

タレク・アリ・アーマド
シーア派ヒズボラとシーア派民兵組織アマルの支持者たちの共通の色である黒一色のTシャツを着た男性たちが、「ナスルッラーフ議長、我々はあなたの決定に従います。」と口々に叫んだ。
25日金曜日、銀行、大学、学校は終日休業のままであった。
ベイルート: 9日目に突入したレバノンの反政府デモは、ヒズボラのハサン・ナスルッラーフ議長の演説の前後に、ヒズボラの支持者、デモ隊、警察機動隊との間で衝突が生じたことから、これまでとは異なる展開となる様相を呈した。
双方がを互いに飛翔物を投げつけ合ったことから、数人が負傷した。 ベイルート市内のマーティーズ広場やリヤード・アッスルフ広場は、レバノンの土産物屋や食べ物屋の屋台が開店準備を進めていた穏やかなその日の朝とは打って変わった状況となった。
ナスルッラーフ議長の演説が、それに先立って発表されたサアド・ハリーリ首相の演説と似通っていたとの非難から、両者の間での飛翔物の投げ合いを阻止しようと、機動隊が介入せざるを得なくなったのである。
「ハリーリも、ナスルッラーフもアウンもみんな同じですよ。」と、デモ参加者の一人であるアラア・モルタダさんはアラブニュースに語った。
「彼らがやっていることを見てください。 我々はみんな同じレバノン人じゃないのかな?政治と宗教は切り離す必要があるというのは、こういうことなんですよ。」と、彼は付け加えた。
ナスルッラーフ議長は、ハリーリ政権の背後で権力を振るい続けており、政府に課税無しで予算を発表させたことは、抗議活動の「成果」であると主張している。
「大統領をその地位から引きずり降ろすことも、政権の退陣も支持しない。」と彼は話し、こう付け加えた。「レバノンは危険な段階に入ってきており、我々の国が国際的あるいは地域的勢力の政治的な標的となる潜在的な可能性がある」。
彼は支持者たちにデモから離れるよう促しながら演説を終えた。 この衝突で、数人が逮捕された。
24日木曜日の夜にも、ベイルート中心部の同じ場所で似たような乱闘騒ぎが起きている。
この乱闘を受け、さらに多勢のマスクと警棒を装着した機動隊が事態の鎮静化を図るべく広場に派遣されたものの、緊張はより高まったように思われる。
銀行や学校が閉鎖される事態となっているデモ活動は、レバノン国内の町や都市に広がり、組織的な政治的腐敗を非難してあらゆる政治的階級の政府関係者の退陣を要求してきている。
このデモは一晩中続くことが予想される。
数十万人がベイルートや他の都市を占拠し、ここ数年間で最大規模の抗議活動となった日曜日のデモから参加者数は減少してきているものの、週末には再びその数が膨れ上がる可能性がある。
ほとんどが宗派毎に分かれているレバノンの政党は、キリスト教徒、イスラム教徒、シーア派、スンニ派、およびドルーズ派が集結するという、宗派を超越したこのデモの性質に面食らっている状態である。
通常のデモ活動で振られるパルチザン色の旗よりもむしろレバノンの国旗を振りながら、デモ隊はレバノンの政治指導者全員の辞任を要求してきている。
デモ隊の怒りを鎮めるべく、サアド・ハリーリ首相は経済改革を一括して押し進めてきており、ミシェル・アウン大統領は、木曜日、デモ隊の代表者たちと会って彼らの要求について議論することを提案している。
しかしこれらの方策は、政権を退陣させて新しい選挙への道筋をつけたいとするデモ隊からそっぽを向かれている。
「我々は、自分たちの要求を実現し、国を良くするためにこの路上にとどまりたい。」と、エッサムとだけ名乗るデモ隊の一人は言う。
「我々は政権が崩壊することを望んでいます。...国民は飢えており、私たちに他の解決策はないのです。」と、30歳の医療管理者であるエッサムは話した。“
金曜日の朝、デモ隊は再び、空港へ通じる道路やレバノン第二の都市トリポリと北部に向かう海岸道路を含むベイルートの主要な高速道路の一部の通行を遮断した
デモ隊は、ベイルート北部の高速道路の車道中央にテントと屋台を建てた。
しかし、その道路の通行を再開するために軍が出動する兆しはなかった。
路上での集会が未明まで続いたベイルート中心部では、再びボランティアグループが路上に集まり、ゴミ拾いをしていた。
「我々は、道路をきれいにし、そしてこの国をきれいにすることを支援するためにここにいるのです。」と、ボランティアのアーメド・アッシさんは話す。
「我々は午後のデモに参加して、次の段階がどうなるのか見極めるつもりです。」と、衣料品会社で働く30歳の彼は語った。
ヒズボラに近いとされるレバノンのアル・アフバール新聞は、第一面の見出しを「無秩序の危険性」と題し、封鎖された道路の再開に取り組む行動を約束すると述べている。
ヒズボラは、大規模で訓練が行き届いた軍事組織を維持している。
非政府系組織の研究者である27歳の活動家ファレ・アルハラビさんは、「レバノンの政党はデモに介入し、デモ隊に圧力をかけたり、分裂させようとしている。」と、述べている。
レバノンは、1990年に終結した壊滅的な内戦を耐え忍び、現在の政治指導者の多くは戦時中の民兵組織の元指揮官であり、彼らのほとんどは宗派ごとに採用されたのである。
隣接するシリアでの8年間にわたる内戦が危機を悪化させた一方、敵対する派閥指導者たちの間の根強いこう着状態が、悪化する経済への取り組みの努力を阻んだ。
世界銀行によれば、レバノンの人口の1/4以上が貧困状態にあるという。
戦後の政治システムでは、レバノンの多種多様な宗派間の競合する利害のバランスをとることが求められていたが、宗派ごとの権力と影響力を固定化する結果となっている。
— ロイター社提供の情報をもとに執筆