
ハゼム・バルーシャ
ガザ市:イスラエルとハマスが合意した停戦が午前2時に発効し、金曜日の早朝、ガザ地区では通常の生活が戻り始めた。
多くのガザの住人が通りに出て、戦争終結の喜びを表現した。一部の人々は、エルサレムへの支持におけるパレスチナ人の勝利、そしてイスラエルの敗北として停戦を祝った。
何千人もの人々が、宗教的なスローガンを唱えながら、徒歩や車で自然に発生した行進やパレードに参加した。モスクは、まるでその日がお祭りであるかのようにイードの呼びかけを放送した。
パレスチナの旗を自分のバイクに取り付けていたガザ在住のサミール・ダバン氏は、「多くの人が殉教し、街が破壊されたにもかかわらず、我々は喜びに値する」と語った。
11日間におよぶ戦闘の後、イスラエルとハマスはエジプトの仲介による交渉で停戦に合意した。エジプトの安全保障代表団は金曜日の正午にガザ地区に到着し、ハマスの指導者と面会した。同代表団は数時間後、会談の詳細を明らかにすることなく立ち去った。
金曜日の朝には、被害を受けた建物や破壊された建物の瓦礫の中から、さらに多くの遺体が引き上げられた。ガザのパレスチナ保健省によると、この戦争で亡くなったパレスチナ人は243人だった。亡くなった人には子ども66人、女性39人、高齢者17人が含まれ、負傷者は1900人以上にのぼる。
ガザ市中心部のオマル・アル・ムフタール通りにある自分の店の周りの瓦礫や割れたガラスを掃き出しながら、サイード・アル・ハダド氏は、土曜日に店を再開する予定だと話した。
「私の店は、(近くの)アル・シュルークタワーが空爆された影響をあまり受けませんでした。しかし、たとえ店が被害を受けていたとしても、私は自分がガザ出身であること、そしてガザが初めて勝利を収めたことを誇りに思うでしょう。我々にはお金よりも大切なものがあったと言えます」とアル・ハダド氏はアラブニュースに語った。
「戦争中、家の外に出ると、周辺の家が何軒か被害を受けていました。3人の子どもが怖がっていたので、私は父の家に行くことを選び、戦争の間はずっと父と一緒にいました」
アル・ハダド氏の店がある通りはガザ市の主要な商業地域で、紛争中は集中的な空爆を受けていた。停戦発効後の数時間、この通りでは交通渋滞が発生していた。車からパレスチナの旗を掲げるドライバーや、破壊の様子を写真に収めるドライバーもいた。アハラム・アル・マドホウン(Ahlam Al-Madhoun)氏(43歳)は、3人の娘と一緒に来ていた。
「この通りでこのような光景を目にするとは思いませんでしたが、我々は自分たちの抵抗運動とその能力を誇りに思っています。家を失った人々、子どもを失った家族、商売を失った店主には大きな悲しみを感じます。しかし、エルサレムのためには犠牲を払わなければなりません」と彼女はアラブニュースに語った。
「戦争の間はもちろん、昨日の夜からも眠れませんでした。我々は、自分たちが戦争を生き延びたこと、そして戦争が終わったことを確かめたかったのです。これからの日々がより良いものになることを願っています」