




東京:フランシスコ教皇は25日、2011年に起きた地震、津波、福島原発メルトダウンの「三大災害」の犠牲者を支援するための新たな努力を呼びかけ、日本が原子力を使い続けることに対する「懸念」を示した。
自身の長年の望みであった今回の訪日の最終日の前日、フランシスコ教皇は、2011年3月11日、マグニチュード9.1の地震とそれに続く17メートル(56フィート)の高い津波により東北地方の大部分に大惨事がもたらされ、1万6千人近くが犠牲となった運命の日の生存者と感動的な出会いを果たした。
避難後にひどいいじめを受け「死にたい」と思い、父親は災害後、精神的および肉体的な病に苦しめられていると語った17歳の少年、鴨下全生君をローマ教皇は抱きしめた。
82歳になるローマ教皇は、「あふれるほどの祈りと物質的および財政的援助」とともに犠牲者たちの支援に駆けつけてくれた人たちに対し敬意を表した。
「このような行為を、時間の経過とともに失わせたり、最初の衝撃の後になくしてしまったりするのではなく、 むしろ、継続し維持すべきです」とフランシスコ教皇は語った。
この津波はすべてを流し去り、人々、建物、農場を押し流してしまっただけでなく、福島第一原子力発電所の冷却システムにも損傷を与え、チェルノブイリ以来最悪の原子力災害を引き起こした。
震災後の最初の数日間で50万人近くが避難し、現在でも約5万人が仮設住宅に残っている。
教皇は、カトリック幼稚園の園長であり津波で家を失った加藤敏子さんなどといった、その日の生存者たちから悲惨な証言を聞いた。
「かつて自分の家があった場所でがれきの中に立ったとき、命を与えられ、生きていて、ただそのことに感謝することができたことをありがたく思いました」と彼女は教皇に語った。
世界13億人のカトリック教徒の長は、一部の生存者は「忘れられている」と感じており、汚染された土地と放射線の長期的な影響といった終わらない問題に直面していると指摘した。
教皇は、日本の原子力論争へ介入することは避け、日本の司教たちが原子力発電所を休止することを呼びかけていることを指摘するにとどまった。
「今度は、日本の司教仲間たちが強調しているように、原子力を続けて使用することに関する懸念が含まれます。そのため、彼らは原子力発電所の廃止を呼びかけたのです」
2016年、日本カトリック司教協議会は、原子力発電の廃止を訴える声明を発表した。
会議の後、鴨下さんは記者団に、今年初めにバチカンに招待され、教皇は自分と会ったことを覚えていたと語った。
「心の底から感動しました」と彼は言った。
フランシスコ教皇はその後、東京の大聖堂で数百人の旗を振る若者と会い、他人に手を差し伸べ、自分を孤立させないようにと呼びかけた。
「私たち人間はあらゆる種類のガジェットを発明しましたが、それでも魂を自撮りすることはできません」と教皇はリラックスしたスピーチの中で語った。その間、教皇は用意された原稿からたびたび脱線し、群衆と冗談を交わした。
教皇は、白いローブの上にカラフルな伝統的な日本のシャツを着て、歓声をもらったり親指を立てるしぐさをしたりもした。
学校でのいじめっ子から「でぶ」と呼ばれていたと語った若い男性に、フランシスコ教皇は、やせているほうが健康に悪いと彼らに答えるべきだと言った。
日本への「親しみと愛情」を表現した法王は、25日の午後、巨大な東京ドームでミサを開催する。
教皇が死刑囚に会い死刑制度を批判する発言をするかもしれないという噂もある。死刑制度は日本で大きな国民の支持を得て実施されている。
彼の4日間の訪問の感情の中心にあるものは、最終的に少なくとも7万4千人を殺害した、核爆弾の投下に永遠に関連する都市である長崎への最初の訪問だった。
そこで、教皇は核抑止の概念を厳しく非難し、原爆の「言い表せないほどの恐怖」のなかで殺された犠牲者のために雨の中祈りをささげた。
その後、彼は原子爆弾が投下された最初の都市である広島へ行き、そこで原子力を武器として使用することを「犯罪」として非難した。
今回の訪問の最終日となる26日は、アジア訪問を終える前に、上智大学で若い学生との会合に参加する。
今回のローマ教皇訪問の最初の行き先は、日本と同様にカトリック教徒が少ない国、タイであった。日本には約44万人のカトリック教徒がいる。
AFP