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惨酷な紛争から逃れ帰国の途につく数万人の疲弊しきった南スーダン人たち

スーダンから逃れ、南スーダンのレンクのトランジットセンターの栄養クリニックの外に座っている南スーダン人たち。(AP通信)
スーダンから逃れ、南スーダンのレンクのトランジットセンターの栄養クリニックの外に座っている南スーダン人たち。(AP通信)
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28 May 2023 12:05:13 GMT9
28 May 2023 12:05:13 GMT9
  • 砂塵舞うスーダン国境付近は、野営する人々で過密状態となっている
  • スーダン軍と敵対する準軍事組織間の戦闘により、少なくとも863人の民間人が死亡した

レンク、南スーダン:隣国スーダンで勃発した惨酷な紛争から逃れた、数万人の疲弊しきった人々が世界で最も新しい独立国である南スーダンに帰国しようとしている。

砂塵舞うスーダン・南スーダン国境付近では、野営する人々で過密状態となっている。そして、国際社会も南スーダン政府も紛争の長期化を憂慮している。

7日間の停戦が開始される月曜夜までに、スーダン軍とそれに敵対する準軍事組織の戦闘により、少なくとも863人の民間人が死亡した。南スーダン人の多くは、隣国で戦闘が継続すれば何が起こるか分からないと不安がっている。

「危険な状況から脱出した後、戦闘がさらに激しくなりました」と、教会の外の地面に座っていた南スーダン人のアルウェル・ゴック氏は語った。「食べ物も、避難する場所も無く、二進も三進も行かなくなっています。私はもう疲れきっていて、ここを去りたくてたまらないのです」と、彼女は言った。

3人の親戚が殺害されるのを目の当りにして、スーダンの首都ハルツームでの武力衝突から逃れてきたゴック氏は、帰国すれば安全だと考えている。彼女と5人の子供たちは、南スーダンのレンクにたどり着いた。レンクでは、人々が屋外で野営していた。持って来た荷物を積み上げた傍らに薄いマットレスを敷いて寝ている人たちもいる。女性たちは大きな鍋で食事を用意し、十代の若者たちはあてどもなく歩き回っている。

ゴック氏と家族が到着して数日後、水を巡って始まった口論が喧嘩に発展し1人の男性が棒で殴られて死亡したと彼女は語った。

南スーダンでは、政府軍と対立勢力の数年に及ぶ戦闘の結果、約5年前に和平協定が締結されるまでに、40万人近くが殺害され、数百万人が待避を余儀なくされた。しかし、同国の軍事組織は未だ統一されず、恒久的な憲法も成立せず、安定した和平の実現は遅々として進んでいない。

主要勢力間の大規模な衝突は下火となったが、南スーダン内の一部で戦闘は未だ継続している。

南スーダン国内に埋蔵されている莫大な量の石油は、スーダン国内の紛争中の武装勢力が支配する地域を通るパイプラインで国際市場へと移送されている。このパイプラインに損傷が加えられた場合、南スーダンの経済は数ヶ月で崩壊し得ると国際危機グループの研究者であるフェレンツ・デビッド・マルコ氏は述べた。

しかし、直近の懸念は、自らの町や村にいかにして帰還するか不明なまま帰国している数万人に及ぶ南スーダン人たちだ。その多くは旅費を持ち合わせていない。援助団体や南スーダン政府は援助に用いることの出来るリソースの確保に懸命になっている。

国境の町レンクには約5万人が辿り着いている。その多くは道路沿いに建てた茅葺き小屋や、町内の政府系の建物で仮住まいをしている。市場を目的もなく彷徨い、外国人に帰郷する方法を必死に尋ねる者もいる。ここから次の目的地に出発する人数よりも、ここに到着する人数の方が常に多い状態だ。

待避して来た人々の滞在が長引けば長引くほど、内戦由来の長年の不満を抱えた多数の人々から成るコミュニティ間の軋轢のリスクは高まる。先行きの見通しが不明であることから、数多くの人々が苛立っているのだ。

ディンカ族のサルバ・キール大統領とヌエル族のリエック・マチャル副大統領の間で繰り広げられていた南スーダンの権力争いは、内戦中には民族間闘争の様相を帯びていた。5月に水を巡って発生し男性1人の殺害に至った諍いはあっという間に民族間のより広範な争点を含む紛争となり、再び逃走せざるを得なくなった人たちもいたと、レンクに滞在している人々は述べた。

地元政府は、当初、レンク経由で帰郷しようとする南スーダン人を出身地別に分けようとしていた。しかし、援助団体はそれに反対した。政府やコミュニティの指導者たちと共に、援助団体は和平のための対話に全力を尽くしている。

「私たちは(現在以上の武力衝突が起こるかもしれないと)不安を感じています」と、上ナイル州政府の人道部門委員長のヨハネス・ウィリアム氏は言った。「レンクで提供されている行政サービスは限定的です。レンクはトランジットセンターだと私たちは聞いていました。ここに辿り着いた人は、2~3日滞在してから次の目的地に移動するはずだったのです」

「しかし、現況、残念ながら、輸送の遅延から、レンクに到着した人々はそのまま2週間も3週間も滞在する羽目になっています」と、ウィリアム氏は語った。

レンクは南スーダンの北端に位置し、レンクと国内の他地域を結ぶ陸路はほとんど無い。レンクから移動するには飛行機かナイル川を遡行する船旅ということになるが、多くの人はその費用を払うことが出来ないのである。

国連の国際移住機関は、帰国した南スーダン人の内、最も脆弱な状態にある8,000人が帰郷出来るように、ナイル川を遡行する船便を使って毎日1,000人近くを州都のマラカルまで移送することを目指している。

しかし、この移送はまだ開始されたばかりで、援助団体と政府の港での連携に課題があり、出発が遅延し、子供や乳児、病人が炎天下の下、空の船で野営を数日間続けている。

援助活動従事者たちによると、面積が2倍となってしまったレンクの過密状態を元に戻すには、最大2ヶ月を要するという。しかし、州都マラカルでは国連の保護キャンプに約44,000人の避難民が既に収容されている。その多くは安全上の理由からこの国連保護キャンプを離れることを恐れている。

「『一難去ってまた一難』という難問に頭を抱えています。レンクの避難民をマラカルに移送しようとしているのですが、マラカル自体が過密状態なのです」と、国連南スーダン共和国ミッションのニコラス・ヘイソム事務総長特別代表がAP通信に語った。

スーダンからマラカルに戻り着いた人々の中には、内戦中に家族と連絡が取れなくなり、帰郷先となる住居が在るのかどうか不明だという人も少なくない。

「親戚たちが存命しているのか否か私には分からないのです」と、ウィリアム・デング氏は言った。33歳のデング氏は、5月上旬に南スーダンに帰国して以来、電話が非常に通じにくい隣のジョングレイ州に住む家族と連絡出来ないままなのだ。

政府はレンクから船での移動が困難な他地域へ避難民を空路で移送するためにチャーター機10機分の資金を用意したと述べている。しかし、レンクの小規模な空港では大型の飛行機は離着陸出来ず、1フライトで移送出来るのは最大でも80人のみである。

「状況は切迫しています…(南スーダンは)現在、さらなる難民と帰国者の受け入れを余儀なくされています。その結果、南スーダンにおける人道的ニーズは増加し続けざるを得ません」と、国連世界食糧計画の東アフリカ地域ディレクターのマイケル・ダンフォード氏は語った。

今回の危機よりも前から、南スーダンの人口の70%が人道的支援を必要としていた。そして、世界食糧計画はそのニーズに対応できないのだと、ダンフォード氏は述べた。

スーダンから商品の大部分を調達しているレンクの貿易業者たちは、価格が70%も高騰したことから、既に経済的に苦しい状況なのだと語った。

「私は以前は家族に週100米ドルの仕送りをしていました。現在はその半分だけです」と、アダム・アブダラ・ハッサン氏は語った。

ハッサン氏は、スーダン人の小売店主で、スーダンに住む家族を扶養しているが、現在は人々があまりお金を持っていないため稼げる金額が少なくなってしまったと語った。

どこにどのように帰郷すれば良いのかほとんど情報を得ることが出来ないと、帰国者たちは言う。そして、直ぐに始まる雨季によって道路が冠水しフライトが困難になる前に帰郷出来なくなることを帰国者たちは危惧している。

「雨の中で子供たちとここでどうすれば良いのでしょうか?」と、エフラム・サード氏は言った。国連が支給したリストバンドをかざした42歳の彼女は、レンクにもう3週間近く滞在している。戦争まで家族と共に暮らしていた南スーダンの首都ジュバにどのように行けば良いのか、彼女には分からない。現在のたった1つの選択肢は自宅に帰る方法を見つけ出し夫と息子に再会することなのだと、サード氏は語った。

「家が一番です。戦闘があっても、世界中を巡っても、最悪の選択だとしても、家が一番です」と、彼女は言った。

AP

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