ガザ地区: ガザ地区出身の電子技術師ロアイ・エルバシュウニ氏は、NASAのチームと協力して、今月火星の表面から実験用ヘリコプターを打ち上げ、歴史を築いた。
しかし、多数のポスターが彼の業績を祝う故郷ガザ地区への渡航にあたり、イスラエルとエジプトによる渡航制約のため、火星よりもさらに遠くのように感じていると語った。
「電子や技術を扱うときは、物事を計算し、その道筋を知ることができます」と彼はロサンゼルスの自宅で語った。 「しかし、人や政治を扱うときには、どこに行き着くかわかりません。」
42歳の彼自身は、厳重に警備されたイスラエルとの境に近い酷く荒廃したベイトハノンから、カリフォルニア州の米国宇宙機関であるジェット推進研究所までの驚くべき道程を歩んだ。そこで彼はヘリコプター「Ingenuity」設計の請負業者として働いた。
1998年にガザを離れ、米国に留学し、2000年末にパレスチナの第2インティファーダが起きる前に、1度だけ短期帰国したことがあった。 この反乱では、戦闘、攻撃、イスラエル軍の作戦などにより、パレスチナ人約6,000人、イスラエル人約1,000人が死亡したが、2005年には静まった。
ガザ地区が次々と危機にさらされる中、エルバシュウニ氏は米国で勉強を続けた。
とくに家族の農場がブルドーザーでつぶされたときは、彼はケンタッキー大学の授業料を賄うのに苦労した。サバイバルのためサンドイッチの「サブウェイ」で週90時間以上働いたこともあったという。 彼はやがてルイビル大学に転校し、電気工学の学士号と修士号を取得した。
2012年、彼は電動航空機を開発していたテクノロジー企業に雇われた。 2年後、同社はNASAから火星ヘリコプター・プロジェクトを請け負い、エルバシュエニ氏は電子技術師チームのリーダーに昇格した。
彼は、他のNASAの科学者と共に、ヘリコプターの推進システム、コントローラー、その他の主要部品の開発にその後6年を費やした。
エルバシュエニ氏が開発したロボットヘリコプターは、7月にロケットで火星に向けて打ち上げられたローバー「Perseverance」に取り付けられた。 彼は2月にそれが赤い惑星の表面に着陸するのを見たときの自分の感情は「表現できないものだった」と述べた。
エルバシュエニ氏はこの火星探査を詳細に注視し、ヘリコプターが発射されたのち、発信されるシグナルを神経を尖らせて待った。 ヘリコプターが飛行中であることを示す最初の画像が地球に到達したとき、彼は「真夜中に雄叫びを上げ、建物内の全員の目を覚ましました」と語った。
エルバシュエニ氏は、旅行制限のため、近く故郷を訪れる可能性は低いと述べている。 訪問したければヨルダンかエジプトを経由しなければならない。イスラエルはその国際空港にガザ地区のパレスチナ人が出入りすることを許可していないからである。
ヨルダンでは、まず特別シャトルを待ち、ヨルダン川のアレンビー橋から、イスラエルの占領するヨルダン川西岸地区に入り、イスラエルを通り抜けて、ガザ地区とのエレス境検問所まで行く必要がある。不定期なシャトルは数日に1度走るだけで、往路・復路ともにイスラエルの許可が必要であり、そのプロセスは複雑で、時間を要し、不確実でさえある。
出国許可は、通常、救命処置を求める患者、あるいは少数のビジネスマンに限られて付与される。
もう1つのオプションはエジプトを経由し、ラファ境検問所からガザ地区に入ることである。しかし同検問所は散発的にしか開かない。 エジプトもパレスチナ人に独自の制限を課しており、渡航許可を申請しなければならない。
AP