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ウォリアーズのコーチ、スティーブ・カー氏が、ベイルート・アメリカン大学学長で殺害された父親とのレバノンでの生活を語る

24 Jul 2020
シカゴ・ブルズとサンアントニオ・スパーズで計8度、NBAチャンピオンに輝いたスティーブ・カー氏は、中東で育った自分の人生に父マルコム・H・カー氏の影響があったことを懐かしく思い起こす。(AFP/ファイル写真)
シカゴ・ブルズとサンアントニオ・スパーズで計8度、NBAチャンピオンに輝いたスティーブ・カー氏は、中東で育った自分の人生に父マルコム・H・カー氏の影響があったことを懐かしく思い起こす。(AFP/ファイル写真)
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Updated 26 Jul 2020
24 Jul 2020

・ゴールデンステート・ウォリアーズのヘッドコーチ、1984年にベイルートで殺害された父親から受けた影響について回顧する

  ・スティーブ・カー氏のバスケットボール界での活躍は、シカゴ・ブルズとマイケル・ジョーダンを題材としたESPNのドキュメンタリードラマで取り上げられている

レイ・ハナニア

シカゴ:シカゴ・ブルズとサンアントニオ・スパーズでNBAチャンピオンに計8度輝いたスティーブ・カー氏は、中東で育った彼の人生に、父マルコム・H・カー氏が与えた影響を思い起こす。

アラブニュースのZoomでの独占インタビューにおいて、スティーブ・カー氏は、政治学者でありベイルート・アメリカン大学(AUB)で1982年から学長を務めていた彼の父親が、彼のバスケットボールへの愛情をいかに育んだかということを振り返った。マルコム・カー氏は1984年1月18日、AUBのオフィスでテロリストたちによって殺害されている。

現在、ゴールデンステート・ウォリアーズでヘッドコーチを務めるスティーブ・カー氏は、父親が、自身のバスケットボール界での活躍を見ることができなかったことを悔やんでいる。スティーブ・カー氏の活躍は、最近、シカゴ・ブルズと彼の友人であり同僚でもあるマイケル・ジョーダンを題材としたESPNのドキュメンタリードラマ番組でも取り上げられている。

「番組を、妻や子供達と一緒に観て楽しみました。私たちがどんな人生を歩んできたか、シカゴ・ブルズがいかに素晴らしく特別なチームだったか、そして、素晴らしい時代の一員だったことを思い起こすことができました。」と語るスティーブ・カー氏は、1993年から1998年までシカゴ・ブルズでプレーした。チームは過去7度優勝しているが、うち4度がこの時代であった。

「あのチームで、シカゴでプレーし、歴史に残るチームのメンバーであったという経験は、本当に立ち止まって考えてみると、非常に素晴らしいことでした。自分がその一員であったことが信じられないようなことでした。」

スティーブ・カー氏は、父親が試合を観に連れて行ってくれたのがきっかけでバスケットボールを好きになったと言います。「私が初めてバスケットボールというものに触れたのは、ポーリー・パビリオンで行われたUCLA戦の観戦でした。父はUCLAで教鞭を執っていたので、シーズンチケットを何枚か持っていたのです。」当時、彼の父親は中東とレバノン政治を専門に研究し、UCLAで政治学部学長を務めていた。「5歳か6歳の頃、ポーリー・パビリオンへ歩いて入っていったことを忘れはしません。会場は満席で、UCLAのビル・ウォルトンがコートに立っていました。UCLAは約3年間負けていませんでした。会場は熱気に包まれ、バンドが演奏していました。」

「あらゆるプレーから、私はバスケットボールに恋したのを覚えています。(UCLAのヘッドコーチ)ジョン・ウッデン氏率いるチームの本拠地で、様々なチームを見て、アメリカスポーツ史上最も偉大な一時代に、バスケットボールを学ぶことができるなんて、子供の私にとっては、これ以上ない最高の環境でした。」

アラブ歴史家アルバート・ホーラーニ氏に師事した彼の父が1982年、UCLAを去りAUBでのポストに就いた頃、スティーブはアリゾナ大学へ通い、バスケットボールを始めた。

「母や弟のアンドリューはキャンパス内で父と一緒に暮らしていました。父はエレベーターから降りてきたとき、オフィスの外で殺害されました。ガンマンに撃たれたのです。このテロ行為によって私たち家族はただ打ちのめされました。」

スティーブ・カー氏は、1982年からベイルート・アメリカン大学(AUB)の学長を務めた政治学者である父親が、彼のバスケットボールへの愛をどのように育んだかを回想した。(AUBアーカイブス)

「私たち家族は前へと進み、みんなよく頑張りました。私は、母がどれほど強く、本当にプロダクティブでポジティブに人生を生き続けてきたか、確信を持って言うことができます。家族みんな、日々、父のことを恋しいと思っています。」

「若い頃に親を亡くすと、何事についても考えてしまうものです。プロのバスケットボールプレーヤーとして活躍する自分を見たら、父はどんなに喜ぶだろう。それは私たちがこれまで夢にも思っていなかったことでした。」

「父はバスケットボールをするのが好きでした。そして私のプレーを見るのが大好きでした。私たちは兄のジョンとよく車道でバスケをしていました。UCLAの試合を一緒に観戦して UCLAを応援しました。」

「それは素晴らしい子供時代でした。父と一緒に仕事や家族の話をしたり、父が私の子供たちのおじいちゃんになり、妻を父に紹介できたりしたら、どんなに素敵だろうと、私はいつも考えています。」

「すべては出来なくて残念に思うことです。失う悲しみはとても深く、あらゆるところであなたに影響を及ぼします。若い頃に誰かを失うと、そのようなことを考えてしまうのです。」

ベイルートに生まれたスティーブ・カー氏は、父親がカイロ・アメリカン大学で教えていた頃、カイロで学校に通っていました。

「高校時代、カイロでバスケットボールをやっていました。そこには2年生まで通いました。カイロ・アメリカンカレッジ・イーグルスでプレーし、エジプトの全ローカルチームと対戦しました。」

「各シーズンの最後には、地中海地域にある他のアメリカンスクールと対戦するため、アテネに行きました。14、15歳でそれができたのは素晴らしい経験でした。」と彼は付け加えた。

「学校でエジプトの子供たちとサッカーをしていたのを覚えています。彼らはアメリカの子供達よりはるかに上手でした。なぜなら、エジプトの子供達はサッカーとともに育ったからです。アメリカの子供達はバスケットボールとともに育ったので、バスケットボールにおいては私たちが優位に立つことができました。共にスポーツをすることは楽しく、友情の架け橋となりました。」

「学校に体育館はありませんでした。私が学校を去って数年後にやっと建てられましたが。そのため、常に屋外でプレーしていました。クラブの試合はカイロの路上で、土の上でプレーしました。まるでテニスのクレイコートの端にリングがあるような。時には夜中、連なった電球の下で。作り話ではないですよ。」

スティーブ・カー氏は中東での生活と父親の存在が、彼のバスケットボール選手、またコーチとしてのキャリアを決める要因になったと言う。

「父はとても謙虚な人でした。そして立派な人でした。研究分野における知識は素晴らしいものでしたが、社会性があり、コミュニケーション能力も高い人でした。」

「忍耐強く、あらゆるバックグラウンドを持つ人、異なる価値観を持つ人と話す方法をわかっている人だったと思います。」

「私は父のそのようなところから学びました。謙虚でいること、人の話を聞くことが、いかに大切かを学びました。この国は多くの問題を抱えているので、私はこのことをよく考えています。」

スティーブ・カー氏は、中東での生活と父親のおかげで、バスケットボールのスター選手として、そしてコーチとしてのキャリアが決まったと語った。(AUBアーカイブス)

「あらゆる面で、私たちの国は素晴らしい国です。そして同時に、あらゆる難しい問題を抱えています。そのいくつかの問題を本当に解決していかなければなりません。」

スティーブ・カー氏は父親の功績や彼の人生に与えた影響を誇りに思っていると言います。

「私は父から受け継いだものをコーチとしての自らのやり方に生かそうとしました。しかし、私は父がここにいて、最近の..いえ、常日頃起こっていることを考察する手助けをしてくれたら良いのにと思っています。」

「私の人生におけるすべて出来事や、子供時代に両親から学んだことが、コーチ、そして皆さんに知られる存在になるための土台となったと思っています。私はとても幸運だったと思います。」

@rayhanania

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