
カイロ:イスラエル軍の爆撃がガザ地区全域を襲う中、ガザ住民はエジプトのシナイ半島との国境の街、ラファに押し込められ、事実上、逃げ場を失っている。
何十万人もの人々が家を追われ、砲撃が再び近づいてくる中、多くの人々が、生き延びるための唯一の選択肢はシナイへの脱出しかないと恐れている。しかし、人々は脱出を望んでいない。もしそうなれば、二度と戻ってこられないかもしれないと人々は言う。
「もう安全な場所はありません。イスラエルの地上攻撃はすぐにここまで拡大するかもしれません」と、ラファに避難している北部のガザ市出身の55歳の女性、ウーム・オサマさんは述べた。
「ラファの後、私たちはどこへ行けばいいのでしょう?」
ウーム・オサマさんや他の多くのガザの避難民は、国境を越えて逃げることが可能になったとしても、移住を拒否している。
「私たちはシナイ半島への移住を拒否します。たとえ廃墟と化していても自分の家に戻りたいのです」とオサマさんは語った。
先祖のトラウマ的な追放が、彼女や他のガザ住民を苦しめている。ガザの住民の多くは、1948年のイスラエル建国後に故郷を追われたパレスチナ人の子孫である。
「砲撃の中で生きるか、出て行くか、どちらかを選べと言われたら、私は残ります。戦車がそこにいたとしても、私は戻ります。私はガザ市に帰りますし、どんなことにも耐えます」と、同じくラファに避難している73歳の女性、ウーム・イマドさんは述べた。
数週間に及ぶイスラエル軍の空爆、戦車による至近距離からの砲撃、そしてハマスの戦闘員を追い詰めるためだとイスラエルがいう地上部隊の砲撃に直面し、ガザに住む230万人のパレスチナ人の約85%が、包囲されたガザ地区の南部に向かうことを余儀なくされている。
イスラエルは、ハマスに対する攻撃に巻き込まれるのを避けたいガザ住民に、南へ向かうよう伝えている。イスラエル軍は、住民が逃げ込んだ南部地域を爆撃している。
イスラエルによるハマス統治地域への攻撃の最初の焦点はガザ北部だった。
南部のラファは、現在唯一機能しているガザへの検問所(イスラエルに支配されておらず、支援物資の搬入ポイントとなっている)があるため、戦略的に重要であるが、激しい砲撃を受けている最新の地域となっている。
14日遅く、ラファのアル・シャブーラ地区への攻撃が通り全体を破壊した。
15日には、男性や少年たちが瓦礫をかき分け、崩れ落ちた家屋や取り戻せない家財道具をぼんやりと見つめていた。
攻撃が残した瓦礫とねじれた金属の山には、毛布やバッグ、綿やポリエステルの房がこぼれ落ちたマットレスやソファ、子供用の自転車やキッチン用品が点在していた。
「ガザのどこにも安全な場所はありません」と、この地域の住民ジェハッド・アル・イードさんは言う。
パレスチナ人も、近隣アラブ諸国の政府関係者も、ガザ住民の大量かつ長期的な移住という見通しに不安を感じている。
エジプトへの大量流入は現時点では考えにくい。
ガザ住民の退去は遅々として進まず、混雑した国境検問所は支援トラックの入国対応にさえ苦労している。国連によれば、数週間にわたって十分な医薬品が提供されておらず、飢え始めている住民に対応するには、支援トラックはまったく追いつけていないという。
ガザ地区南部では暴力により人々が殺害され続けている。
ハーン・ユーニスのナセル病院に、前日のイスラエル軍による砲撃で死亡した17歳と18歳の息子を悼む父親がいた。
涙ぐむ父親は、遺体に覆いがかけられ、死体安置所に送られるまで、2人の後を追った。
「息子たちが屋外にいたとき、隣の家に砲弾が落ちました。息子たちは救助に向かいましたが、2発目の砲弾が彼らを襲いました」と父親のマジディさんは語った。
マジディさんによると、病院へ搬送する救急車の到着が困難だったため、遺体は地面に放置されたという。空爆による破壊で道路での移動が困難になり、またガザ全域は深刻な燃料不足に陥っている。
救助隊員は、ロバが引く台車でマジディさんの息子たちを病院まで運ばなければならなかった。
ロイター