 Feb 2020 01:02:59 GMT9
14 Feb 2020 01:02:59 GMT9
  • サウジアラビアの「アラビア書道の年」を記念した連載シリーズ第一弾

イアイン・アカーマン

ドバイ:ドバイのカフェで、根気よくアラビア書道の奥深さを説明してくれているのは、イラク人書道家のウィッサム・シャウカット氏だ。

「ラテン語の文字は離れている」が、「アラビア語では単語がつながっているため、多くの連結線が生まれ、文字に美しい層を加えるのです。そのような流れやつながりがアラビア書道を美しくする要素の一部です」と彼は語る。

芸術、訓練、忍耐、そして情熱が組み合わさってできる書道は、アラブそしてイスラム教のアイデンティティの中心にある。人々はその美しさ、明瞭さ、そして調和を重んじながら、数千年にわたり技術を高め、発展させてきた。

書道はアラブそしてイスラム教徒のアイデンティティの中核にある

アラビア書道の起源は、コーランの保存と、北アフリカおよびイベリア半島にアラビア語を広めた西暦7~8世紀のイスラムの西方征服にある。そしてイスラム黄金時代に、徐々に現代のような学問へと発展し、洗練さが備わった。

「アラブ人、またはイスラム教徒は、書道をアイデンティティとして見なしていると考えます。」「これは唯一、私たちにとって純粋なことです。本物なのです」とシャウカット氏はいう。

アラビア書道の芸術は、2通りのスタイルから発展した。ナスフ体とク―フィー体だ。ク―フィー体は7世紀頃、イラクの年クーファで発展した、一般的な書道スタイルの最も古い字体である。長い垂直線を特徴年、角張っていて均整の取れたク―フィー体は、コーランの筆写に好まれる字体となった。また、その幾何学的な構造により、特に建造物の装飾にも適していた。

アラビア書道の芸術は、ナスフ体とク―フィー体という主に2つのスタイルから発展した。(提供)

年月の経過とともに、ク―フィー体の変化形が生まれた。編み目模様、花模様、四角形型などのク―フィー体は、書道スタイルの進化を象徴している。様々な文字体はどれも、その用途によって決められた。例えば、花模様のク―フィー体は、ファーティマ朝時代に陶器や建造物を装飾するために生み出されたものだ。ク―フィー体よりも小ぶりで丸みのあるナスフ体は、行政文書でよく使われていた。その他にも、スタイル性の強いディーワーニ体は、オスマン帝国時代に裁判書類の偽造防止のために作られた。

書道の原則を成文化したのは、アッバース朝時代の大臣、イブン・ムクラという人物だ。その神聖さを反映し、すべての文字を均等な比率にするという書体を彼は採用した。これを徹底するため、(書道家が使うカラム(ペン)の先を使って描く)ひし形の点とアレフ(アラビア文字の第一文字)の尺度を基に、すべての文字の大きさが決められた。このように成文化されたシステムは、ナスフ体、ムハッカク体、ライハーニ体、スルス体、リカーウ体、タウキーウ体という6つの書体で採用され、現在でもそれは続いている。例えば、アレフの高さはムハッカク体の場合は点8個分、スルス体が7個分、タウキーウ体が6個分だ。

マダニ体の見本

イブン・ムクラが考案した体系は、彼の死後数十年、数百年間にわたり、人生のほとんどをバグダッドで過ごしたイブン・アル・バッワーブとヤークート・アル・ムスタウスィミーによってさらに洗練されていった。前者は約64部のコーランを制作したとされており、中でも最も有名なものは現在ダブリンのチェスター・ビーティ図書館に置かれている。アル・ムスタウスィミーはアッバース朝最後のカリフの書記として仕え、1258年のモンゴル軍によるバグダッド包囲を生き延びた中世最後の名書道家である。ペン先をまっすぐなものから斜めに削られたものに替え、より洗練された優美な文字を作り上げた。

「モンゴル軍のバグダッド包囲以降、ヤークート・アル・ムスタウスィミーの師弟の何人かがイランとトルコへ移りました」とシャウカット氏は話す。「師弟から師弟へと書道は伝えられました。その中に、トルコ流派の父として知られるシャイフ・ハムドゥラーという人物がいました。彼が、イブン・ムクラ、イブン・アル・バッワーブ、そしてアル・ムスタウスィミーの六書体をさらに改良した人物です。」

木と石に彫られたク―フィー体の文字(Getty Images)

書道がその頂点に達したのはオスマン帝国時代だったと話すのは、エジプト人のデザイナー、教育者、そして「Khatt: Egypt’s Calligraphic Landscape」の著者でもあるバスマ・ハムディ氏だ。同時代に、いくつかの書体が考案、完成されたという。その例が、手書き文字から進化した、直線とシンプルな曲線が特徴のルクア体、そして主に裁判書類の機密性を守るために使用されていたディーワーニ体だ。

スルス体とジャリー・ディーワーニ体を主に専門とするシャウカット氏は、「これらの字体は厳密に言うとオスマン時代に進化したもので、私たち書道家にとって、優れた書道の手本と言えば彼らが書いたものです」と言う。「18世紀末から19世紀初め頃には、書道の進化が止まったと言えるでしょう。それは人々が、『これこそが頂点だ』と考えていたからです。」

アラビア書道の技巧は、ナスフ体とクーフィー体という2つの主要なスタイルから発展した。(補足)

アラビア文字の印刷やデジタル化により、美しい手書きの書道の需要は低下したものの、今でもそれはアラブ文化の中心的存在である。デザイナーや建築家らにも取り入れられており、エル・シードやヤザン・ハルワーニなどのストリートアーティストは、カリグラフィティとしてアラビア書道の新たな表現を発見し、またエジプトの現代アートムーブメント、「フルフィヤ」にも見ることができる。

「書道がデザイン、広告、ポップカルチャーなどで復活していることを嬉しく思います」とハムディ氏は語る。「唯一心配なのは、比率や筆記法(正しい形式的な位置)に関する意識が欠けていることです。私はアラビア文字の特定の書体に対する懐古の念が、何世紀もかけて完成された比率、ルール、要領に払うべき尊敬心を超えてしまっているように感じます。例えば、エジプトのポスターや広告で良く使われるルクア体のように。また、アラビア語のドラマ、広告、会議などで、誤った活字体やフォントの例をよく見かけます。文字の形、そして美しさの重要性に関する意識をもっと高める必要があります。」

スルス字体の見本(提供)

このような比率や形に関する意識というのは、現代そして将来のアラビア語書道の使用をめぐる議論の焦点だ。古典的な伝統を守って、厳密にその形にこだわるか。それとも新たな書体を作り上げる、近代化の余地はあるか。何もルールがなく、正式な訓練もいらないカリグラフィティを、そもそも書道と同じ土俵に上げてもよいのか。また、実験的な遊びやルール破りができてしまう現代の字体は、どのように議論すべきなのか。

「さまざまな書道のスタイルを考えてみれば、これらもある時点では、その前のものに対して革命的だと思われていたわけです」と、2004年に独自の字体「アルウィッサム」を考案したシャウカット氏はいう。「書道を深く学び、物事がどのように進化するかを理解すれば、新しいものを発明できるでしょう。すべてのものは進化します。しかし、ルールを破るには、まずそれを習得しなければなりません。」

「私は、古典派の書道家が、もっと書道の進化という概念を受け入れるようになることを願っています」と彼は続ける。「私のように、字体を選び、何かを加え、そして過去を理解することで新しい形を作るのです。今ここにある字体は、大昔に誰かがそれを作ってくれたおかげです。でもその誰かは、別の字体を進化させたのです。それなのに、「よし、これで完璧だ」というのですか。いいえ、完璧なものなどありません。進化の余地は常にあるのです。」

特に人気
オススメ

return to top