
七尾市: 日本は一日、日本海岸を襲った地震による被害状況の把握に苦慮した。少なくとも12人が死亡し、建物や幹線道路が破壊され、凍てつくような気温の中、多くの家屋が停電した。
マグニチュード7.6の地震は一日の午後に発生し、約1メートルの津波が日本海岸を襲ったため、沿岸部の住民は高台に避難した。
石川県の能登半島にある比較的人里離れた被災地には、全国から数千人の自衛隊員、消防士、警察官が派遣された。
しかし、救助活動は、道路がひどく損傷し、ふさがれているため妨げられている。また、この地域の空港のひとつは、滑走路の亀裂のため閉鎖を余儀なくされている。
それと共に多くの鉄道、フェリー、航空便が運休している。
岸田文雄首相は2日の緊急災害対策会議で、「地震の影響を受けた人々の捜索と救助は、時間との戦いである」と述べた。
岸田首相は、道路が寸断されているため、救助隊が能登半島北端に到着するのは非常に困難であるとした。ヘリコプターによる調査では多くの火災が発見され、建物やインフラが広範囲にわたって損壊していると述べた。
地元メディアは、一日に大規模な火災が発生した震源地に近い輪島市を中心に、これまでに十数人の死亡が確認されたと報じた。
警察庁によると6人の死亡が確認され、消防庁によると19人が心肺停止の状態だという。
気象庁によると、月曜日に地震が発生して以来、140回以上の揺れが観測されている。気象庁は、今後さらに強い揺れが続く可能性があると警告している。
石川県七尾市に住む杉森信子さん(74歳)は、ロイター通信に対し、このような地震を経験したのは初めてだと語った。
「テレビが倒れないように持とうとしましたが、体が左右に激しく揺れるのを抑えることさえできませんでした」と、正面の壁に大きな亀裂が入り、室内に家具が散乱した自宅から杉森さんは語った。
道路を挟んだ向かい側では、車が倒壊した建物の下敷きになり、住民たちは危機一髪だった。
上野富士子さん(73)は、地震が発生したとき、20人近くが新年を祝うために家にいたが、奇跡的に全員無傷だったと語った。
「すべてがあっという間の出来事でした」と彼女は言い、残骸と道路のひび割れからにじみ出た泥の中に立っていた。
ジョー・バイデン大統領は声明の中で、米国は地震後の日本に必要な援助を提供する用意があると述べた。
「緊密な同盟国として、米国と日本は国民を結びつける深い友情の絆を共有している。我々の思いは、この困難な時期にある日本の人々とともにある」と述べた。
日本政府は月曜日の夜、9万7000人以上に自宅からの避難を命じ、緊急時に避難所としてよく使われるスポーツホールや学校の体育館に避難させた。
2日には津波警報が解除され、多くの人々が自宅に戻った。
しかし、北陸電力のウェブサイトによると、2日の早朝、石川県では約33,000世帯が停電したままだった。NHKによると、能登半島北部のほとんどの地域で水道が止まっているという。
宮内庁は、この災害を受け、火曜日に予定されていた天皇陛下と皇后陛下の新年行幸啓を中止すると発表した。岸田首相は木曜日に予定されていた伊勢神宮への初詣を延期した。
原子力発電所
今回の地震は、2011年の地震と津波で福島原発のメルトダウンを引き起こして以来、一部の地元住民の激しい反対に直面してきた日本の原子力産業にとって微妙な時期に起こった。震災では町全体が壊滅的な被害を受けた。
原子力規制委員会は、福井県にある関西電力大飯原発と高浜原発の5基の原子炉を含む、日本海沿いの原子力発電所では異常は見つからなかったと発表した。
震源地に最も近い北陸電力の志賀原発は、地震の前にすでに2基の原子炉を停止して定期点検を行っており、地震による影響は見られなかったという。
チップ材料メーカーの国際電気は、木曜日に予定されている操業再開に先立ち、富山の工場でいくつかの損傷を発見したため、さらに調査中であると述べた。
ロイター