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スパイ容疑で投獄された米国人3人、イラン政府を提訴

釈放されてイランから帰国し、ニューヨークで取材に応じる(左から)サラ・シュールド、シェーン・バウアー、ジョッシュ・ファッタルの3氏。2011年9月25日(AFP file photo)
釈放されてイランから帰国し、ニューヨークで取材に応じる(左から)サラ・シュールド、シェーン・バウアー、ジョッシュ・ファッタルの3氏。2011年9月25日(AFP file photo)
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11 Sep 2022 01:09:26 GMT9
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アラブニュース

  • アメリカ人のグループが、イラクとの国境地帯でハイキング中に拘束され、その後1年間監禁された

ロンドン:1年以上にわたりイランで拘束されたアメリカ人3人が、事実無根のスパイ容疑で投獄され、収監中に受けた苦痛と拷問の責任を問うとして、イラン政府を提訴した。

サラ・シュールド、シェーン・バウアー、ジョッシュ・ファッタルの3氏は2009年、イランのイラクとの国境地帯でハイキング中に拘束された。

シュールド氏とバウアー氏はともにジャーナリストで、元夫婦でもある。ファッタル氏を含めた3人の訴訟は、アメリカのワシントンでリチャード・レオン連邦判事が担当する。

2019年、レオン判事はワシントンポストのジャーナリスト、ジェイソン・レザイアン氏がこの3人と同様に虚偽のスパイ容疑で1年以上収監されたことに対し、イラン政府に1億8千万ドルの支払いを命じた。

2016年10月に提起されたこの訴訟では、イラン政府が対応しなかったため、被告欠席の状態でレオン判事が審理を行った。

レザイアン氏に多額の損害賠償が認められた結果となったが、この判決にはイラン政府がこのような形で人質を取り、政治的交渉の材料にすることを抑止する狙いがあった。

アメリカは、イランが世界中で行っているテロ活動に対処する目的で導入された制裁案に基づいて、巨額のイラン関連の資産を差し押さえてきた。3人への損害賠償が認められた場合、おそらくは議会が定めた国家支援によるテロ行為の犠牲者のための基金から支払われることになるだろう。

シュールド氏とバウアー氏は、釈放直後はアメリカによるイラン制裁には反対の立場であったが、現在は仮に勝訴した場合は拘束されたことへの補償を受けてもよいと考えている。

バウアー氏は2016年に、制裁は「完全に無責任」だと主張していた。シュールド氏も制裁により最も大きな打撃を受けるのは「貧しいイラン人たちだ」としている。

ガーディアン紙はこの3人全員の弁護士からコメントを取ろうとしたが、回答は得られなかった。

3人による訴状には、シュールドとバウアー両氏がイエメンに、続いて2008年にシリアに移住してから逮捕に至るまでの経緯が詳細に記されている。

反戦活動家のシュールド氏とフリーランスのジャーナリストであるバウアー氏は、アラビア語上達のために移住を決めた。

ファッタル氏は2009年に2人のもとを訪れ、3人はクルディスタン地域へとハイキングに出かけたが、不運にもそれが大きな問題を引き起こすことになった。

伝えられるところでは、3人が意図せず国境を越えてイランに入ったところをイラン軍の兵士が止めた。兵士は3人がイラク人だと思い、カメラやハイキング用品などの持ち物を調べた。

3人は車に押し込まれ、死の恐怖を感じながらそこで3日間を過ごした。訴状では、彼らは数名の著名な欧米人の人質が狭い独居房に監禁されている、悪名高いエビン刑務所に送られた。

3名による訴状によると、自分はアメリカのスパイだと言うよう仕向けるような仕方で尋問が行われた。

バウアー氏はアメリカの民間軍事会社で働いているのではないかと尋ねられ、シュールド氏はアメリカ政府の任務を受けているのではないかと挑発され、国防総省を訪問したことがあるかと訊かれた。

また、訴えではある看守がバウアー氏に、3人がスパイではないことは分かっていると告げた上で、「彼が釈放されるか否かはアメリカとイラン両政府の交渉次第だ」と話したという。つまり、イラン政府が3人を人質に取り、政治的交渉の材料として利用していたということである。これは過去数十年間、イランが用いてきた戦略だ。

3人の元囚人は、しばしば近くの房から、拷問による叫び声が聞こえたため、次は自分がひどい扱いを受ける番ではないかと恐れたという。

シュールド氏はずっと一人で監禁されていたが、訴えによると彼女が申し出たにもかかわらず、イランの当局者と看守は胸のしこりや子宮頸部の異形細胞その他の健康上の問題を治療しなかった。

バウアー氏とファッタル氏は最終的には窮屈な監房に一緒に監禁されることになった。

シュールド氏は2010年9月に釈放された。イラン政府はこれをラマダン明けの寛大な措置だとしているが、残る2人はさらに1年間収監された。

当時のイランの大統領だったマフムード・アフマディネジャド氏は、賞賛を得るために、ニューヨークで開かれた国連総会に出席する直前に2人を解放したという。

帰国後すぐに、3人はメディアの注目を集め、当時のバラク・オバマ大統領は解放を歓迎する声明を出した。

3人全員が、PTSDの症状に苦しんだと言っている。私生活も犠牲になった。シュールド氏とバウアー氏は2012年に結婚したが、7年後に離婚した。

これはこの3人による最初の訴訟ではなく、5月にはシュールド氏と母親がイラン政府を訴えている。

3名が収監されている間、家族は非常な苦しみを経験したとして、この訴えではシュールド氏が政治的な人質であったとの主張がなされている。

ファッタル氏と家族も7月に訴訟を起こし、バウアー氏と家族も8月にこれに続いた。

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