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アラブニュース・アジア支局長、誘拐犯の投降でフィリピンでの18カ月の人質生活を振り返る

アラブニュース・アジア支局長のベーカー・アティアニ氏が過激派組織「アブサヤフ」に拉致され人質となった経験から10年が経つ。(提供写真)
アラブニュース・アジア支局長のベーカー・アティアニ氏が過激派組織「アブサヤフ」に拉致され人質となった経験から10年が経つ。(提供写真)
アラブニュース・アジア支局長のベーカー・アティアニ氏が過激派組織「アブサヤフ」に拉致され人質となった経験から10年が経つ。(提供写真)
アラブニュース・アジア支局長のベーカー・アティアニ氏が過激派組織「アブサヤフ」に拉致され人質となった経験から10年が経つ。(提供写真)
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20 Jun 2022 12:06:12 GMT9
20 Jun 2022 12:06:12 GMT9
  • ベーカー・アティアニ氏は2012年にフィリピンの過激派組織アブサヤフに誘拐され、18カ月間拘束された
  • 先日の誘拐犯のフィリピン当局への投降は、アブサヤフの弱体化を示しているとアティアニ氏は語る

エリー・アベン、ラワン・ラドワン

マニラ/ジェッダ:アラブニュース・アジア支局長のベーカー・アティアニ氏が過激派組織「アブサヤフ」に拉致され人質となった経験から10年が経つ。その拘束者の1人がフィリピン軍に投降したとの知らせを受けて、彼は同国南部のジャングルでの長い拘束の日々を再び思い起こす。

2012年6月、アティアニ氏はアル・アラビア・ニュースチャンネルの取材中、スールー州で活動する武装組織アブサヤフ・グループ(ASG)に身代金目的で拉致された。

彼は1年半にわたって監禁され、しばしば独房に閉じ込められていたが、脱出に成功した。

それ以来、アティアニ氏を人質にした者の何人かはフィリピン南部の軍によって殺され、他の者も逮捕された。今週、同グループのメンバーの中で最も悪名高い人物の一人であり、アティアニ氏がASG最強の戦闘員として記憶しているベン・キリノ、別名「ベン・タトゥー」が、フィリピン軍に投降した。

2022年6月17日、ジョロ島。アブサヤフの強者「ベン・タトゥー」が軍関係者に自らの武器を手渡す。(フィリピン軍配布写真)

ASGはフィリピン南部のフィリピン人イスラム教徒の自治を求める運動である「モロ民族解放戦線(MNLF)」の分派として出現し、1991年に結成された。当初はアルカイダの影響を受けていたが、2000年代初頭からは、恐喝、暗殺、身代金目的の誘拐を主な活動としている。タトゥーが副リーダーを務めていたサワジャーン・グループを含む複数の派閥は、東南アジアにおけるダーイシュの活動を支援していた。

41歳のタトゥーは、2015年に島のリゾート地サマル島で拉致され、グループの拠点であるジョロに監禁されたカナダ人観光客2人を含む複数の外国人の殺害に関連している。2016年、彼は640万ドルの身代金が支払われなかった後、カナダ人を斬首する様子を自ら撮影していた。

金曜日にタトゥーの投降のニュースが流れたとき、アティアニ氏は、この過激派メンバーがナタとM-14ライフルを日常的に彼に向けていたことを思い出した。

「彼は正義に向き合う必要がある。自分のしたことに対して罰を受けるべきだ」と、ベテラン記者は語った。

さらに、「苦い記憶だ。スールーのジャングルでアブサヤフの人質となって過ごした長い日々の記憶で頭がいっぱいになる」と彼は続けた。

アティアニ氏は500日以上小屋に監禁された。タトゥーは頻繁に彼の様子を見に行った。

ベーカー・アティアニ氏は約500日間、小屋の中で人質にされていた。(提供写真)

「彼はかつてASGサワジャーン派の力の象徴であり、最前線のファイターの一人であり、組織で最も強い人物とされていた」とアティアニ氏は語る。

「ベン・タトゥーはベン『M-14』とも呼ばれていた。彼はいつもM-14を携帯していたからだ。その木製のストックには、彼のために特別に彫られた彫刻が施されていた」

アティヤニ氏は、タトゥーが長年にわたって見せた残虐な行為の理由について語った。それは、タトゥーが所属していないサワジャーン一族が支配する派閥の中で、彼こそが最も頼もしいメンバーであることを証明しようとする、過激派としての試みの一部であったという。

「彼はいつも、自分が優れた戦士であること、サワジャーン一族が彼を頼りにしていること、そして不可能を可能にすることを証明しようとしていた」とアティヤニ氏は語った。


ベーカー・アティアニ氏の誘拐犯の1人であるベン・タトゥーは、一連の殺害に関連している。(ツイッター)

しかし、彼の残忍なアプローチはASGのリーダーたちを動かすことはなく、その立場に近づくことさえできなかった。

ASGがカナダ人の人質を殺害する際に撮影したビデオでは、タトゥーは顔を隠していない唯一の過激派だった。

「タトゥーは常に自分が信頼できる人間であることを証明しようとし、グループの中枢に食い込もうと必死だった。この機会は訪れず、彼は自分の力を証明する必要があった」

アティアニ氏は、タトゥーがグループ内でより高い地位を得ようとしたが、派閥のリーダーであるハジャン・サワジャーンが2020年にASGの拠点であるジョロのパチクル地区で軍隊に殺された後、結局は孤立することになったと考えている。

「サワジャーンの息子たちは、ベンがリーダーとして台頭することを望まなかった」とアティアニ氏は言う。「ハジャンの死後、彼は結局、サワジャーン一族とASGの首領ラドゥラン・サヒロンがほとんどを支配するジャングルのコミュニティから、隠れ場所の提供も支援も受けられなくなったのだ」

タトゥーは、ASGの物流と食糧供給を担っていた異母兄のアルムジャー・ヤダーの投降に続いて、パティクルで軍に投降した。

スールーで武装勢力と戦うために指定された第11歩兵師団のイグナティオ・パトリモニオ司令官は金曜日、アラブニュースに「ASGに対してかけられた、身代金目的の誘拐や殺人容疑の数々を考慮すると、今回自首したこれら指導者2名は、組織の中でも最も悪名高い人物であると我々は考えている」と述べた。

「彼らは、軍隊から逃げることに疲れ果てたのだ。その上、彼らはもはや地元住民の支持を得ていない。彼らのグループはひどく衰退し、兄弟たちも殺されてしまった」

ASGの戦力は、フィリピン軍がダーイシュ関連組織の取り締まりを強化した2018年以降、低下している。第11歩兵師団のデータによると、活動中の武装勢力は2019年の約300人から、推定100人に減少している。

2022年6月17日、ジョロでフィリピン軍に銃器を手渡し投降する、アブサヤフの兵站・食糧供給担当のベン・タトゥーの弟アルムジャー・ヤダー。(供給)

パティクルを管轄する第1103歩兵旅団の司令官、ベンジャミン・バタラ・ジュニア准将はアラブニュースに対し、軍は昨年からタトゥーとヤダーを追跡してきたと語った。

「どうやら彼らは、継続的な軍と警察の作戦、そして仲間であるアブサヤフ・メンバーによる一連の投降のために、すでに疲弊していたようだ」と彼は語る。

金曜日、軍は警察に彼らを引き渡し、二人は一連の刑事責任を問われることになった。

アティアニ氏は、アブサヤフ・グループや他の武装勢力の弱体化が、多くの戦闘員の投降につながったと考えている。

地元住民の支持はそれほど揺らいでいないかもしれない。彼らが「ミンダナオの人々の大義」と呼ぶものをいまだに信じている者もいる。しかし、過去3年間に武装勢力の指導者が次々と殺害・逮捕されたことが、過激派組織の衰退を早めているのである。

「少なくともここ1年か1年半は誘拐事件の報告はない。つまり、彼らは深刻な財政問題に直面しているということだ。金がなければ彼らは生きていけない」とアティアニ氏は言った。

スールー州のアブサヤフ・メンバーのうち、今年これまでに合計67人がジョロの治安部隊に投降している。

脱走から9年経った今でも、アティアニ氏の記憶は薄れることはない。

「同じ状況に置かれた自分を何度も想像してしまう。だから、まだアブサヤフや他の武装集団の手中にある人たちに同情する」

彼は、未知なるものへの恐怖こそが彼を前に進めるという。それが彼を「無知な者たち」に屈せず、生き続ける決意を生み出し、何度も脱出を試みる力を与えたと彼は回想する。

「死ぬ覚悟はできていた。しかし、彼らのやりかではなく、私のやり方で」

ベーカー・アティアニ氏は、「無知な者たち」に屈することなく、生き続ける決断をした。(提供)

2012年12月3日、ついにアティアニ氏の試練は終わりを告げ、彼は無事に脱走することができた。

この10年近く、拉致容疑者の死亡や捕獲の知らせは、彼に一種の安堵感をもたらしてきた。

「私に不当な扱いをした人たちが、現実に今、当然の報いを受けているのだということが分かった。殺されたか、逮捕されたか、牢屋に入れられたか。これは確かに一種の安堵感をもたらす。しかし、やはり、この物語には終わりはない。誘拐の記憶がもたらす傷跡は、決して消えることはないと思う。

「だから正義は行われ続ける」

 

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