
アンタキヤ:ほとんど眠れない人。屋内で過ごすのが怖い人。そして多くの人々が、癒しと幸せの源であった山に対して強い恐怖を抱くようになった。
トルコの地震の被災者は、古代アンタキヤを囲むように高くそびえる断崖のすそから離れることなく、2カ月前に5万人以上の死者を出した災害の後遺症にひっそりと耐えている。
自宅、大切な人、健康、収入など、文字通り一夜にしてすべてを失ったショックのため、不吉な予感はつのるばかりだ。
クマ・ゾビ氏にはその気持ちがよくわかる。
38歳の警備員のゾビ氏は、スタウリン山の端にある自宅に巨大な岩が激突して目を覚ました。
レンガ造りの小さな建物には、かつてドアがあったところにギザギザの穴が開いている。
夜明け前の揺れでトルコ南東部の大部分が消失したとき、彼の車は地に埋もれ、3人の子どもたちは血まみれになりながらかろうじて這い出した。
その後の雨と余震で、さらに大きな岩が転がり落ちてきた。
「もう誰も家の中に入ろうとしません」。崩壊した自宅のそばでゾビ氏は言った。
そして、「でも、テントの中で寝ていても、それについて考えたり、あれこれ思い出したり、夢にみたりします」と付け加えた。
「この恐怖を取り除くのは難しいでしょう」
ボランティアの精神科医のエラルプ・ターク氏は、薬を詰め込んだ箱と感情を記録するノートを車に積んで被災地を駆け回り、苦しみを癒そうとしている。
かつてアンティオキアとして知られた伝説の都市アンタキヤがトルコ近代最悪の災害の中心地になったとき、数千人が駆けつけた。ターク氏はそのひとりだった。
32歳のターク氏は、地域の社会福祉サービスから提供されたリストに沿って1日におよそ15人を訪ねている。
心を閉ざした被災者に追い払われることもある。
「押し付けることはしません。支援を申し出るだけです」。ターク氏はセダンを走らせながら言った。
「最も多い症状は、急性ストレス反応、悲嘆、そして震災がきっかけになった過去の精神疾患の再発です」
しかし、ターク氏は、それは一般論に過ぎない、とすぐに付け加えた。
「災害はひとつひとつ違います。地域とその地の住民にはそれぞれの特質があります」
「文化や風習もかかわってきます」
ヌリエ・ダグリ氏は、愛する山から岩石が転がり落ちてきて命を奪ったという事実に深く心を痛めている。
67歳の彼女は、人生の半分をスタウリン山の壮大な断崖と心安らぐ静寂を享受しながら暮らしてきた。
「うちは幸せな一家でした」。震災後から大半の住民が入居しているテントの中でダグリ氏は話し始めた。
そしてため息をつき、「山のふもとに腰を下ろし、子どもたちは遊び回りました。花や木の香りがしました」と言った。
「ひとりぼっちでいるときでも怖くありませんでした」
そんなダグリ氏も、今はどう立ち向かえばいいのかわからないでいる。
「このテントよりも大きな岩が降ってきたのです」と彼女は言った。
避難先の標準装備のナイロン製テントは、カーペットとソファが余裕で収まるほど広かった。
ダグリ氏は「精神科医が来てくれたこともありました。助けになったと思います」とも言ったが、確信は持てないようだった。
ソーシャルワーカーのアイセン・イルマズ氏は、トルコのテント街で相談にのった人々には心的外傷後ストレスに特有のあらゆる症状が見られたと語った。
「睡眠障害や食欲の問題に悩んでいる、ものすごく怒っている、攻撃的な気分になると話す人もいます」と、54歳のイルマズ氏は言った。
「これらはすべてPTSDの兆候です。この人たちは大きなトラウマを経験しました」
セヴギ・ダグリ氏は、喉を鳴らしている赤ちゃんに全エネルギーを注いでいた。地震の15日前の今より幸せな世界に生まれ落ちた子どもである。
22歳の彼女は用心深くテントから顔をのぞかせ、自分の気持ちを人に話すことはめったにないとささやいた。
「何事も心の中に留めています」。若い母親は言い、背後の乳児を見やった。
「瓦礫の撤去が進むとますます埃が立ち、健康にも良くないので、退去しなければならないかもしれません」
「ですから、状況は良くないのでしょう」。彼女は少し間をおいてから口を開いた。
「私たちはなすべきことを知って動いているわけではないと思います」
AFP