エルサレム/ラマッラー:イスラエルが併合を宣言した東エルサレムにある城壁に囲まれた旧市街で、ノラとムスタファ・サブ・ラバン夫妻は残りの日数を数えながら暮らしている。1978年以来ずっと付きまとってきた判決が実行されるためだ。
数十年間の法廷闘争の末、夫妻はユダヤ人入植者に場所を譲るためにムスリム街区にある彼らの住居から退去させられることになった。
「最近は、まるで死刑執行を待つ囚人のような気持ちです。ほかの人々のように、よく眠れません」とノラ・サブ・ラバン氏は話した。
この東エルサレムの住民たちは、当局およびイスラエル人入植者との45年にわたる法廷闘争の渦中で生活してきた。
サブ・ラバン家の人々と、入植に反対する監視団体のイル・アミム氏によると、入植者たちはエリ・アッタル氏が代表を務める「アタラ・レイオシュナ」(Atara Leyoshna)と呼ばれる団体のメンバーである。アッタル氏はこの訴訟についてのコメントを拒否している。
原告のイスラエル人たちの主張では、1948年にイスラエル建国が宣言されてエルサレムがイスラエル領とヨルダン領に分割される以前には、夫妻の住む建物にはユダヤ人が居住していた。
原告はこの地所と直接の関係を持たないにもかかわらず、1970年代のイスラエルの法(1948年以前にユダヤ人が所有していた地所の返還請求を認める)を引き合いに出している。
サブ・ラバン家の人々は、自分たちは1950年代にヨルダン政府によって指定された「被保護住人」であると主張している。その後1967年にイスラエルが東エルサレムを占領し、次いで併合したが、国連はこれを違法だと見なしている。
サブ・ラバン家の人々は、1953年の日付のある賃貸契約書と、イスラエルの法廷が彼らの「被保護住人」としての地位を認めた判決を提示した。
だが法廷は、夫妻は現在この建物に永住しているわけではないとして、彼らの「被保護住人」としての地位は無効になっており、退去を認めるという決定を下した。
ノラ・サブ・ラバン氏は、これは彼女が入院のために毎日自宅で生活していなかった時期のことを指していると説明した。「法的には、現在のイスラエルの制度内では、これ以上できることはありません」と、夫妻の息子であり、ヨルダン川西岸地区の都市ラマッラーにある国連人権高等弁務官事務所に勤務するラファト・サブ・ラバン氏は話した。
一方、6月9日、イスラエル軍は占領するヨルダン川西岸地区でパレスチナ人1名を殺害したとパレスチナ保健省および軍が発表した。イスラエル軍はこれに加えて、兵士1名が軽傷を負ったとも明らかにした。
保健省の声明によると、29歳のメフディ・バヤドサ氏は「ラマッラーの西にあるランティス軍検問所の近くで(イスラエル)占領軍の銃弾に」よって殺害された。
イスラエル軍は声明の中で、盗難車両でヨルダン川西岸地区とイスラエルの中間にある検問所にやってきたパレスチナ人を「制圧した」と述べた。
「IDF(イスラエル軍)の兵士が彼の車両を調べると、容疑者は兵士を攻撃し、武器を奪おうとした」と軍は説明し、「軽傷の」兵士は病院に搬送されたと発表した。
「もみ合いになった後、別の兵士が容疑者に向けて実弾を発射し、制圧した」と軍は述べ、「この件を調査中」であると付け加えた。
1967年の第3次中東戦争以来、イスラエルの占領下にあるヨルダン川西岸地区には300万人近いパレスチナ人が暮らしている。
AFP