Since 1975
日本語で読むアラビアのニュース
  • facebook
  • twitter
  • Home
  • 中東
  • レバノン最大のパレスチナ人キャンプでの戦闘で避難した多くの人々に、戻るという選択肢はない

レバノン最大のパレスチナ人キャンプでの戦闘で避難した多くの人々に、戻るという選択肢はない

アイン・アル・ヒルワ難民キャンプで勃発した戦闘の後に自宅から避難した、63歳のパレスチナ難民ムニラ・アブ・アームシャ氏(右から2番目)と他の住民が、2023年9月20日にベイルートの南のセブリンにある国連が運営する訓練センターで座っている。(AP通信)
アイン・アル・ヒルワ難民キャンプで勃発した戦闘の後に自宅から避難した、63歳のパレスチナ難民ムニラ・アブ・アームシャ氏(右から2番目)と他の住民が、2023年9月20日にベイルートの南のセブリンにある国連が運営する訓練センターで座っている。(AP通信)
Short Url:
21 Sep 2023 05:09:58 GMT9
21 Sep 2023 05:09:58 GMT9
  • 家を失った人々もいれば、平穏が続くとは信じられない人々もいる
  • 多くの人にとって、自宅からの避難を強いられるのは初めての事ではない

セブリン、レバノン:レバノン最大のパレスチナ難民キャンプで敵対勢力間の停戦合意により不安定な平和が訪れてから一週間近くが経過したが、避難した数百人の住民らにとって、すぐに戻る見通しはない。

家を失った人々もいれば、平穏が続くとは信じられない人々もいる。多くの人にとって、自宅からの避難を強いられるのは初めての事ではない。

ムニラ・アブ・アームシャ氏(63)もその1人で、レバノン南部の都市シドンの近くのキャンプから、家族とともに、弾丸の雨の中で身をかがめて路地から路地へ避難してきた。

彼女はこの10日間、近くの町セブリンにある、パレスチナ難民のための国連機関、UNRWAが運営する職業訓練センターの共同宿泊施設に変えられた教室で、娘と孫たちとともに寝起きしている。

両親が1948年のイスラエル建国をめぐる戦争の後に避難してきたベイルート近郊のTel Al-Zaatar難民キャンプで、アブ・アームシャ氏は生まれた。彼女が10代だった1976年に、レバノン内戦でパレスチナ解放機構と戦ったレバノン人キリスト教徒の過激派がキャンプを包囲してから破壊し、多くの住民を殺害した際に、このキャンプを逃れたという。

彼女は内戦の間にレバノン国内でさらに2度の避難を強いられた。イスラエル軍が1982年にベイルートに侵攻した際、今度は2人の幼子を連れて、彼女はまたも避難した。彼女たち一家は避難先のシリアに定住したが、暴動から発展した内戦が2011年に勃発し、レバノンへ戻らざるをえなくなり、レバノンのアイン・アル・ヒルワ・キャンプで家を借りた。

「私は何度も戦争を経験していて、私自身としては怖くはないけれど、子どもたちのことを考えると怖い」と、アブ・アームシャ氏は語った。「今、私の子どもたちは、かつての私と同じ境遇を生き抜いている」

彼女には、自分の家がまだそこに建っているかどうか分からないが、彼女は家に戻りたいとは思っていない。

「私たちは、ひとつの家に定住し、あちこちへの避難を強いられないようになりたいだけ」と、彼女は語った。

アブ・アームシャ氏の物語は多くの避難を強いられたキャンプ住民を象徴するものだと、UNRWAのレバノンにおける責任者であるドロテー・クラウス氏は述べた。

「彼らは非常に疲弊している。何度も手にした全てを失ってきたのだから」と、同氏は語った。

アイン・アル・ヒルワから避難したおよそ800人は、10月2日に新学期を迎えるはずだったが、今では延期予定となっているキャンプの周りの各学校を含む、UNRWAが用意した避難所にいると、クラウス氏は述べた。この他に数百人がモスクやUNRWAが運営するものではない避難所にいて、数千人が周辺地域の親類のもとにいる可能性がある。

少なくとも18人が死亡し、100人以上が負傷した戦闘の後、パレスチナのマフムード・アッバース大統領が率いるファタハグループとキャンプ内のイスラム主義過激派組織の間で、14日に最新の停戦合意が結ばれた。今夏に発生したこの前の戦闘では、少なくとも13人が死亡している。

UNRWAは、前回の戦闘の影響に対処するために先月要請した1,550万ドルをまだ一切受け取っていないと、クラウス氏は述べた。

この資金は、損傷を受け、いまだ過激派に占拠されているキャンプ内の学校に通っていた約6,000人の子どもたちのために代わりの場所を見つけ、避難した家族らに現金援助を与え、キャンプからの瓦礫の撤去と残った爆発物の除去を始めるために必要なものだと、同氏は述べた。

同じくセブリンのセンターにいるイブティセム・ダハブリ氏は、生まれてからずっとアイン・アル・ヒルワで暮らし、以前の複数回にわたるキャンプ内の勢力間での戦闘を切り抜けてきた。今回、彼女の家は燃やされ、今は住むことができないという。

「キャンプから幾度となく避難してきたけれど、今回は本当につらい」と、彼女は語った。

ダハブリ氏は、近隣の都市シドンに住む友人らに、「私たちのキャンプの方がいい」と言っていたという。「キャンプには何でもあって、人々は互いに愛し合い、団結していた」。しかし彼女は、今では戻りたいと思っていない。

今は「キャンプの中で豪邸をくれるとしても、欲しいとは思わない」と、彼女は語った。

AP

特に人気
オススメ

return to top