
タウィラ:スーダンの戦火に見舞われたダルフール地方で、アジザ・イスマイル・イドリスさんは小さな薪の上にしゃがみこみ、水っぽいお粥の鍋をかき混ぜている。
「どの組織も来ていない。水も食料もない。子どもたちにはビスケット1枚すらない」とイドリスさんはAFP通信に語った。
先月、スーダン最大の避難キャンプのひとつだったザムザムで起きた準軍事組織による残忍な攻撃から逃れた彼女と5人の子どもたちは、国連によると、その後小さな農村タウィラに到着した推定30万人のうちのひとりだ。
「私たちは裸足で、何も持たずにここに来ました」と彼女は、同じくダルフール西部の広大な地域にある、約60キロ(37マイル)離れた砂漠のザムザムキャンプからの脱出を思い起こしながら語った。
現地にいる数少ない援助組織は、多くの避難民の緊急のニーズに応える手段を欠いている。
タウィラで国境なき医師団(MSF)とともに活動するティボー・フェンドラー氏は、「人道支援団体は、この規模の避難民を受け入れる準備ができていなかったのです」と語った。
2023年4月にスーダン軍と敵対する準軍事組織との間で戦争が勃発して以来、この町は他の場所での暴力から逃れてきた避難民の波を受け入れてきた。
フェンドラー氏はAFPの取材に対し、「われわれは能力の拡大に取り組んでいるが、ニーズは膨大だ」と語った。
山と季節の農地に挟まれたタウィラは、かつては静かな農村の前哨基地だった。
しかし、軍隊と準軍事組織である迅速支援部隊(RSF)が対立する2年にわたる戦争は、すでに傷ついたダルフール地方に大打撃を与えた。
タウィラ周辺を支配する武装グループ(アブデルワヒド・アルヌールが率いるスーダン解放運動の一派)は、暴力から逃れてきた人々を守ると宣言している。
町の学校、モスク、市場は、コンクリートの床、木の下、わらやプラスチックの小屋で、隣り合わせに寝ている人々でごった返しており、摂氏40度(華氏104度)に達することもある気温にさらされている。
町の中心部の向こうには、その場しのぎのシェルターがパッチワークのように広がっている。
中には、使い古されたバッグや調理用の鍋、乾いた土の上に敷かれたマットの上に丁寧に畳まれた衣類など、家族連れがなんとか持ってきたわずかなものが置かれている。
多くの子どもたちは栄養失調で、ある子どもたちは特大のお下がりを着て、またある子どもたちは逃げてきたときの服を着ている。
その近くでは、何十人もの女性が空のジェリー缶を持って列をなし、一基の給水タンクのそばで待っている。
炊き出しにはさらに行列ができ、女性たちは手に鍋を持ち、子どもたちを腰に抱えたまま、なくなる前に食事にありつこうとする。
北ダルフールの包囲された州都アル・ファシールから逃れてきた母親のハワア・ハッサン・モハメドさんは、「私たちが到着したとき、喉の渇きで死にそうでした」
北ダルフールの包囲された州都アル・ファシールから逃れた母親ハワア・ハッサン・モハメドさんは、「人々はわずかなものを分かち合った」とAFPに語った。
戦争は世界最大の飢餓危機を引き起こし、北ダルフール州のいくつかの地域ではすでに飢饉が宣言され、国連は100万人以上が飢餓の危機に瀕していると推定している。
RSFと軍は、特にダルフールにおける軍の最後の砦であるアル・ファシールとその周辺で、領土の支配権をめぐる争いを続けており、人道的アクセスを麻痺させている。
「ここでの援助には長い時間がかかる。道路は検問所だらけだ」ノルウェー難民評議会(Norwegian Refugee Council)の運営責任者であるノア・テイラー氏は、タウィラからAFPに語った。
「食料からシェルター、衛生設備に至るまで、あらゆる分野で多くのギャップがある。われわれが持っている資金や現物ではとても足りない」
各組織は、絶望的な家族に食料、清潔な水、健康支援を提供するために奔走しているが、テイラー氏は、これらの努力は表面をなぞったに過ぎないと述べた。
「人々が必要としているものという点では、我々はまだそこに到達していない」
「我々はできる限りのことをしているが、世界的な対応はこの災害の規模に追いついていない」
世界食糧計画(WFP)の広報責任者であるレニ・キンズリ氏は、33万5000人分の「1600トンの食糧と栄養物資」が先月タウィラに届いたと述べた。
しかし、複数の検問所や安全でない道路を通過し、町に到着するまでに2週間を要したとAFPに語った。
援助関係者は、緊急の資金援助と安全なアクセスがなければ、特に雨季が近づくにつれ、こうした物資の輸送はさらに困難になると警告している。
AFP