経済・政治のメルトダウンを背景に、約380,000人のレバノン人が母国を去ることを検討しているという。国外に親戚を持たないレバノン人家族は少なく、移民を促進するネットワークはすでに存在することになる。
このような移民の波は残酷な影響をもたらすだろう。なぜなら、そこにはいびつなほど高い割合で、市場価値の高い大卒者が含まれるからだ。もし何百人もの医師が海外にキャリアを求めれば、レバノンの優れた医療システムは特に大きな打撃を受けるだろう。
「国を去りたくない。膨大な量のあなたの失望、あなたの無知、あなたのごみの前に立たねばならないとしても。私の体が、車に轢かれた猫の死体のように床に叩きのめされたとしても、そのほうがずっとましだ。ここは私のふるさとだ、先にあんたが出ていくことを確かめるさ、だから―革命だ!」
私の元に送られてきた、多くのレバノン人が母国に対して抱く感情が捉えられた詩の一部を私が抄訳したものだ。見知らぬ外国の地で、無から始めることを望む者などいない。しかし貢献に報い奨励することを拒む、腐敗した恩顧主義システムの下で、若者たちは苦しんでいる。
もしムスタファ・アディブ首相がいつもの悪人や取り巻きどもの面々ではなく、優秀で独立心のあるテクノクラートを内閣に採用すれば、物事を立て直す機会となるのかもしれない。しかし次期の政権が腐敗した派閥の恩恵を受けながら独立を装ったとて、もはや誰も騙されまい―まして国際通貨基金が騙されるはずもない。
政権が義務を遂行しなかったために、ちょうど世界銀行がダムプロジェクトのための2.44億ドルの融資を取り消したところだ。レバノンの首脳陣がすでに約束された資金すら有効に活用できないのなら、どうやって何十億ドルもの新たな資金援助を獲得できるというのか?
港での爆発事故から1カ月を記念する式典で捧げられた、犠牲者の数である190本のロウソクが、首脳陣の不首尾の致死的な結果を体現していた。ミシェル・アウン大統領が自ら課した、爆発事故の状況の調査結果報告の期限はとうに過ぎている。自らの犯罪的な無能さの証拠を隠蔽しようという政権の不器用な試みであると解釈せざるを得ない。
1970年代後期、レバノンの象徴的な存在である歌姫ファイルーズは、「フランスよ、私の傷ついた母国について何を伝えようか?」という有名な歌を歌った。ファイルーズが傷ついた母国についてエマニュエル・マクロン仏大統領に何を伝えたか正確なところが公表されることはないだろうが、最近の面会の後にマクロンはコメントした:「今夜みなさんに約束するように、私は彼女にも約束した。改革が実行され、レバノンによりよきものがもたらされることを。みなさんにお約束します、私はみなさんを見放しません」
マクロン大統領、我々はあなたがこれらの約束をしっかりと守ってくれることを祈っている。そして我々の首脳陣が再び我々を裏切ったならば、あなたが彼らに制裁を課すことも―彼らを名指しして、非難することを。あなたの国の諜報組織が知らないはずがない。彼らの秘密の銀行口座を、盗んで自らのものにした資産の量を、そして不正な手段で手にした富のロンダリングのために悪用した経路を。
フランスはまた、ヒズボラがレバノンの港、空港、国境を悪用して武器、麻薬その他禁制品を密輸していることもよく知っている。UNIFILの権限は最近拡大されたが、トランプ政権は部隊の削減を強行した。権限を受けた部隊がその手を縛られた状態で、どうやってヒズボラに立ち向かえというのか?
歴史的に、レバノンの知識人や文化人は国の道筋に圧倒的な影響を及ぼしてきた。レバノンは、支配階級の無能な泥棒どもが我々を陥れようと企む悲惨な暗闇ではない。我々はヒズボラの怖れと無知の枢軸には属さない。我々には、これらの派閥的で後退的なイデオロギーを踏み越え、レバノンの主権と独立を担保する賢明な代替案を提供できる、国で最も優秀な頭脳が必要だ。
レバノンの首脳陣がすでに約束された資金すら有効に活用できないのなら、どうやって何十億ドルもの新たな資金援助を獲得できるというのか?
イラン陣営とフランス陣営のどちらを選ぶかという問題ではない―我々には、派閥を超えた愛国的なレバノン陣営が必要だ。マイノリティで構成されるこの国で、ある特定の一派閥だけが支配することは不可能だ。これは恒久的な膠着状態へと繋がるのではなく、憲法と統治モデルを再考する、政治的創造性のためのレシピとならねばならない。早期選挙の要求は重要だが、自ずと与えられるものではない。現状への代案をもたらそうとするならば、抗議運動は政治的代表権について非派閥的、非共謀的な方法論を確立せねばならない。
我々はパレスチナ人から学ぶべきであろう。パレスチナのリーダーシップの欠如、およびトランプがエルサレムを明け渡したことに対して新たな抵抗運動を導入できなかったことにより、西岸地区のほとんどをイスラエルに渡すというジャレッド・クシュナーとデビッド・フリードマンのビジョンへと繋がった。私は生涯にわたってパレスチナの支持者であるが、我々が自ら運動を展開し、レバノンの泥棒政治政権に抜本的に方向転換させない限り、世界からの支持は期待できないだろう。
私は、1982年のイスラエル侵攻後、若かった私の家族とともに母国を去った人間として申し上げる。あのまま母国に残ることができればと願わずに過ぎた日は一日とてない。レバノン人移住者の偉大なる詩人、ミシェル・ノイマは亡命による自身の根無し草的な感覚を感動的な言葉で綴る:「兄弟よ、我々は何者だ?隣人も、親類も、国もない。恥をまとって、眠り、目覚めるだけだ」
最も報奨に値する者に報いる能力主義システムを作れなかったことはこの恩顧主義政権の明白な失敗であり、歴史のゴミ箱に葬られるべきものだ。考えられないことかもしれないが、法律、金融、高額、物理学の優秀な大卒者はワシントンやパリに向けて旅立つ前に、国会議員、公務員、市民活動家等の政治のキャリアを考慮し、移民を検討することを余儀なくされた根本要因である構造的な不具合と対決すべきなのかもしれない。
もしレバノンがこの一連の厳しい危機を乗り越えるつもりならば、愛国的な若者に対してその才能と情熱を母国に投じることが最も有望な選択肢なのだという本物の希望を提供しなければならない。