
シニヤ島、UAE:アラビア半島にイスラム教が広まる以前の時代にまで遡る可能性のある古代のキリスト教修道院がUAE沖の島で発見された。当局が3日に発表した。
砂丘の多いウム・アル・クワイン首長国の一部であるシニヤ島で発見されたこの修道院は、アラビア湾沿岸における初期キリスト教の歴史に新たな光を当てるものだ。
UAEでこの種の修道院が発見されたのはこれが2回目だ。いずれも1400年も前のもので、この砂漠地帯に石油産業が繁栄する遥か昔のものだ。
2つの修道院は時の流れとともに歴史の中に失われてしまった。地域でイスラム教が広まるにつれキリスト教徒が徐々にイスラム教に改宗していったと学者は考えている。
現在の中東でもキリスト教徒は少数派のままである。
今回発見された修道院の調査に協力したアラブ首長国連邦大学のティモシー・パワー准教授(考古学)は、現在のUAEは「民族のるつぼ」だと語る。
「ここで似たようなことが1000年前にも起こっていたというのは本当に驚くべきことで、語るに値する話です」
今回修道院が発見されたのは、ドバイからアラビア湾沿岸を約50km北東に行った所にあるウム・アル・クワイン首長国の湿地帯コール・アル・ベイダを保護しているシニヤ島だ。この島には曲がった指のような形をした一連の砂州が形成されている。考古学者らが修道院を発見したのは、島の北東部にある砂州においてだ。
修道院の土台から採取した試料に対して放射性炭素年代測定が行われ、534年から656年のものであることが分かった。
イスラムの預言者ムハンマドは570年頃に生まれ632年に亡くなっている。
シニヤ島の修道院を上から見ると、その間取りは、初期キリスト教の礼拝者たちが修道院の中の単廊式教会で祈りを捧げたことを示唆している。
内部の部屋には洗礼盤のほか、聖体拝領用のパンまたはウエハースを焼くための窯のようなものが見える。身廊には祭壇と、聖体拝領用のワインのための設備があったようだ。
修道院の隣には、4部屋から成り中庭もあったと見られる第二の建物がある。修道院長か、ひょっとしたら初期教会の司教の住居かもしれない。
3日には、UAEのヌーラ・ビント・ムハンマド・アル・カアビー文化青年相と、ウム・アル・クワイン首長国の観光・遺跡部門長であり首長の息子のシェイク・マージド・ビン・サウド・アル・ムアラ氏が、この遺跡を視察した。
この島は首長家の保有資産の一部だ。同家が長年この島を保護しているおかげで遺跡の発見が可能となっている。
UAE文化省は、この遺跡で現在も続いている発掘の資金を一部負担している。この教会から僅か数百メートルの所にも建物が集まっており、考古学者は前イスラム時代の村の一部と見ている。
この島の他の場所には、真珠採取の際に投げ捨てられた貝が積み重なって産業規模の巨大な丘となっている所もある。
その近くには、1820年にイギリスが爆破した村もある。この地域が「トルーシャル・ステイツ」として知られた国(UAEの前身)の一部になる前のことだ。この村が破壊された結果、本土に現在のウム・アル・クワインの入植地が作られた。
歴史学者によると、初期の教会や修道院はアラビア湾に沿って現在のオマーン、さらにはインドにまで広がっていた。考古学者は同様の教会や修道院をバーレーン、イラク、イラン、クウェート、サウジアラビアでも発見している。
1990年代初頭、考古学者はUAEでの発見は初となるキリスト教修道院をシルバニヤス島で発見した。アブダビ沖、サウジアラビアとの国境近くにあるこの島は、現在は自然保護区であり、高級ホテルが建ち並ぶ場所でもある。ウム・アル・クワインで今回発見されたものと同じ時代の遺跡だ。
しかし、ウム・アル・クワイン湿地帯コール・アル・ベイダで発見された初期の生活の証拠は新石器時代にまで遡るものだ。この地域における人間の居住が少なくとも1万年前から続いていることを示唆しているとパワー准教授は語った。
AP