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ゴーン逃亡で逮捕の元グリーンベレー、危険と隣り合わせの人生

2020年5月20日、マサチューセッツ州ハーバードにあるマイケルとピーター・テイラーの自宅の風景(AFP)
2020年5月20日、マサチューセッツ州ハーバードにあるマイケルとピーター・テイラーの自宅の風景(AFP)
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21 May 2020 03:05:58 GMT9
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防犯カメラが、世界の最重要指名手配犯の1人を輸送するジェット機から降りるマイケル・テイラー(Michael Taylor)をとらえる数十年前、かつてグリーンベレーだった彼は、危険な任務を引き受けることで苦労して得た評判があった。

長年に渡り、テイラーは拉致された子供たちを救うため、その両親に雇われていた。 彼はマサチューセッツ州の麻薬集団を欺くため、FBIの潜入捜査をした。そして彼はイラクとアフガニスタンで軍事請負業者として働き、その任務によって連邦詐欺事件でユタ刑務所へ入ることとなった。

したがってテイラーが、12月に元日産の最高経営責任者であるカルロス・ゴーン(Carlos Ghosn)が、経営者として金融不正行為の告訴に関する裁判を待つ日本からの逃亡に関与したとされたとき、米軍および法曹界の一部の人々はすぐに彼の名前を認識した。

テイラーは「ほとんどの人が考えもしないような危険な状況に身を投じたが、すべてに正当な理由があった」と、1990年代初頭からセキュリティコンサルタントとして知られている、ボストンの元連邦検察官、ポール・ケリー(Paul Kelly)は語った。

「彼が日本で起こった事に関わっていたかもしれないという記事を読んで驚いたか? いいえ、まったく」

水曜日、59歳のテイラーと、27歳の彼の息子ピーターは、逃亡者となって数か月後にマサチューセッツ州で、空気穴が開けられた輸送ケースにゴーンを隠し、チャータージェットで日本から密出国させた容疑で逮捕された。捜査官らは、依然としてテイラーの同僚である、レバノン出身のジョージ・ザイエク(George-Antoine Zayek)を探していた。

現在テイラーらの弁護士を務めているケリーは、「いくつかの法的および事実に基づいて」日本の引き渡し要求に異議を申し立てる計画であると述べた。

「マイケル・テイラーは著名な退役軍人かつ愛国者であり、彼と彼の息子の両者がこれらの問題について完全かつ公正な審理を受けてしかるべきだ」とケリーは電子メールで述べた。

テイラーを知っている人の中には、ユタ事件のはるか以前にさかのぼる法的問題の経歴に伴い、彼が疑わしい判断をする特徴がある、と言う人もいる。しかし、その他の人々は彼を愛国者、指導者、家族を大切にする男とし、支払い能力がほとんどない人を含む依頼人らのために、常に自分の身を危険にさらしていた、と賞賛する。

「彼は私が知っている中で最もアメリカ人らしいの男性だ」とテイラーの助手、バーバラ・アウテリオ(Barbara Auterio)は2015年の判決の前に連邦判事に手紙を書いた。「彼の最も好きな歌は国歌だ」

1993年、マサチューセッツ州警は麻薬の密売でテイラーを調査し、貴重なFBI情報提供者の精査をやめるように言われた後、彼の監督人を訴えた。1998年、テイラーは、恐喝で告発されたトラック運転手組合の役員に対する証言と引き換えに免責を与えられた。ボストン・ヘラルドの2001年の報道によると、1999年、彼は依頼人の別居中の妻の車に大麻を隠し、逮捕に導いた罪を認めた。

また、テイラーは2011年に、マサチューセッツの高校であるローレンス・アカデミー(Lawrence Academy)でフットボールコーチを辞任し、2つの肩書きを奪われたことで注目を浴びた。

テイラーは、Division Iの7人の新人を含む、チームメンバーの授業料を代わりに支払うなどの不適切な寄付で非難された。

「彼がフィールドの向こうから私たちに向かって叫ぶのは気分の良いものではなかった。彼は、ボールを蹴るには男らしさが足りない、と私たちを呼び出した」と、テイラーがロード・アイランド州のセント・ジョージ・スクール(St. George’s School)のコーチであることに反対したジョン・マッケイ(John Mackay)は言った。

数十年前にテイラーとパートナーが設立したセキュリティビジネスは当初、個人調査に焦点を当てていたが、彼らの取扱件数は、企業の仕事や、元配偶者によって子供を海外に連れて行かれた親などの、国務省やFBIからの非公式な紹介を通じて増加した。

「マイケルテイラーは、この大国で私を助けることができる唯一の人物で、実際にそうした」と、息子がベイルートに連れて行かれたカリフォルニアの女性は、ユタ州の軍事契約訴訟で判決を下した判事に手紙を書いた。「マイケルテイラーは私の息子を連れ戻した」

2012年、連邦検察官は、テイラーがアメリカ人将校から渡された秘密の情報を使用し、アフガニスタン兵士を訓練する米軍契約を得たと主張した。

検察は、契約が調査中であることをテイラーが知ったとき、彼はFBI捜査官と友人に介入するように頼んだと語った。

政府はテイラーの会社の銀行口座から500万ドルを押収し、彼は2件の有罪を認めることに同意するまで、14か月間刑務所で過ごした。政府は、没収された車両と200万ドルを会社に返還することに同意した。

どうやらゴーンを解放する計画は、工作員がプライベートジェット用に予約した日本のターミナルを偵察し始めた、昨年の秋に始まったようだ。東京にはゴーンの家から容易にアクセスできる空港が2つある。しかし、このグループは、手荷物のX線検査に使用される機械が大きな箱を収容できない大阪の関西国際空港の専用ターミナルを選んだ。

法廷文書によると、逃亡の日、マイケル・テイラーとザイエクは、オーディオ機器を運ぶミュージシャンであると主張し、2つの大きな黒い箱を乗せたチャータージェットで日本へ飛び立った。

その日の午後2時30分頃、高額の保釈金を払ったゴーンは、東京は六本木周辺の緑豊かな通りにある自宅を後にし、近くのグランドハイアットホテルまで歩き、そこの1室へと向かい、2時間後に出発して大阪行きの新幹線に乗った。

その夜、彼の救助者たちは、日本語で「束の間」という意味の、Premium Gate 玉響(プレミアムゲートたまゆら)の名で知られる、大阪のプライベートジェットターミナルを通って輸送ボックスを押し運んだ。

ターミナルの従業員は、貨物を検査せずに彼らを通過させた。

午後11時10分、窓にプリーツシェードが取り付けられた、チャーターされたボンバルディアが飛び立った。この便はまずトルコへ向かい、その後ゴーンが市民権を持ち、日本との間に引き渡し協定のないレバノンへと向かった。

「私は正義から逃げたのではない」と、ゴーンは再び姿を現した後に記者団に語った。 「私は正義を求めるため日本を去った」

AP通信

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