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シリアの大地震から1年、一歩ずつ喪失に適応する孤児たち

理学療法を受けるためイドリブ県の病院に到着したヤスミン・シャフードさん。彼女はシリアとトルコを襲った地震で重傷を負い、肉親全員を失った。(AP)
理学療法を受けるためイドリブ県の病院に到着したヤスミン・シャフードさん。彼女はシリアとトルコを襲った地震で重傷を負い、肉親全員を失った。(AP)
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05 Feb 2024 07:02:37 GMT9
05 Feb 2024 07:02:37 GMT9
  • シリア全土で542人の子どもたちが地震の後、同伴者や保護者のいない状態で発見された
  • 地震で親を失ったことは、相次ぐ悲劇のほんの一部に過ぎない

イドリブ:にこにこ笑う陽気な幼児、アヤ・アル・スダニちゃんは2月6日に1歳の誕生日を迎えるが、ケーキやプレゼントで祝うことはない。この日はまた、暗い記憶を振り返る日でもある。

2023年2月6日、シリアとトルコを大地震が襲い、女児はシリア北部の町ジンデリスにある家族の家の瓦礫から生きて救出された。死んだ母親とへその緒でつながれたままだった。

女児は病院職員によって「アヤ」(アラビア語で「神の啓示」を意味する)ちゃんと名付けられたが、保護者となった親族は亡くなった母親にちなんでアフラという呼び名を付けた。5万9,000人以上が死亡した壊滅的な地震で、この生まれたばかりの子供は、近親の中で唯一の生き残りとなった。

彼女は、震災によって孤児になったり、家族と離れ離れになったりした数百人の子どもたちの一人だ。シリアでは13年近くにわたる内戦でさらに多くの子どもたちが親を失っている。

国連の児童機関ユニセフのエヴァ・ハインズ報道官は、地震後、シリア全土で542人の子どもたちが「同伴者のいない、はぐれた」状態で発見されたと述べた。最終的に両親と再会できた子供もいれば、「近親者や親戚の家」に預けられた子供、「養護施設での生活」を送っている児童もいるという。

アフラちゃんは、シリア北部の町ジンデリスにある家族の家の瓦礫の中から、へその緒で死んだ母親とつながったまま救出された

シリア北西部の地元当局によると、少なくとも537人の子どもが地震で親を失ったが、そのうち母親と父親の両方を失ったと記録されているのは61人だけだった。実際の数はさらに多いと考えられる。

震災から1年が経ち、これらの子供たちは新しい現実に適応し始めている。彼らのほとんどは現在、親族と暮らしているが、里親の家や孤児院で暮らすことになった子どもたちも少数ながら存在する。

彼らの多くにとって、地震で両親を失ったことは、相次ぐ悲劇のうちの1つに過ぎない。

セーブ・ザ・チルドレンのシリア対応オフィスのスポークスパーソン、キャサリン・アキレス氏は言う。「紛争によって、シリアではほとんど誰もが何らかの個人的な喪失を経験している。それは、子どもたちが受け入れることを学ぶために経験すべきようなことではない……喪失に向き合い、移住に対応し、家族やコミュニティを失うことに対処しなければならないのだ」

地震が発生したとき、ヤスミン・シャフードさんは11歳だった。彼女の家族は故郷のマアラト・アル・ヌマンから、約70キロ離れたシリア北西部のアルマナズという町に避難していた。戦争があったにもかかわらず、彼女は放課後、兄弟たちと遊び、笑って過ごした気楽な時間を多く記憶している。

2月6日、彼らの家は倒壊し、救助隊員に救出されるまで、彼女は20時間瓦礫の下に閉じ込められていた。腕と足は潰れ、複数回の手術が必要となった。最初の数週間は、大怪我を負った少女に家族の死を告げる勇気は誰にもなかった。

「私が病院に着いたとき、ヤスミンはショック状態で、何が起こったのか理解していませんでした」と、彼女を担当したシリア・アメリカ医療協会のソーシャルワーカー、ガイサ・アル・イブラヒム氏は話した。

少女は病院の近くにいるため、また集中的な理学療法が必要だったため、孤児院に数カ月間滞在した。現在は祖父、叔父叔母、いとこと一緒に暮らしており、彼らの助けもあって、「多くの困難な段階を乗り越えた」と彼女は話してくれた。まだ歩くのは難しいが、学校に戻っており、いずれは薬剤師になりたいと考えている。

最初の時期は「とても、とても辛かった」とヤスミンさんは言ったが、「神に感謝します、私は良くなってきています」

イドリブ県の町ハーレムでは、8歳のハナア・シュレイフさんが祖父と叔父の家族と暮らしている。彼女は地震後に生まれたいとこの赤ちゃんと遊ぶのが好きだ。赤ん坊は彼女の希望で、亡くなった父親の名前をとってマフムードと名付けられた。

ハナアさんの両親と妹は地震で亡くなり、彼女は瓦礫の下に33時間閉じ込められた。当初、医師は彼女の手を切断しなければならないだろうと考えた。

「彼女は家族のこと、母親と父親のことを尋ね、私たちは少しずつ、彼らは天国に行ったのだと話した」と彼女の叔父であるアリ・シュレイフ氏は語った。

地震の後、「路上やゴミ捨て場、モスクの前や畑の中で、捨てられた子供たちが発見された」と、孤児や捨てられた児童のための2つのシェルターを運営するNGO、チャイルド・ハウスの創設者であるアラエディン・ジャニッド氏は語った。同団体は、孤児や捨てられた子供を家族と再会させたり、里親に引き渡したりする活動を行っている。イスラム教は一般的に法的な養子縁組を認めないが、孤児に長期的な後見人をつけることを奨励している。

彼らのセンターは地震で大きな被害を受けたが、スタッフと子供たちはなんとか無事に避難することができた。地震によって孤児となったり家族と離れ離れになったりした多数の児童を受け入れるため、彼らはすぐに別の場所を確保しなければならなかった。シェルターのスタッフの中には、愛する人々を埋葬してから仕事に戻った者もいた。

以前は35人しか受け入れられなかったシェルターで、すぐに約100人の児童の世話をするようになった。

「そのうちの70%は親族を見つけることができましたが、30%は家族が全員死亡しているか、親族がその子を捨てていた」とジャニッド氏は語った。

そのような場合、NGOでは子供たちを入念な審査を受けた里親のもとに預けるよう努めたとジャニッド氏は語った。「孤児院は、どんな子供にとっても、人生を始める場所としてはふさわしくない」

出生時の悲劇にもかかわらず、アヤ(アフラ)ちゃんは幸運な子の1人だった。失った家族の記憶がない彼女が知っている唯一の両親は、彼女を引き取った叔母と叔母の夫だけである。彼らの4人の娘と2人の息子は、彼女の実のきょうだいのようになっている。

一家は、昼間はジンデリスのアパートにいるが、夜はこの地域の避難キャンプにテントを張って寝泊まりしている。再び地震が起きて家が崩壊し、頭上に落ちてきたらと考えると、コンクリートの建物で眠るのが恐ろしいのだという。地震以来、この地域には働く機会も学校も不足している。

赤ん坊の叔父で保護者のハリル・アル・サワディ氏は、赤ん坊がおそらくはシリア国外で勉強する機会を得て、「私の子供たちとは異なって、最高の学位を取ってほしい」と語った。

「その日にはつらい思い出がある」ため、家族は彼女の1歳の誕生日を祝わない。しかし、彼は言う。「同時に、アフラの存在があるからこそ、私は希望を持っている。彼女が大きくなったら、この思い出を話してあげようと思う」

AP

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